誰もがうらやむ男性と婚約したのに幸せと思えないルリ。彼女が道を歩いていると、ある扉の前に立っていた/はざまの万華鏡写真館①
公開日:2023/11/8
『はざまの万華鏡写真館』(廣嶋玲子:作、橋賢亀:絵/KADOKAWA)第1回【全3回】
あなたが“必要としている”写真、お撮りします。そのかわり――。主人公は「万華鏡写真館」のリューという少年。彼が撮影する写真は客たちが予想していなかった仕上がりで、しかもその写真を受け取るにはある代償を差し出さなければならず――。さまざまな願いを持った客たちに、リューはどんな写真を写すのでしょうか? 子どもたちに絶大な人気を誇る「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズや「十年屋」シリーズの著者・廣嶋玲子氏による新作ダークファンタジー『はざまの万華鏡写真館』をお届けします。橋賢亀氏による美しいカバーイラストと挿絵にも注目です。
写真って、不思議なものですよね。
写しているのは現在なのに、撮った次の瞬間には過去のものとなってしまう。
でも、ひょっとすると、その過去が今度は未来を紡ぐものとなるかもしれない。
ここ万華鏡写真館では、そういう写真をお撮りしているんです。
さあ、どうぞ中に入って、そのイスにお座りください。
過去の記憶。
現在の欲。
未来への夢。
全てを重ねた一枚を、あなたのためにお撮りいたしましょう。
記念写真
暑い夏の昼下がり、ルリは一人で道を歩いていた。
真っ青な夏の空、降りそそぐ日差しで白く光って見える地面、暑さにも負けずに天にのびているひまわり。なにもかもが生命力にあふれ、輝かしい。
だが、そんな中で、ルリの心はどんよりと曇っていた。
「……こんなの、おかしいわよね? 私、今、すごく幸せなはずなのに」
ルリは婚約したばかりだった。相手はハンサムで優しく、しかもお金持ちの男性だ。結婚式の準備も着々と進んでおり、みんなからは毎日のように祝福の言葉が届いている。
誰もがうらやむような幸せを、ルリは手にしていた。なのに、どういうわけか、気持ちがもやもやして、落ちつかなかった。
なにかが違う。
そう思えてしかたなかった。が、それがなんであるかは、自分でもさっぱりわからないのだ。
「暑い……早く家に帰らなくちゃ」
今夜は婚約者が来ることになっている。彼が好きな料理を作ろうと、買い出しに出た帰りなのだ。
だが、婚約者のことを思いだしたとたん、ぐっと足取りが重くなった。
帰りたくない。「早く秋になるといいね。結婚式が待ちきれないよ」と、うれしそうに何度もいう彼に、今日は会いたくない。ああ、二十七歳の大人なのに、まるで駄々っ子のようだ。
自分はなんてひねくれているんだろうと、ルリは苦々しく思った。こんなに満たされているのに、幸せだと思えないなんて。
「もし、お父さんとお母さんが生きていたら……なんて言ったかしらね?」
ルリの両親は、ルリが十二歳の時に事故で亡くなった。幸いにして、たくさんお金を遺してくれたし、後見人になってくれた叔父夫婦も優しい人達だったので、暮らしに不自由することはなかった。
だが、今、あの二人が生きていたらと、ルリは心から思う。
いったい、どんな助言をしてくれただろう? ああ、今、あの二人に会うことができたら、どんなにいいだろう。
その時だ。ルリは、道沿いの生け垣の間にできた扉の前にいることに気づいた。
月と太陽の模様が刻まれた小さな扉。緑に塗られているため、うっかりすると、生け垣の葉にとけこんで、見落としてしまいそうになる。
だが、ルリは前からこの扉のことを知っていた。この先にはなにがあるのかしらと、ずっと気になっていたからだ。扉はいつも閉じていたから、余計に好奇心をくすぐられたものだ。
その扉が、なんと開いていた。しかも、取っ手のところには「開店中」という札がそっと下げてあるではないか。
ルリは思わず扉の向こうをのぞきこんだ。
生け垣によって緑のトンネルが作り出されており、それが奥へと続いていた。
まるで別世界へ通じているかのようだ。
ひさしぶりにわくわくした心地になり、ルリはトンネルを進んでみることにした。
この先にはなにがあるのだろう? 「開店中」ということは、お店でもあるのだろうか?
そんなことを思いながら足を進めていくと、ふいにトンネルがとぎれ、さっと明るくなった。
そこは少し開けた敷地となっており、小さな洋館が建っていた。白と灰色のレンガ造りで、かなり古いもののようだ。どの窓にも黒いカーテンがかかっているところを見ると、誰も住んでいないのだろうか?
いや、そんなはずはない。建物も庭も、きちんと手入れが行き届いているではないか。
入り口近くには、たくさんの木が植えられていた。不思議なことに、その木には白と紫、二色の花が同時に咲いていた。
雪のように白い花。
夢見るような藤色の花。
色は違えど、どちらもジャスミンのようなすずやかな匂いをふりまいている。だからだろうか。夏の日差しに照らされていても、その花達はどこかひんやりとした空気をかもしだしていた。
なんという名前の花だろうと、ルリはぼんやりと思った。町中でも何度か見かけたことがあるが、これほどみっしりと咲き誇り、しかもこんなに何本も植えられているのは見たことがない。
「それはブルンフェルシアという花ですよ」
ルリの心の声に応えるかのように、澄んだ声がした。
はっと前を見れば、建物の扉が開け放たれ、その奥の暗がりに一人の少年が静かにたたずんでいた。
十二歳くらいの、たじろぐほど美しい少年だった。陶器のような白い肌。黒羊を思わせるようなどっしりとした漆黒の巻き毛。だが、瞳の色はわからない。真っ黒な小さな眼鏡をかけているからだ。
服装も変わっていた。古風な黒ビロードのフロックコートに、見事な刺繡がほどこされた絹のベスト、袖口と胸元から雪のように繊細な白いレースをおしゃれにあふれさせ、ライラック色の大きなリボンがついたシルクハットをかぶったその姿は、まるでアンティーク人形のようだ。さらに、そのフロックコートには歯車やぜんまい、金属のボタンなどがびっしりと縫いつけてあった。
驚いているルリに、少年はにこやかに言った。
「ブルンフェルシアの花は、最初は紫色なんです。でも、数日かけて色が抜けていって、最後には真っ白になる。だから、木にはいつも二色の花が咲いているように見えるんです。まるで、現世と幽世、二つの世界の花を同時につけているかのようでしょう?」
「現世と、幽世……」
「あ、ごめんなさい。お客さまを外に立ちっぱなしにさせてしまうなんて、だめですね。おほん。万華鏡写真館にようこそ。ぼくはリューといいます。さ、どうぞ入ってください」
ルリは少し焦った。写真館に用はないからだ。
ごめんなさい。お客じゃないの。
そう言おうとしたのに、気づけばルリは建物の中にいて、リューと名乗った少年のあとについて廊下を歩いていた。
写真館の中は静かで、かなり暗かった。全ての窓に黒いカーテンがつけられ、しっかりと日の光を遮っているからだろう。昼なのに夜の気配がして、不思議だった。
不思議というなら、この少年もそうだ。
ルリは前を歩くリューをじっと見つめた。
どことなく、この世のものらしからぬ雰囲気がある子だ。
びっくりするほどきれいな顔をしているからだろうか?
子供らしくない古風な格好をしているからだろうか?
なぜ真っ黒な眼鏡などつけているのだろう?
その下に隠された瞳は、どんな色をしているのだろう?
カチコチと、少年から時計のような軽い音がするのは、コートに縫いつけられた歯車やボタンが触れあうせいだろうか?
あれこれ疑問は浮かんでくるのに、ルリは口に出すことができなかった。
そうして、奥の小さな一間へと通された。そこではアンティークのランプが灯され、ほんのりと柔らかな琥珀色の光に満たされていた。部屋そのものはがらんとしており、中央に丸い赤い絨毯がしかれ、その上に美しいイスが一脚、置いてあるだけだ。
だが、壁にはところせましと写真が飾られていた。
おもちゃの船を持って笑っている子供。
いかめしい表情をうかべている軍服姿の男の人。
うれしそうにほほえみながらポーズを取っている女の人。
仲良く手を取りあっている老夫婦。
セピア色の写真には、さまざまな人が写っていた。
「すごい……。これ、全部、この写真館で撮った写真なのかしら?」
「はい、もちろんです」
ふいに、リューが顔を近づけてきた。いきなりだったので、ルリはちょっと驚いて、あとずさってしまった。
リューはすぐあやまってきた。
「ごめんなさい。びっくりさせてしまいましたか? ただ、撮影の前に、お客さまのことをよく見ておこうと思って。あ、この黒眼鏡が気になりますか? ぼく、光に弱いんです。だから、昼間は室内でもこの黒眼鏡が欠かせなくて」
「あ、いえ、あやまることなんてないわ。私のほうこそ、じろじろ見ちゃって、ごめんなさい」
「それでは、このまま眼鏡をかけていてもかまいませんか?」
「もちろんよ」
「ありがとうございます。えっと、ではさっそく。お客さまはどのような写真をご希望ですか? どんなものでも、お客さまが必要とされている一枚を撮ってさしあげますよ」
「まさか、あなたが撮るの?」
「はい。まだまだ未熟者ですが、全力を尽くします。だから、ご希望をおっしゃってください」
写真を撮るつもりなどなかったルリだったが、リューの熱心な口調に気が変わった。こんなに撮りたがっているのだから、断るのはかわいそうだ。
「そうね。それじゃ、一枚撮ってもらおうかしら。じつは、私、秋に結婚するの。だから、独身最後の写真を撮っておくことにするわ」
「ああ、それなら記念写真ですね。おまかせください。ただ、少し準備にお時間をいただきます。ここで待っていていただけますか?」
さっと、リューは部屋を出ていった。
一人になったルリは、時間をつぶすために、壁に飾られた写真を見ていった。
本当にたくさんの写真があったが、中でも、ひときわ大きなものがあった。それは外からこの写真館を撮ったものだった。
建てられたばかりの頃なのか、写真館は真新しい感じだった。ブルンフェルシアも一本も見当たらない。そのかわり、入り口のところにはハンサムな男性が誇らしそうに立っていた。リューとどことなく似たおもざしで、大きなリボンがついたおしゃれなシルクハットをかぶっている。
なぜか目が離せず、ルリはその写真をずっと見ていた。
と、リューが大きなワゴンを押して戻ってきた。ワゴンの上には、いかにも年代物という感じのカメラが載っていた。
「お待たせしました、お客さま。あれ? その写真が気に入りましたか?」
「ええ。この人、あなたに似ているけど、あなたのお父さまかしら? それともおじいさま?」
ルリの質問に、リューはちょっとたじろいだようだった。
「その人は……はい、ぼくの父です。この写真館の初代の主人で……とても優れた撮影技師でした」
もう亡くなってしまいましたが、とリューは悲しげにほほえんだ。
「それは……お気の毒に……」
「はい。写真とカメラと、この写真館をなによりも愛した人でした。だから、ぼくはこの写真館を受け継ぐと決めたんです。この人が大事にしたものを、なに一つ欠けることなく守っていこうと思って」
愛しそうにカメラをなでるリューに、ルリは胸がきゅっとした。
「そう。偉いわね。もう夢が決まっているのね。……私なんか、全然だめ」
「だめ?」
「ええ。……なにをしたいのか、わからなくなってしまっているの。ただただ不安で、でも、なにに悩んでいるのかもわからない。まるで深い霧の中に迷いこんでしまったかのよう。両親が生きていたら、相談に乗ってくれていたかもしれないけれど……。あ、ごめんなさいね。こんな話をしちゃって」
「いえ、大丈夫です。むしろ、話していただけてよかった。おかげで、写真のイメージもきっちりとかたまりました」
ほほえみながら、リューは中央のイスに座るようにうながしてきた。
「さ、座ってください。ちょっと首をかしげた感じで。目だけでこちらを向いて。そう。いい感じです。そのまま少し動かないでいてください」
そう言って、リューはポケットから三枚のレンズを取り出し、一枚ずつ、カメラの中にはめこんでいった。
「過去の記憶。現在の欲。そして未来への夢。……よし。これでいい。用意ができました。では、こちらを見て! そのまま笑ってください。自分が望んでいることが叶った時のことを思いうかべて」
リューの言葉に、ルリの頭にうかんだのは、両親のことだった。
もしあの二人が生きていたら……。きっと、結婚のことを喜んでくれただろう。結婚式には二人とも晴れ着を着て、ルリと花婿のことを祝福してくれたことだろう。
喜ぶ両親のことを想像するだけで、ルリは自然と笑顔になった。
リューがカメラをのぞきこみながら叫んだ。
「いいですよ! その笑顔です! じゃ、そのまま動かないで。すぐ撮りますから。ほんと、すぐです」
カシャッ!
空気を打つようないい音が響いた。
そうしてルリの写真撮影は終わった。
<第2回に続く>