誰にでもやって来る人生最後の日。その事実をしっかり心に刻み込むことで、もっと輝く自分に
公開日:2023/10/31
幸せとは何か。未来への不安は常にある。だが人生最大の不幸は、死が間近に迫ったときに、それまでの人生に後悔することではないか。
そう訴えるのは、書籍『あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』(ひすいこうたろう/ディスカヴァー・トゥエンティワン)だ。
本書では、いつか訪れる人生を終える日にまつわる問答が繰り返される。自身の死をイメージすることは、すなわち新しく生まれ変わるためのきっかけになる。本書の内容を一部引用の上で紹介していく。
人生が「80年」だとしたら、あと何回桜を見られるか
想像してほしい。今、あなたは病院のベッドの上で天井の蛍光灯をぼんやり見上げている。ゆっくりと近づく死の瞬間まであと30秒の瀬戸際で、「いつ終わりが来ても後悔はない」と「胸を張っていえる人生だった」と言えるのか。
自身の死を連想する問答は、すなわち今日から新たに生きることにも通じる。例えば、本書では「あと何回桜を見られるだろう?」と問いかける。人生が80年として、自身が30歳であれば春が訪れるのはあと50回となる。数秒、数分、数時間と、刻一刻と寿命へ近づいていると自覚するかしないかで、生きる意識に差が生まれる。
古代ローマでは、戦争から凱旋した将軍が勝利の喜びに浸って「メメント・モリ」、すなわち「死を忘れるな」と従者にささやかせたという。
人はなぜか自分だけは死なないと考える。しかし、いずれ死ぬ存在であると思えば、有頂天になることもなく、物事をいつも正しく判断できるようになるはず。現実から目を背けてはならないとする本書の主張は、強く心に響く。
この先、死ぬとしたら仕事を続けるのか
人生の大半を費やすのが仕事だ。ときにストレスに苛まれながらも、生活のため、私たちは仕事に励んでいる。
しかし、「半年後に死ぬとしたら、いまの仕事をやめる?」と聞かれたとき、どんな選択肢を取るだろう。本書では、著者の友人のエピソードを紹介している。
起業した著者の友人はかつて、20代で1億円の借金を背負ったという。切羽詰まった友人は、車を運転しながら対向車線のトラックへアタックしようと決断、自身の命と引き換えに借金を返そうと考えた。
結果、踏みとどまったが友人はまぎれもなく、その時点では死を決断していた。しかし、その日も仕事の一環であるメールマガジンの配信をしていた。つまり、変わらぬ日常を過ごしていたことになる。
それは事前に「明日死ぬとしたら、何をしますか?」との問いに、答えていたから。友人は悩んだことをノートに書く習慣があり、ノートには育ててくれた父への感謝と「明日死ぬとしても、メールマガジンは配信する」と綴られていたという。
じつは、本書を手に取った動機は、本稿の筆者である私が人生にふと行き詰まりを感じたからだった。ただ今は、心なしか気持ちが軽くなった。それは、本書のメッセージが響いてきたからだ。
誰にでも死は訪れる。しかし、けっして後ろ向きなものではなく、むしろ、見つめ直すことでたった今からの人生が、変わる可能性もあるということを学んだ。
文=カネコシュウヘイ