子どもはほっておいてもそれなりに育つ。親の目線で、危険・安全のラインを引かない/そんな我慢はやめていい
公開日:2023/10/25
現代社会では、仕事、育児、人間関係などのあらゆる場面で「我慢」がつきもの。でもその我慢、あなたの幸せにつながりますか?
『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』は、人生を幸せにする「意味のある我慢」と、幸せにつながらない「意味のない我慢」を区別する視点を与えてくれます。「意味のない我慢」からは逃げてもいいし、無理してがんばらなくてもいいのです。
他人の目、場の空気、同調圧力などを気にせずに、自分らしくご機嫌で生きられるヒントを探してみませんか?
今回は“育児”に関する我慢について。「あれもダメ、これもダメ」と子どもにガミガミ言うのは疲れる…。親の固定観念を押し付けず、子どものやりたいことを尊重するのも育児方針のひとつです。
※本作品は『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)から一部抜粋・編集しました
子どもはほっておいてもそれなりに育つ
●親の目線だけで安全ラインを引かない
子どもにガミガミと小言を言うのも面倒ではないでしょうか。
わが家では、子どもがやろうとしていることや、自ら「やりたい」と言ってきたことに対しては、我慢させたり禁止したりすることなく自由にさせる方針です。
たとえばヨチヨチ歩きなのにすべり台の階段をひとりで上がろうとしたときも、念のため下で支える体勢を取りつつ、自由に上らせました。命や大けがの危険がある場合を除き、危なげに見えることも禁止しすぎないようにしています。
転んだりするのもOK。多少のケガもOK。子どもはそれで学ぶものですし、私自身もそうやっていろんなことを身につけてきたからです。
私は、親の勝手な判断で最初から危ないとか、やめなさいとか決めつけないようにしています。ここから先は危険、ここから先は安全などというふうに、親の目線だけで安全ラインを引くのではなく、子どもが自ら経験し、そのなかから自分なりの行動原理をつかみ取ってほしいからです。
また、「いい、悪い」も状況によっては変わることもあるため、親の先入観や固定観念を子どもに押しつけないよう心がけています。
たとえば人を差別するのはよくなくても、区別をすることは必要なことです。しかし差別と区別は時と場合によってはあいまいになります。
また、自分は区別と思っていても、相手からは差別と思われることもあり、親の一方的な見方だけで子の言動をどうこう言えないこともあるでしょう。
他人を突き飛ばしたり、公共の場で騒いだりすればもちろん注意しますが、怒鳴ったりすることはありません。静かに「それはダメだよ」「静かにね」と言って真剣な目で見つめれば、子どもも三歳ぐらいになると「親は本気だ」と悟ってくれるようになったからです。
●タブレット端末も禁止しない理由
多くの親が禁止したくなるであろうタブレット端末も自由にさせています。
長男は動画が好きでほぼ毎日視聴しており、数をかぞえる動画や英語の動画をよく見ています。そのおかげで自然に数を覚え、英単語まで話すようになりました。
次男も長男の様子を見てタブレットを操るようになったのですが、彼は動画よりも知育アプリ(つまるところゲーム)に夢中です。
「スマホやタブレットに子育てをさせるのは手抜きだ」となどと批判されがちですが、親の世代ではNHKの「おかあさんといっしょ」を子どもが見ているときに洗濯などの家事をしていた話も聞きますので、単にツールの違いにすぎないでしょう。
私も子どものころは学校から帰ったらテレビをぼーっと見ていましたが(当然スマホもタブレットも存在しない時代でしたから)、では現代、子どもがスマホで動画をぼーっと見ることの違いがそんなにあるでしょうか。
「脳の発達によくない」「ジョブズも子どもに触らせなかった」という話もありますが、私はそれほど神経質になる必要はないと考えています。
たしかに動画などは完全に受け身で考える必要がないですし、ゲームも決まった動きしかしないですから、やはり自分で本を読むなどしてくれたほうが本音ではうれしい。
しかし子どもたちも保育園や学校でそれなりにストレスを受けて疲れて帰宅してくるので、自宅ではリラックスタイムが必要です。
わが家の場合、長男は学童から、次男は保育園から帰宅するのが夕方八時で、就寝が夜九時です。夕食と入浴の時間を除くと、正味わずか二時間が彼らにとって一日のなかで唯一自由に過ごせる時間です。大人でも自分の時間が必要ですから、子どもにも自由時間を確保させたい。
それに「家庭は子どもにとって絶対的な安全基地であるべきだ」と私は考えていて、ゲームや動画が彼らにとって心や気持ちが安らぐ効果があるのならいいだろう、と自由にさせています。
ただし、それは子どもたちがまだ小学生だからです。思春期を迎える中高生になってもスマホ漬けというのはさすがに不安があります。なぜならこのぐらいの年齢になると、これまでも複数の著作で述べてきた「内省」が必要かつ重要なのですが、スマホ漬けだとその時間が十分に確保できないからです。
SNSでつねに誰かとつながっているとか、動画に見入っているなど外界からの刺激にさらされ続けると、たとえば自分の経験を振り返ったり、将来は何を目指しそのために何をすべきかを考えたりする内的作業がおろそかになりかねないからです。
とはいえ私自身は電子機器がすべて悪いとは思っておらず、作曲したり絵を描いたり、プログラミングの学習などもできるので、ネガティブな側面ばかりに焦点を当てて教育の機会を逃すほうがもったいないと考えています。
たとえば私の長男は「マインクラフト」というゲームをやっていますが、ブラインドタッチのようなスピードでさまざまな素材を使って広大な街をつくっています。旅行などで見た景色も自分なりにデフォルメしマインクラフト上で再現するなど、クリエイティビティを発揮する機会になっています。
さらにこの原稿を書いている現在、子どもたちは昆虫の動画に夢中になっており、その影響で、玄関先で捕まえたカミキリムシを飼っています。
その際「何を食べるのかな?」と聞くので、「自分で調べてみたら?」と答えたら、自らタブレットで音声検索をして「昆虫ゼリーも食べるらしいよ!」と一〇〇円ショップで昆虫ゼリーを買ってきてエサにしています。
そして「昆虫ゼリーをブナやコナラの木に仕掛けたら、カブトムシが捕れるんじゃない? 夏休みになったら行こうよ」などと、知的好奇心も動画がきっかけになっています。
それに大事なのは、たとえば外で遊ばせたいからといって家のなかのマンガを捨てたりテレビを隠したりすることではなく、つきあい方であるはずです。
ゲームやインターネットも同じく、ただ何も考えず親が勝手に遠ざけるのではなく、それもテクノロジーのひとつとしてうまく教育に取り入れられるよう工夫するのが親の役目だと思っています。
とはいえおもしろいのが、二人とも一時間ほどすると飽きてしまうようで、タブレットを閉じてほかの遊びを始めたり、外に行きたがったりします。
幼児であっても、遊びの種類を変えてなんらかのバランスを取ろうという本能が働いているのかもしれません。
●食べ物の好き嫌いもOK
ほかにもわが家では、食べ物の好き嫌いもOKです。
食事の時間は家族団らんの場であり、楽しい時間にしたいと思っています。それなのに、嫌いなものを無理やり食べさせれば、苦痛の時間になりかねないからです。
「それでは栄養が偏る」という不安があるかもしれませんが、仮にピーマンが嫌いでも、ピーマンに含まれている栄養素をほかの食材で代替できればいいだけのこと。
それに保育園や小学校での給食は完食しておかわりもしているようですし、給食は栄養士が考えたバランスのいいメニューになっているでしょうから、家では本人が「食べたい」というものを食べさせ、「いらない、おいしくない」というものは残してもよしとしています。
好きなものをおいしくいただくことは、人間が生きるなかでの大いなる楽しみのひとつだからです。
「それでは食べ物を粗末にする子になる」「偏食になる」などという心配は不要だと思っています。子どもの食事は基本的には親のエゴで選び、親の目分量でよそったにすぎないからです。本人が自分で選び自分で分量を決めるようになれば、普通に完食するものです。うちでも、「このくらいでいい?」と聞くと「もうちょっとください」と答えてくるなど、子どもが自分で調整して完食しています。
とはいえ子どもの味覚は単純ですし、いろいろな食べ物があることを知らないので、「これ食べてみたら?」などとすすめ、食わず嫌いにならないようにはしています。
ここで私が紹介したことをそのまま実践するかはさておき、一度ご自身の育児方針について考えてみると、それぞれの家庭や子どもにあった接し方が見つかるでしょう。
<第7回に続く>