「あの連載をやめさせろ」と選考委員が文藝春秋に怒鳴り込んだ問題作。筒井康隆自身をモデルに、直木賞落選作家が選考委員を皆殺し

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/21

新装版 大いなる助走(文春文庫)
新装版 大いなる助走(文春文庫)』(筒井康隆/文藝春秋)

 こういう痺れるような悪ふざけを待っていた。「こんなこと書いちゃっていいの!?」と思わず圧倒される。と同時に「よくぞ、書いてくれた」と、つい悪い笑みが漏れる。炎上上等。むしろ、世間がどんな反応を示すのかを楽しみにしながら、この本は書かれたに違いない。

 そう思わされるのが、『新装版 大いなる助走(文春文庫)』(筒井康隆/文藝春秋)。筒井康隆が閉鎖的な文壇を徹底的に揶揄した1冊だ。一言でいえば、この作品は「文学賞に落選した主人公が、その選考委員たちを皆殺しする」物語。実際に何度も直木賞に落選している筒井がそんな物語を堂々と描いたのだから、そりゃあ面白くないわけがない。おまけに、この物語では、作品が書かれた当時の、1970年代後半の直木賞選考委員たちがモデルにされている。あとがきによれば、モデルにされた選考委員のひとりが、この小説の連載を掲載していた「別冊文藝春秋」編集部に「あの連載をやめさせろ」と、怒鳴り込んできたというが、「さもありなん」と納得させられてしまうような問題作なのだ。

 主人公は、大企業のサラリーマン・市谷京二。仕事の傍ら、執筆活動に励んでいた彼は、ある時、同人誌に掲載していた作品が「直廾賞候補」に選出されることになった。市谷は、大企業に勤める実体験を小説に書いていたために職場に居場所がなくなり、退職を余儀なくされる。作家になるより他に道がない市谷は、どうしても直廾賞がほしいが、どうやら直廾賞を受賞するためには、選考委員たちに取り入る必要があるらしい。そこで、市谷は、金に目のない選考委員には賄賂を贈り、女狂いの選考委員には女を紹介し、男色家の選考委員には自らの体を差し出す。だが、結果、市谷は落選。全く作品が読まれていないことが分かる選評を読み、追い詰められた彼は、選考委員を殺害することを企てるのだ。

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 ブラックユーモア満載。この作品を読むと、「こんな文壇はいやだ」と思わずにはいられない。遠くから見ている分には笑わされるが、もし、この世界で生きなければならないとなると、冗談では済まされない。市谷はどれほどやるせない思いをしたことだろうか。同人誌界隈の誰よりも常識人だったはずの主人公がどんどん狂っていくさまには、唖然とさせられながらも、身につまされる思いもする。

 それに、読者は物語が進めば進むほど、困惑せずにはいられないのだ。これは告発なのだろうか、それとも私怨に満ちた妄想に過ぎないのだろうか。当然、誇張や歪曲は多々あるはずなのだが、読めば読むほど、どの程度、現実をカルカチュアライズしたものなのかと疑問に思わずにはいられない。作中では、直廾賞候補に挙がったSF小説が、「SFだから」という理由で落選させられているが、そういうSFの扱いがあったことは事実だろう。では、どこからどこまでが事実なのか。「もしかしたら、直木賞受賞のために、本当に金を積んだり、枕営業したり、なんてこともあったのでは?」——読者がそんな思考を巡らすことも、きっと筒井康隆の計算の内に違いない。

 ああ、筒井康隆はなんて恐ろしい小説家なのだろう。小説を愛する人も、小説家を目指している人も、この物語を読めば、そのあまりの猛毒に、のたうち回ることになる。この過激さ、危険さが、たまらなくクセになる。「筒井康隆といえば、『時をかける少女』」と思っている人は少なくないだろうが、そう思っていた人ほど、この物語には、打ちのめされるに違いないだろう。

文=アサトーミナミ