平凡なおれが「女性にデートを断られた」とTVニュースに? 集団心理を風刺的に描いた筒井康隆のユーモア短編集
更新日:2023/11/10
〈NHKテレビのニュースを見ていると、だしぬけにアナウンサーがおれのことを喋りはじめた〉という一文で始まるのは、筒井康隆氏の短編集『おれに関する噂(新潮文庫)』(新潮社)の表題作。幻覚でも、幻視でも、幻聴でもない。テレビ画面におれ、つまり主人公である森下ツトムの写真がでかでかと映し出され、同僚女性にデートの誘いを断られたことが、地域の祭りと同列に報じられ、新聞の社会面にもしょうもないプライベートが晒される。週刊誌でも、電車のアナウンスでも、ラジオでも、ツトムが今どこで何をしているのか、毎日、逐一報じられてしまうのだ。
ツトムは決して何か目立つことをしたわけではない。たまたま、どうしてだか、世間の目に留まってしまい、中身は平凡な人間のまま有名人としての扱いを受けることになってしまった。わけがわからないし、たまったものではないが、SNSでバズった状態に似ている気もする。拡散が拡散を呼び、どうでもいいことが重大事のように扱われ、本人の手に負えない現象へと進化する。その集団心理を風刺的に描いたユーモアあふれる短編ともいえるのだが、本書が刊行されたのは昭和49年(1974年)。およそ50年前だ。……筒井康隆、やっぱりすげえ。そんな、馬鹿みたいな感想が漏れてしまう。
表題作に限らず、収録されている11の短編は、どれも“今”に通じる作品ばかり。たとえば「YAH!」は、ある日突然、主人公のアパートにやってきた家計コンサルタント・田中との戦いの日々を描いたもの。夫婦がちょっとでも贅沢をしようとすると、田中はどこからともなく現れてストップをかける。自分は3500円のランチを食べているくせに、主人公には質素な弁当で我慢するよう要求し、夜の営みすら無駄だと止める。だがどれだけ切り詰めて貯金を増やしても物価は値上がりするばかりで焼け石に水。いったい何のために働くのか、節約するのか。その問いかけと結末に、今の社会のしくみを照らしていろいろと考えてしまう。
「幸福の限界」は、何不自由ない暮らしをしている男の平和が、目の前で子どもを惨殺する母親を目の当たりにしたのをきっかけに崩れ落ちていく物語。自分の信じていた平和は、世の中で起きている事件に、自分を含めたみんなが無関心に近いお座なりの関心しか抱いていなかったために、かろうじて保たれているように見えていただけなのではないか。本当は世界では、恐ろしいことが進行しているのではないかと疑い始める。幸せごっこのような家庭と、地続きにある異常とも思える事件、その背景にあるもの。その対比がまるで他人事ではなく迫ってくるのだが、こんなふうに題材を分析して、知ったような顔をして読むことこそが、本書に対するいちばんの冒涜のような気もしてしまう。不条理で不可解なブラックユーモア。その味わいだけを純粋に楽しむべきなんじゃないだろうか、と。
でも、考えずにはいられないのだ。このつい“笑って”しまうものの正体がなんなのか。自分の関心は、平和は、どこにあるのか。内心を探り始めるとうっすら背筋がぞっとする。その感覚を味わうこともまた、本書を読む醍醐味なのである。
文=立花もも