リューが撮影した写真に写っていたのは、驚いたことに花嫁姿のルリと亡くなったはずの両親、そして…/はざまの万華鏡写真館②
公開日:2023/11/9
『はざまの万華鏡写真館』(廣嶋玲子:作、橋賢亀:絵/KADOKAWA)第2回【全3回】
あなたが“必要としている”写真、お撮りします。そのかわり――。主人公は「万華鏡写真館」のリューという少年。彼が撮影する写真は客たちが予想していなかった仕上がりで、しかもその写真を受け取るにはある代償を差し出さなければならず――。さまざまな願いを持った客たちに、リューはどんな写真を写すのでしょうか? 子どもたちに絶大な人気を誇る「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」シリーズや「十年屋」シリーズの著者・廣嶋玲子氏による新作ダークファンタジー『はざまの万華鏡写真館』をお届けします。橋賢亀氏による美しいカバーイラストと挿絵にも注目です。
ふうっと肩の力を抜いて、ルリはイスから立ちあがった。
「現像にはどれくらいかかるのかしら?」
「そうですね。十分ほどお時間をいただければ」
「えっ! そんなに早くできるの?」
「はい。ここは万華鏡写真館ですから」
自信たっぷりに言って、リューはカメラを載せたワゴンを押して、部屋から出ていった。そして、きっかり十分後、ルリのもとに戻ってきた。
「出来上がりましたよ。こちらになります。ごらんください」
そう言って差しだしてきたのは、大きめのサイズの写真だった。
見たとたん、ルリは息が止まるほどおどろいた。
写真の中のルリは、真っ白なドレスをまとっていた。左腕には品のいいブーケをかかえ、髪には銀と真珠をあしらった髪飾りをつけて、幸福に満ちた顔でほほえんでいる。花咲くような美しい花嫁姿だ。
そして、そのルリの後ろには、両親が立っていた。父はタキシード姿で、母はお気に入りだった薄紅色のドレスを着ている。
二人とも、視線はまっすぐ前を向いているが、手はそっとルリの肩においている。ルリを守るように、あるいは祝福するかのように。なにより、その目には愛があふれていた。
写真の中から二人に見つめられている気持ちになり、ルリは胸が苦しくなるほどせつなくなった。
また二人に会えた。
そんな想いが涙と一緒にこみあげてくる。
だが、まだ驚くべきことがあった。
花嫁姿のルリの横には、男の人がいた。ルリと手を取りあい、うれしそうに笑っている。白い服を着ていることもあり、その人がルリの花婿だということは一目瞭然だ。だが、その人はルリの婚約者ではなかった。とは言え、まったく見知らぬ男性でもない。
その人は、パロさんだった。ルリがよく行く喫茶店のマスターだ。小太りで、ハンサムではないけれど、とても優しく、いつでもおいしいコーヒーとちょっとした甘いものを出してくれる。
喫茶店に行き、パロさんと話すのは、ルリのお気に入りの時間の過ごし方だ。どんな時も、とてもくつろいだ気持ちになれるから。ここ最近は、結婚式の準備で忙しくて、ご無沙汰をしてしまっていたけれど。
ああ、でもわからない。どうして、パロさんが花婿の格好をして、自分の横にいるのだろう? それに、自分は普段着のままで写真を撮ったはずなのに、どうして花嫁衣装を着ているのだろう? いや、それよりもなによりも、両親はなぜここに写っているのだろう?
わからない。ありえない。
混乱しながら、ようやくルリは顔をあげ、リューを見た。
「これ……どういうこと? ど、どうして二人が……それにこの花婿さんは……」
あえぐように言うルリに、リューは静かにほほえんだ。
「写真って不思議なものですよね。撮っているのは現在そのものなのに、撮った次の瞬間には過去のものとなってしまう。でも、ひょっとすると、その過去が今度は未来を紡ぐものとなるかもしれない。この写真館ではそういう写真をお撮りしているんです。お客さまが撮ってほしい写真ではなく、お客さまが必要とされている写真をね」
「必要……」
「はい。それに……記念写真を撮りたかったのは、お客さまだけではなかったということです」
その言葉に、ルリははっとした。
記念写真。ああ、そのとおりだ。これはまぎれもなく結婚式の記念写真なのだ。
そして、この写真を撮りたかったのは、自分だけではなかったという。
それはつまり……ああ、つまりは……。
わきあがる想いを言葉にすることはできず、ルリはふたたび写真を見つめた。そんなルリに、リューはささやくように言った。
「現世と幽世を重ねて写したその写真からなにを読みとるかは、お客さま次第です。……お気に召しましたか?」
「え、ええ。ええ、とても気に入ったわ。ありがとう」
「どういたしまして。では、お代をいただきたいのですが。お金ではなくて、そのペンダントをいただけますか?」
リューが指差したのは、ルリが首からかけている金のペンダントだった。三日月の上に青いトルコ石の星が一つはめこまれたそれは、ルリの母のお気に入りだったものだ。
ルリはひるんだ。それほど高価な品ではないが、母の形見としてこれまでずっと大切にしてきた。もちろん、手放すことなど、考えたこともない。だが、この写真はどうしてもほしい。
お金か、かわりのものを支払うからと、言おうとしたところで、ルリはぎくりとした。リューがどこかすごみのある笑みをうかべていたのだ。真っ黒な眼鏡ごしに、リューがこちらに問いかけてくるのを感じた。
知っている。
そのペンダントが、あなたにとって、どれほどかけがえのないものであるかを。
だからこそ、それでなければならない。
このありえない写真を手に入れるには、それだけの覚悟が必要なのだ。
声ならぬ声を聞いた気がして、ルリはごくりとつばを飲んだ。
覚悟。ああ、そうか。なにかを手に入れるためには、なにかを手放さなければならないのだ。
ルリは震える手でペンダントをはずし、リューに渡した。
「ありがとうございます」
ぱっと、リューは輝くような笑みをうかべた。
そうして、ルリは手に入れた写真を持って、万華鏡写真館をあとにしたのだ。
咲き誇るブルンフェルシアの横を通り、緑のトンネルを抜けて、よく見知った通りに出るまでの間、ルリはかたときも記念写真から目がはなせなかった。
なんて不思議な写真だろうか。ここに写っているのは過去なのか、それとも未来なのか。その両方のようにも思える。
ぱたん。
小さな音に、ルリは我に返って、後ろを見た。
生け垣にはめこまれた緑の扉が閉じられていた。もう「開店中」の札も見あたらない。
自分に対して、この扉が開かれることは二度とないだろう。
はっきりとそう感じながら、ルリはまた写真に目を戻した。リューの言葉がふたたび頭の中によみがえってきた。
「記念写真を撮りたかったのは、私だけではなかった……。ここからなにを読みとるかは……私次第……」
ふいに、すとんと、心の整理がついた。これからどうするべきか、自分がどうしたいのかがやっとわかったのだ。
「私……彼と結婚したくなかったんだ」
非の打ち所がない、完璧な婚約者。なのに、彼と結婚することに、ずっと迷いがあった。どうしてなのか、理由はまだわからない。だから、わかるまで結婚は延期しよう。
そう言ったら、彼は怒るだろうか? 悲しむだろうか? それでも、ちゃんと言わなければ。そしてもし、ケンカになり、落ちこんだ気持ちになってしまったら、その時はパロさんのお店に行こう。あの人が淹れてくれるおいしいコーヒーを飲み、ちょっとおしゃべりをしよう。それはきっと、なによりもの癒やしになるはずだ。
晴れやかな気持ちになって、ルリは顔を上げた。