「姥捨山」と呼ばれる過酷な部署が舞台。パワハラ・セクハラが横行する人材派遣会社で戦うヒーローたちの奮闘記
PR 公開日:2023/10/21
何らかの壁にぶつかるたび、いつも思う。「わかりやすい正解があればいいのに」と。でも、そんなものはどこにもない。正解なんて、人の立ち位置によって簡単に変わる。
和田裕美氏による書き下ろし小説『それでも会社は辞めません』(双葉社)は、人材派遣会社を舞台に「人」と「仕事」の多様な在り方を描いた連作短編集である。全7章からなる本書は、章ごとに主人公が異なる。その誰もが、大きな挫折を経験した者たちだった。彼らが働く職場「パンダスタッフ」には、社内の方針に従わない者や売上に貢献できない者を追いやる「AI推進部」なる部署があった。別名「姥捨山」と呼ばれるその場所は、クレーム処理や雑用、飛んだ派遣社員の尻拭いなどを強いられた挙句、上役からは蔑まれる過酷な環境であった。
第1章で登場する福田初芽は、異動当初、上役たちから受けるパワハラにより心が折れかけていた。そんな折に町で偶然出会った「魚屋さん」は、彼女の話に耳を傾け、真摯な言葉で自分の考えを伝える。魚屋さんの言葉に勇気をもらった福田は少しずつ変わっていき、やがて彼女の変化がAI推進部全体に新しい風を運ぶ。
本書には、“わかりやすいヒーロー”は出てこない。むしろ、パワハラを耐え忍んでまで会社にしがみつく姿を「格好悪い」と思う人もいるだろう。だが、それが生きるための選択だとしたら、その決断を笑える人が果たして何人いるだろうか。
“よく『しんどかったら逃げたほうがいい』って言いますよね。でもあれは、逃げ場がある人向けの言葉です。”
かつて、福田が担当した派遣社員の言葉である。福田は入社当初、人材派遣の部署で働いていた。しかし、会社がもっとも大事にする「数字」よりも「人」そのものを大事にしたため、異動を余儀なくされた。AI推進部の社員は、心根が温かい人ばかりだ。しかし、だからこそ社内の方針とは相容れなかった。多くの企業は、会社を存続させるために生産性を重視する。
第5章に登場する水田速雄の章が、もっとも心に残った。それは、彼の心の声が自分の中にあるそれとよく似ていたからであろう。
“普通の人ができることを普通にできない人たちも一定数はいる。
どう足掻いても、そこからのし上がっていくことなどできない人もいる。
生まれた時に配られたカードがあまりにも弱すぎる人もいる。”
「企業」という箱の中では、どうしても結果が重視されがちだ。水田の本音は真っ当なものだが、この社会では真っ当な主張を通すことがあまりにも困難で、「普通にできない人」と「それをカバーする側」とが二項対立になりやすい。かと言って、「できない人」を排除することでバランスを保っている現在の構造が正しいとも思えない。
AI推進部のまとめ役である水田は、人件費削減のため会社から退職を迫られていた。水田の年齢は54歳。再就職先が簡単に決まる年ではない。だが、ほかの社員を守るために彼は退職勧奨に従う決断をした。50歳を過ぎて仕事を失う。次の就職先の当てもない。水田は猫2匹と生活を共にしており、猫たちの食費や治療費を稼がねばならなかった。その心情を、彼は端的にこう表している。
“死にたいな死にたいな死にたいな、でも猫がいるな。”
この一文に込められた切実な悲鳴を抱えている人は、現実世界にもごまんといる。
水田から理不尽なやり方で仕事を取り上げようとしたのは、彼の元同僚である石黒部長だった。石黒は、側近の野田、郡司と共にAI推進部の社員に対し悪質なパワハラを繰り返していた。しかし、そんな石黒にもまた苦い過去があり、人知れず深い後悔を抱えていた。石黒はある意味わかりやすい“悪役”だが、彼の過去を知る前と知った後では見え方が大きく変わる。人が他人に抱く印象など、どこまでも流動的で不確かなものだ。
わかりやすい正解がない問いを投げ出さない。それを貫くAI推進部の人たちは、私にとって紛れもなくヒーローだった。社会、企業、個人。単位が大きくなればなるほど、“個”が持つ本来の力は埋もれやすい。だが一方で、社会を支えているのは“個”の集合体だ。本書は、そのことを私に思い出させてくれた。生きづらさを抱える人たちに、この物語が届けばいい。「できない」は「ダメ」ではないし、誰しもその人ならではの持ち味がある。そのことが広く知られれば、より多くの人が楽に息ができるだろう。
文=碧月はる