母のきもの箪笥/きもの再入門①|山内マリコ

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/14

一冊のきもの本と出会う

 俄然、きものが気になりだして、手始めに一冊、本を買った。『きもの手帖―アンティーク着物を自分らしく着こなす』(fussa/雄鶏社)。選んだ理由は、モデルが香椎由宇さんだったから。アンティーク着物がどんなものかはピンと来ていなかったけれど、本としての繊細なデザインに惹かれて、とりあえず手にしたのだった。この本を皮切りに、二〇〇九年はきもの本ばかり買っていた。けれど、好みにいちばんフィットしたのは結局、最初に買ったこの本だった。夜な夜なめくり、穴が空きそうなほど見つめた。

 アンティークきものでまとめられたコーディネートは、どれも絶妙に着てみたいと思えるものばかりだった。くどすぎず清涼で、地味すぎず派手すぎず、手の届きそうなおしゃれという感じ。小紋や御召、銘仙といった種類別であったり、一つのきものを帯や小物を変えて着回したり、逆に同じ帯をきものを変えて着回したり、袷や単衣といった季節ごとのルールを紹介したり、初心者の入門書にもぴったりだった。わたしはこの本によって、きものへの憧れを一気に加速させた。

 

 これはのちのち雑誌「七緒」の対談連載で、きもの研究家のシーラ・クリフさんに聞いたお話だが、ちょうど『きもの手帖』が刊行された頃、二〇〇〇年から二〇〇五年にかけて、きものの世界が大きく変わったそうだ。

 それまでは、うんと高額なきものを男の人に買ってもらうことがステイタスとされているような、どこか封建的な、じめっとしたクローズドな世界だった。奥様たちの見栄と、それに群がる権威主義的な呉服業界がきもの文化を囲み込んでいた。手の込んだ友禅、ぎらぎらの帯、それはそれでとても美しいけれど、バブル崩壊から十年が経ち、市場はシュリンクする一方。そんな時代、草の根的に、かつ同時多発的に、いくつかの動きがあったとシーラさんは語った。

 きもので街歩きするイベント〈きものde銀座〉の開催もそうだし、SNSの先駆けだったmixiによる、同好の士たちとの活発な交流もそう。それまでは、きものは高くてなんぼであり、安いことは恥ずかしいことだった。「恥ずかしい」は日本文化において、死にも等しい脅しである。ところが若い女性たちは、その価値観を逆転させた。彼女たちはリーズナブルであることを「良いこと」だと、当然のように認識したのだ。

 きものリバイバルを牽引したブランド〈豆千代モダン〉が誕生したのもこの頃。そして、アンティークとチープを謳った「KIMONO姫」や、初心者向けで優しい「七緒」といった雑誌の創刊も、この時期に集中している。たしかにこの時代、わたしも本屋さんで、若者向けのきもの雑誌を頻繁に目にするようになった記憶がある。一分の隙もないきもの姿の女優さんが表紙を飾る高級誌とは違って、新しいきもの雑誌では、十代の人気モデルがアバンギャルドに着こなしていた。

 シーラさんはこの一連の動きを、「デモクラシーだと感じた」とおっしゃった。日本人が自分たちの服飾文化を取り戻し、きものはストリートファッションになったのだ。

 

 わたしが恋い焦がれるようにしてめくった『きもの手帖』も、この流れの中に位置づけられる。アンティークきものという「古着」を、若い女性のユニットfussaが、現代の感性でスタイリングしフレッシュに蘇らせたコーディネートに、わたしはうっとりと夢見心地で見入った。そしてだんだん、写真を見ているだけでは飽き足らなくなってきた。

<第2回に続く>