50年前に書かれたSF短篇、現在実現しているのはどっち? 「テレビ電話」と「大便宇宙放出男」のSF作品を実現可能性の観点から比較考察
更新日:2023/12/25
2007年アップルから「初代iPhone」が発表された。タッチディスプレイ機能を搭載したこのスマートフォンの登場で世界に激震が走ったといわれている。
そもそも携帯電話という機器は、1966年に放映された「スタートレック」というテレビ番組で「コミュニケーター」と呼ばれる折り畳み式携帯電話として、初めて登場したらしい。こういったSF的な発想をもとに書かれた小説や映画などが、未来の予知になっているのではないか、という話はよく聞く。3Dホログラムやドローン、バーチャルリアリティーなど、当時なかったSF的アイデアが、数十年後に実現するケースは多い。
発売は2006年だが、それぞれの短編小説の初出は1970年代が多いと言われている『夜を走る トラブル短編集』(筒井康隆/KADOKAWA)にも、SF的発想で書かれた短編が多く収録されている。そのうち、2編を特に取り上げて、2023年現在に実現しているものと、今でも実現していないものについて、当時の描かれ方の違いから比較考察してみたい。
今では実現している、当時のSF的発想「テレビ電話」は、露出という面から描かれている
本短編集の9番目に収録されている「露出症文明」に登場するのは「テレビ電話」である。1行目から「私は電話という機械が大きらいだ。特に、かかってくる時がきらいだ。」と始まり、電話自体に対する苦言がしばらく続くくらいなので、確かに「テレビ電話」を買いたいと妻に言われて「赤の他人から否応なしに私生活を覗かれる」と反論するのにも充分頷ける。
まずもって電話それ自体に不安があるのに、その上、自分の姿を晒さないといけないなんて考えられない! という主張だ。そして「露出」を軸にした考え方は、買う側だけでなく売る側にまで浸透している。売る側としては、使用者の顔や服装、背景に映る私生活が「露出」することによって、通話者に不快感が与えられることを危惧しているのだ。
そのため、売る側は買う人に次から次へと、テレビ電話(本書の中では「ビューフォン」という商品名で紹介されている)を買う条件を突き付けていく。水準以上の年収、メイドの有無、家族とメイドの顔写真、部屋のカラー写真、家族の精神分析の診断書、露出癖はないかどうか……。
実現可能性によって変化するSF作品の描き方の違い
しかし、実現可能性がある程度高いテレビ電話だからこそ、苦言を呈すという形で表現しているのではないだろうか。1970年代には、すでに卓上電話機(ボタンを押すタイプのプッシュフォン)とカメラがあり、1960年にはカラーテレビが存在していた。その時点で、それらを複合したとも言える「テレビ電話」が開発され、身近になることはある程度予測できるものだ。皆が実現するかも、と熱狂しているのを横目に、こんなデメリットもあるけどね、とひとり冷ややかに皮肉を言うところに筒井康隆らしさがある。逆に、実現可能性が極めて低いことに対しては、冷ややかな態度をとっても、正直一般人はあまり惹かれないだろう。自分事にするには自分との距離が遠すぎるからだ。実現可能性が低いものは、むしろ、夢見させるような話のほうが読者としては喜ばしい。
そういった意味において、次に紹介する「腸はどこへいった」は実現可能性が限りなく低いSF短編で、こんな現象があったら面白そう、といったある程度距離のある楽しみ方ができる。
腸が宇宙に接続され、排泄すべき大便と小便を宇宙に放り出せる男
英語の成績がいい主人公は、便所で英単語を覚えることが秘訣だと語る。彼は1日に3回も大便をしに便所へ行くため、英単語をどんどん覚えていくのだそうだ。しかしある日、食っても食っても便通がまったくないことに気がつく。英単語を覚えるのに夢中になっていて、便が出たかどうか不注意だったそうである。そんなわけあるか、という少しばかり非現実的で滑稽な理屈だが、「テレビ電話」とは異なり、実現可能性の低いタイプのSF作品においては、自分との距離があるため、これくらいの理屈を読者もすんなり受け入れてしまうのだ。
外科医のおじに診てもらってわかった原因は、腸捻転に加えて腸重積、それを治療するために腸の位置を腹の上から調整している時に、位相幾何学的な観点から捻じれが起こり、他次元の宇宙に接続してしまった、とのこと。そのため、主人公が排泄しなければならない内容物が、宇宙に飛び出してしまっているのだ。
読者のほとんどすべては、こんなSF的発想が実現するとは露ほども思っていないだろう。そして筒井康隆本人も、また同じ考えだと思う。だからこそ、「テレビ電話」のような冷ややかな視点で描くのではなく、「便所へいく手間がはぶけるじゃないか」や「将来家を建てる時に便所がいらないので建築費が安くなる」といったメリットを強調してみせて、読者にも夢を見させているのだ。
今後もSF作品は多く書かれることだろう。その実現可能性が高いか、低いか、作家自身がどう思っているかは、もしかしたら描かれ方によってすぐに判別できるかもしれない。SF作品の楽しみ方の選択肢を増やしてくれた短編集だった。
文=奥井雄義