「皆がスルーしていくところでギャーギャー騒ぐのが小説家の仕事」。『地図と拳』で直木賞受賞の小川哲氏に最新作について聞いてみた

文芸・カルチャー

公開日:2023/10/22

 発表するたびに読者の期待を超える傑作を生み出し続ける作家、小川哲さんの最新作は、なんと作家小川哲が主人公。連作短編集『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)は、読者の数だけ物語が生まれる不思議な小説である。リアルと虚構の狭間で我々の自意識を突いてくる本作について、小川哲さんに作家という仕事やキーとなる才能などについてお話を聞いた。

(取材・文・撮影 すずきたけし)

『君が手にするはずだった黄金について』(小川哲/新潮社)
認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの? 青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家……。著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短編集。彼らはどこまで嘘をついているのか? いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!

小川哲さん

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――『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)は『嘘と正典』(早川書房)以来の短編集となりますが、今作はとても身近に感じられる話ばかりでした。こうした自身を主人公とした私小説のような構成で書くことは以前から考えていたのでしょうか。

小川哲(以下、小川):最初の短編の「プロローグ」が2019年に書いたものなので、その時にこういう作品を集めて短編集にしようというのはコンセプトとしてありました。

――別冊文藝春秋(2022年7月号)で、小川さんが主人公の「Walk」を書かれていましたが、この作品は『君が手にするはずだった黄金について』を書く上でヒントになっていますか。

小川:あちらはもうちょっと自伝寄りで、起承転結があるわけじゃなくて、エピソードを繋げて繋げて小説の形にするという方法論にチャレンジしていて、自分の身近なものが題材になってますが、自分自身が主人公というのは確かに一緒かもしれないですね。でも書いている側からするとやっていることは全然違っていて、今回の短編集はもうすこしオーソドックスな小説の起承転結の中で書いたという感じですね。

――今作の短編集は主人公である作家の“小川”による、学生時代の友人や知人、恋人についての物語となっていますが、これらは著者である小川さん自身の学生時代の話とか自分の中のエピソードとかなのですか。

小川:自分の中にあるものがもとになっていることは結構ありますね。

――小説では塾講師のアルバイトをしている“小川さん”ですが、実際にいろいろなアルバイトをされていたのですか。

小川:塾講師のバイトは実際にしてましたね。ほかのバイトもあんまり長続きしないのが多かったですけど、高校生の時はマクドナルドでバイトをして、ハンバーガーを焼いていましたね。大学になってからはドトールの店員をやっていたし、家庭教師のバイトもやったし、あと映画の配給会社の宣伝部でコピーを取ったりお茶を出したりとか、そういうバイトもやっていましたね。

――今回の作品では、そこで知り合った人は参考になっているんですか。

小川:もちろんある程度は参考になっていますね。

――今作の『君が手にするはずだった黄金について』は、そういった読者にも身近な部分と重なるテーマとなっていますが、ご自身の経験や過去を小説にすることに難しさはありましたか。

小川:小説としてどうしたら良いものになるか、どうしたらより自分の考えを読者に伝えられるかというのが一番大事なので、自分が主人公や語り手になったときに「僕がこう思われたい」とか、「良く思われたい」とか、「かっこよく見られたい」とか、ほっとくと自分を良く見せようとしてしまうことがあると思うので、それはすごく気をつけましたね。

――今回のはじめの短編「プロローグ」という話では、就活している“小川くん”が新潮社のエントリーシートへの記入で悩むというところから始まるんですけど、エントリーシートって自分を客観視しなければならないじゃないですか。これは、先ほどの小川さんの小説の書き方と似ていますね。

小川:今はないらしいんですけど、実際に取り寄せた新潮社のエントリーシートには円グラフの質問があって、僕にとって新潮社ってそれこそ太宰治とか川端康成とか谷崎潤一郎、ポール・オースターとかジョン・アービングとか、村上春樹とかの本を出してる会社で、その会社に自分の人生を円グラフで表現しろって言われたら、なんか試されてる気がして思い悩みましたね。

――作中の小川くんが新潮社のエントリーシートに屁理屈をこねるっていうのは…

小川:まんまですね(笑)。

小川哲さん

――今作は全体を通して作家という仕事について小川さん自身が自問してるように感じました。なかでも表題作に登場する片桐という男の虚飾に満ちた話は、作中の“小川”が虚構を売りにしている自分は片桐と同じではないかと震える場面があり、それがとても強く印象に残りました。別冊文藝春秋の「Walk」でも「僕は小説を書くとき―つまりたった今も―自分に問いかけている。僕は、どこへ向かっているのだろうか。僕は、どこから逃げているのだろうか」というふうに書かれてまして、実際に小川さんご自身は小説を書く行為に対してネガティブな感覚はお持ちなのでしょうか。

小川:後ろめたさみたいなものはありますよね。なんか、自分がちゃんと生きてないというか、社会の歯車になってないっていう感覚というか、真っ当に生きてないっていうのはずっとありますね。いい加減なこと言ってお金をもらってるっていう意味では、ひょっとしたら(片桐と)一緒かもしれないし、だからといって片桐みたいな人を突き放して、あいつは悪いやつだとか、あいつは嘘つきだとか、あいつと俺は違うとかって簡単には思えない後ろめたさみたいなのは、僕の場合はずっとありますね。それは嫌だとか、悪いことだというのではなく、なんか申し訳ないなみたいな。

――作家は、嘘を物語にしていくっていうところに後ろめたさみたいなものがあるということですか。

小川:他の作家さんがどう考えてるかはわからないですけど、僕は嘘の話を考えるのを楽しくやってて、楽しいことをやって、嘘もついて、お金ももらって、これでいいの? みたいなのがあって、だから片桐みたいな人を見ると、お前がしてるのはこういうことだぞって自分に突きつけられるような気持ちはありますよね。

――昨年『地図と拳』で直木賞を受賞されて、そういった気持ちが変わったりしませんでしたか。

小川:いやないですね。全くないですね。周りが僕をどう見るかっていうのは変わったかもしれないですけど、僕自身やってることは別にずっと変わらないんで、僕がやることを変えない限りはないですね。

――小説ではなくて、例えばルポやエッセイを書くことには興味がないのですか。

小川:なくはないですけど、やっぱり小説が一番楽なんですよね。楽というか楽しいというか。エッセイは少なくとも僕の主観の中では事実であることしか書かないようにしているんですけど、突き詰めるとその奥にはもっといろんなレイヤー、いろんな層があって、それは面白い題材だと思ったことでも小説では書けないことがたくさんありますし、単純にわからないから書けないということもあります。小説はわからないことは自由に書いていいと僕は解釈しているので、調べてもわからないことってむしろ(小説を書く上で)チャンスなんですよね。それが小説ならではの楽しさであり、楽さであり、フィクションだからこそできることなのかなと思います。今のところはそれが楽しいからやっているという感じですね。

――「作家になることは才能ではなく何かしらが欠落してる者」など、本書には創作活動について考えさせる言葉が数多く登場しますが、なかでも“何もかもがうまくいっていて、摩擦のない人生に創作は必要ない”という言葉は、とても興味深かったです。またクリエイティブな仕事に対しての羨望というか、周りの友人たちとの不思議な距離感も抱きました。そうした“才能”についての描き方も面白かったのですが、小川さん自身は創作活動とはどのようにして生まれるものだと考えていますか。

小川:文才とか想像力とかがあるから小説を書くと言っていただけることが多くて、それはありがたい話なんですけど、書いてる側からすると、全くそういう感覚はなくて、書かなくてよければ書かない人生のほうがひょっとしたら幸福で楽しいかもしれない。みんながスーッとスルーしていくところでつまずいたりとか、ギャーギャー騒いだりするのが小説家の仕事みたいな気がするので、そこでつまずかずに生きていける人にとっては、創作は必要ないし、小説も必要ないかもしれない。世間の歩みにどっかついていけなかったりとか、みんなが何も言わずに納得してることに自分が納得できなかったりとか、そういう引っかかりとか取っかかりが(創作には)必要なのかなっていう感じがします。だから自分に才能があったから小説を書いてると考えたことは一度もなくて、逆に才能がないから小説を書いてる。そんなこと言ったら同業者に怒られそうですけど(笑)、僕自身はそういう感覚ですね。

小川哲さん

――ほかにもSNSでの承認欲求など今回の小説で感じることがあるのですが、今はSNSでアカウントを作ったりとか、知らない人と繋がったりできるようになったことで自分が何者かを表明しないといけない時代になってるじゃないですか。今回の表題作や「プロローグ」の話もそうですし、「偽物」に登場する漫画家のババもそうなんですけど、他者に自分を知ってほしいみたいなのが視覚化、顕在化してるような状況は、小川さん自身は意識していますか。

小川:僕自身はSNSはやってないですけど、見てはいるんですよね。そこですごく一生懸命になってる人とか、偏ったことを言ったりとかして目立とうとしてる人も見てるし、なんでこういう人たちがこういうことをするんだろうとか、こういうことをすると、何が気持ちいいんだろうとか、何が楽しいんだろうとか、逆に楽しさや何かに囚われてるのかなとか、そういうのをあれこれ考えますね。自分がわからないものをわかろうとするときに小説が生まれるので、全くわからないものでも、ひょっとしたら僕と同じかもしれない、自分もこういう人になったかもしれないと考えると、それが他者だと思っていた人と不意に自分が繋がったりして、ようやく小説として書けるようになるイメージですね。だから、結構SNSは見てますね。

――この短編集を読んで意外だと思ったのは、こうしたお話をSFという形や寓話的な話にせずにストレートに現代の話として書かれていたことなんですが、そうしなかった理由はあったのですか。

小川:この短編のほとんどは『地図と拳』を書いてるときに同時に書いてるんですよ。だから自分の問題意識や自分のやりたいことを別のテーマや題材を通じて考えてみるという(『地図と拳』の)方法論とは全く別に、この作品ではダイレクトに直視するみたいなのをやろうと僕の中で切り分けていました。

小川哲さん

――この作品のもう一つの側面として「虚構」というのがあげられます。全体を通して主人公は作家の“小川”ですが、この作品はリアルな小川さんの自伝や私小説ではないわけで、作品自体は小説です。けれど現実に作家小川哲がいるからこそ、この作品は他の小説以上にとてもフィクショナルな部分を強く意識させてくれます。

小川:僕は満州とか建築とかクイズの話をしてると見せかけて、実は小説の話をしてるんですけど、今回はよりダイレクトに小説の中で小説の話をするので、語り手を一介の小説家ではなく小川哲にすることで、より何が現実で何が虚構かをみんなで一緒に考えようよみたいな感じで、確かに結果的にそういう作品になったかもしれないですね。それこそSNSで私はこんなにすごいんだとか、こんなにいい生活をしてるとかって言ってる人も、それが本当は切り取った一部分なのかもしれない。現代は受け手側の人があらゆる情報に対して何が虚構で何が現実なのか考えなきゃいけない時代にはなってきているかもしれないですね。

――デビューから比べてみると、書き方とか題材とか考え方とか変わった部分などはありますか。

小川:僕の主観ではいろんなことを書けるようになってるし、技術は単純に上がってるはずですね。ただ、小説というものに対する考え方自体はデビューする前の若い時からずっと変わってないかもしれません。書くときにどういう方法論で書くかとか、何をコンセプトにするか、何を目標にして書くかというのは、作品ごとに毎回チャレンジしていきたいなとは常に思ってますね。

――小川さんが書かれている書評などではSF作家と紹介されていますが、肩書きも今後いろいろ変わっていきそうですね。

小川:何でもいいですよね。僕は肩書きもあんまり興味がないので、例えばAIや未来の話をするときは、読者にとってはSF作家の人なんだって思われたほうが得かもしれないから、そういう時はSF作家のふりをするかもしれないですね。

――最後に『君が手にするはずだった黄金について』を手に取った読者の方たちへひと言お願いします。

小川:人によっては僕の視点が「わかる」ってなるかもしれないし、あるいは僕の視点を通じたその登場人物たちのことが「わかる」ってなるかもしれない。僕の視点が全然わからなくて、こんな変な考え方する人いるんだってなるかもしれないし、登場人物たちを見てこんな奴いるんだってなるかもしれない。何かに共感して読むこともできるかもしれないし、動物園で珍獣を眺めるように楽しむこともできる。身近な題材でいろいろなテーマを扱っているので、あまり片肘張らずに自由にいろいろな読み方ができる本になればいいなと思って書いています。感想とか言い合ったら全然違うものになったりとかするかもしれないし、あるあるになるか、反対にこんな人いるんだみたいなのもいいし、軽い気持ちで読んでもらえれば一番嬉しいですね。何が本当で、何が嘘だとかね、そういうこともそれぞれの読者の方が考えてくれればいいなと思っています。

君が手にするはずだった黄金について

小川哲
1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。2017年刊行の『ゲームの王国』で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞。2019年刊行の短編集『嘘と正典』は第162回直木三十五賞候補となった。2022年刊行の『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、第168回直木三十五賞を受賞。同年刊行の『君のクイズ』は第76回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞している。