中学受験は無理にしなくていい。親主導の進路より、子の「自分で決めた」納得感を大切に/そんな我慢はやめていい
公開日:2023/10/26
現代社会では、仕事、育児、人間関係などのあらゆる場面で「我慢」がつきもの。でもその我慢、あなたの幸せにつながりますか?
『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』は、人生を幸せにする「意味のある我慢」と、幸せにつながらない「意味のない我慢」を区別する視点を与えてくれます。「意味のない我慢」からは逃げてもいいし、無理してがんばらなくてもいいのです。
他人の目、場の空気、同調圧力などを気にせずに、自分らしくご機嫌で生きられるヒントを探してみませんか?
今回は“教育”に関する我慢について。親主導になることが多い中学受験。親が先回りして考えるより、「自分で選んだ道」という腹落ちが子どもにとっては大切なのです。
※本作品は『そんな我慢はやめていい 「いつも機嫌がいい自分」のつくり方』(午堂登紀雄/日本実業出版社)から一部抜粋・編集しました
無理に中学受験しなくていい
●中学受験の多くは親主導で進む
「子どものために私立中高一貫校を受けさせたい」
「子どもにはなんとしても難関有名大学に行ってもらいたい」
「自分が英語ができなくて苦労したから、子どもには早くから英語を学ばせないと」
「日本の教育を受けても世界では通用しないから、海外に留学させようか」
「なのにウチの子どもはまったく勉強しない」
と悩む親がいます。
ですが、私の考えは、「そんな心配は忘れて、子どもが何かで没頭できることを探すのを手伝い、それが見つかったら親は興味がないふりして徹底的に応援しましょう」というものです。
だからわが家では「中学受験しなきゃ」などという発想を捨てて、子の進路は子に任せることにしています。
実際、中学受験は教育費以外の親の負担も大きく、たとえば親が塾まで送迎したり、受験までのスケジュール管理をしたり、夜食をつくったり、直前の追い込みで気をつかったり、それなりに大変です。
親が情報を提供し、文化祭などを体験させるなどのサポートをしたとしても、本人が受験したいなら応援すればいいけれど、子に強制するのはナンセンス。勉強も本人がやるものなので、親は口出ししないで手抜きをすることです。
それに高校受験にも意味があります。
中学受験の多くは親主導で進み、大学受験は子主導で進むでしょう。その中間が高校受験で、高校受験を経験することは、自立への第一歩になるという効能があります。
また、中高一貫校の多くは、高校二年生までにすべての学習範囲の履修を終え、三年生の一年間は受験勉強に専念できるので、難関大学進学に有利とよくいわれます。一方で、「内部進学組より高校入学組のほうが高三になってからの追い上げがすごい」という実態があるとも指摘されます。
●親子でも「幸せの形」は同じとは限らない
そもそもなぜ親は子どもの教育で悩むのでしょうか。
いい学校に行きいい教育を受ければ、有名大学に受かる。有名大学に行ければ、いい会社へ就職できる。いい会社に就職できれば、子どもは幸せになれる(はず)。という発想があるからでしょう。
もちろん、最後の「子どもの幸せのため」という親の思いはそのとおりであり、否定されるものではない。しかし、「子どもが幸せになる」のプロセスがなぜ「有名難関校、あるいは海外の大学に進学すること」なのかと、どこか飛躍感があります。
また、親が感じる「幸せの形」と子が感じる「幸せの形」は、必ずしも同じではないでしょう。たとえば親は大勢の仲間に囲まれてワイワイ過ごすのが幸せだったとしても、子はひとり静かに読書をして過ごすことが幸せかもしれない。
そもそも「幸せ」とは何か。ありていにいうと、「充実感を覚える仕事」に就いて、「そこそこの収入」を得られ、「いい配偶者(パートナー)に恵まれ、安定した家庭を築く」ということかもしれません。
しかしそれが、「進学」という一本足打法でかなえられるのかどうかというと、怪しくないでしょうか。
というのも、本人が充足感を覚える仕事が親と同じとは限らないし、実際に子どもが働いてみなければわかりません。
「いい会社」も、親が考える「いい会社」と、子が考える「いい会社」が同じとは限らない。親世代は大企業を志向しても、子はベンチャーを志向するかもしれない。あるいは起業するかもしれない。
収入は多いに越したことはありませんが、社会に出れば自ら課題を発見し、正解はなくても仮説を立てて行動する人のほうが重宝されますから、問いが与えられて正答すればよい受験テクニックはまず通用しません。
ほかにもパートナーとつきあい結婚し、円満な家庭を築くには、学業以前の「思いやり」とか「相手を尊重する姿勢」といった人間力が欠かせませんが、もちろんこれらは難関校かどうかはあまり関係ない。
むしろ多種多様な人が集まる公立校のほうが、対人関係能力が磨かれることだってあるかもしれません。
そもそも社会で生き抜くための力のほとんどは、学校で教わることはないのです。先生はほぼ全員公務員(私立校の先生も公務員みたいなもの)ですから、そういう力を教えることもできないでしょう。
なのでまずはそういう「教育万能説」「難関大学に行けばなんとかなる」という発想を親が捨てる必要があります。
●子に必要なのは「自分で決めた」という納得感
とはいえ、小学生に「進学についてどう思うか?」を聞いても「わからない」と答えるかもしれませんし、高校生に「自分の幸せとはどういう状態か?」と聞いてもわからないでしょうから、ある意味直感で選ぶことになります。
しかし、それでいいのです。子にとって重要なのは、本人の「自己決定感覚」であり、「自分で選んだ道だ」という腹落ちです。
親が遊びやゲームを我慢させて強引に勉強させても、子はなぜ勉強しないといけないのか、そこに目的も必要性も見えないですから、親の言うとおりにやったけどうまくいかなかった、あるいは疲れてしまったということになり、結局脱落する、という子は少なくありません。
たとえば合格だけを目指して必死に受験勉強してきて、ついに合格した。でも合格することが目的だったから、それを果たしてしまえばもう満足。その先のことなんてそもそも考えたこともなかったから、自分は本当は何をしたいのかがわからなくなり、バイトに明け暮れるとか引きこもるというケースもある。
親のために、あるいは親の喜ぶ顔が見たくて親がすすめる私立中学受験をがんばってきたけど、そこに「自分はどうしたいか」がなかったから、進学しても勉強疲れでモチベーションが下がり、むしろ成績が下がり、授業についていけなくなって不登校となり、結局は地元の公立中学に転校、という子もいます。
だから子の選択権を奪い親が先回りして決めることは、子が自分で「どこに進学したいのか、それはなぜか」と自分で自分の将来を考える力を奪ってしまう。
そこで最初の悩みに戻ります。
「中高一貫校がいい」というのはなぜでしょうか。「なんとなくよさそうだ」という感覚だったり、「有名大学への進学率が高い」という受験を意識した選択ではないでしょうか。
たしかに受験勉強を通じて成長する子もいますから、向いている子もいる。かといって小学生の段階ではどの学校がいいかは判断できませんから、まずは子に判断材料を与えることです。
たとえば学校説明会、体験入学、文化祭などのイベントに子と一緒に参加し、本人が「ここに行きたい」「そのために受験勉強する」と思えるかどうか。
あるいは「友達が受験するから」でもなんでもいいのですが、本人が「やる」と決断するかどうか、そこに本人自身による動機を持てるかどうかがカギです。
学習塾の先生に聞いたのですが、中学受験がうまくいくのは、自分で目標設定でき勉強の必要性が理解できる、比較的早熟な子どもだそうです。
そして親は成績に一喜一憂せず、温かく見守る。親の焦りは子にとって精神的なプレッシャーになるからです。親が成績や合否にこだわると、受験の失敗=挫折感となって次のステージへの足かせとなることがあるからです。
自ら「あの中学校に行きたい」という動機があるなら、仮にそこに受からなくても、受験を通じて子は間違いなく成長します。
これは高校や大学でも同じく、親の希望を押しつけられての進学は自分の意志ではないため、「自分はこれがやりたいからここにいる」という納得感がありません。
そのため、自分の将来の方向性が見いだせず、ゆえに勉強の意義が感じられず、挫折しやすいという爆弾を抱えることになります。
だから先ほどの「子どもにはなんとしても難関有名大学に行ってもらいたい」というのは子にとってはよけいなお世話なのです。
高校生にもなれば、自分の進路は悩んだり迷ったりしながらも自分で決めるもの。逆に高校生で自分の進路も決められないようでは、「思考力が備わっていない」ということであり、勉学よりももっと根本的な部分の未成熟さに危機感を持たなければならないほどです。
<第8回に続く>