【2024年本屋大賞 翻訳小説部門受賞】韓国で25万部を突破した話題が日本語化! 個人経営の本屋で夢を追う女性を描いた傑作『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』

文芸・カルチャー

PR 更新日:2024/4/10

ようこそ、ヒュナム洞書店へ
ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(ファン・ボルム:著、牧野美加:訳/集英社)

 韓国では、個人経営の「街の本屋さん」が増えているらしい。電子書籍で話題を呼び、紙で出版されたのち累計25万部を突破した韓国の小説『ようこそ、ヒュナム洞書店へ』(ファン・ボルム:著、牧野美加:訳/集英社)もまた、会社を辞めて一念発起、本屋さんを始めた女性・ヨンジュをめぐる物語である。

 が、夢を叶えたというのに、ヨンジュの顔色は冴えない。オープン初日に、書棚の半分も本は埋まっていないし、青白い顔をして、ときどき泣いていることもある。町の人たちが怪訝に思うのも当然で、好奇心で押し寄せた客足はすぐに遠のく。なぜ彼女はそれほどまでに追い詰められているのか。理由は終盤まで明かされないまま、ヨンジュが少しずつ立ち直り、バリスタの常駐するブックカフェとして確立していく姿を物語では描き出されていく。

 読んでいると、韓国と日本に生きる人たちの悩みは、さほど変わりがないのだなということに気づく。たとえばバリスタとして雇われたミンジュンは、子どもの頃から優等生で、努力家で、いい大学にも入って順風満帆だったはずなのに、就活でつまずき、30歳を手前にしても定職についていない。そんな彼が、誠実な雇用主・ヨンジュのもとで、アルバイトではあっても自分に成せることを成そうと邁進し、焙煎士も唸らせるバリスタとして成長する姿も胸を打たれるのだが、それ以上に「今日自分がやることに最善を尽くす」大事さにたどり着いたエピソードが、とてもよかった。実力はついた、できることは全部やっている。世界最高のバリスタをめざすこともできるけれど、そうではなく、目の前の一杯のために何ができるのか、コントロール可能な“今”をどう生きるのか、それを考えるほうが大事なのだと。

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 口で言うのは簡単だ。どうしたって人は、余裕がなく、自分自身に不満足であればあるほど、目に見える結果を追い求めることをやめられない。だからこそ、気づきを得たミンジュンに焙煎士が「それこそが成熟した人生の姿勢なのだ」という場面も、響いた。

 ミンジュンが変化することができたのは、痛みを抱えながら前に進み続けてきた店主・ヨンジュの姿を目の当たりにしていたからこそだ。決して完璧ではない、むしろまわりの手助けがなくては歩き出せないほど未熟な彼女は、決して現実から目を逸らさず、今の自分にできることを怠らない。そんな彼女に感化され、とともに本を読むことで、客も、イベントで招かれた作家も、己の心を覗きこんで、見つめ直していく。

 小説というよりも、哲学書のような趣のある本作。著者は映画『かもめ食堂』や『リトル・フォレスト』のような雰囲気のある小説をめざしたのだという。納得である。淡々とした日々を変化させる劇薬となるのはいつだって人との出会いであり、自分には思いもよらぬ視点を与えてくれる誰かの言葉だ。今作もまた、読者にとって劇薬の一つになるだろう。作中に登場する人たちとの出会い、そして彼らの与えてくれる言葉が、さざ波のように私たちの心を揺らし、“これから”を考える一助となってくれるはずだ。

文=立花もも