江戸城は土づくりの質素な城だった!? 徳川家康にゆかりの城を巡り、歴史のロマンを感じる
公開日:2023/10/31
今年は、NHKの大河ドラマ『どうする家康』を皮切りに、歴史上の偉人・徳川家康に注目されている。その「人生や生き様」がにじむのが、各地に点在する家康ゆかりの「城」だ。
日本全国350箇所以上の城を巡った中学生の「お城博士」こと栗原響大さんの著書『おもしろすぎる家康の城図鑑』(KADOKAWA)は、家康の歴史を学べる読んで楽しいガイドブックだ。城郭考古学者の千田嘉博さんが監修をしている。
家康が生きた城はもちろん、同じ時代を生きた「家臣たち」や「ライバルたち」の城も収録しており、歴史ファンは必見の1冊。一部引用で、その内容を紹介していく。
城の象徴「天守」は戦国時代の武将たちにより進化
実際の城を巡る前に、そもそも城とは何かを少しだけ学びたい。本書によると、日本で初めて城が誕生したのは「弥生時代」までさかのぼる。元々は、「集落を守り、戦うための砦」であったが、戦国時代になると「城主が城でくらすようになり、戦いの場と生活の場」となったという。
足を運ぶ際には、いくつもの注目ポイントがある。例えば、敵が攻め入ってきたときに立てこもる「最後の砦」としての「天守」だ。当初は「詰丸」とされていたが、戦国時代になると、武将たちが「豪華で立派な高層建築」を築くようになり、自身の「権力」をアピールするため「天守」を飾るようになったのだそう。
その屋根を装飾する三角形のパーツ「破風(※はふ)」や、壁の隙間から雨風が侵入するのを防ぐ「懸魚(※げぎょ)」には、城ごとのこだわりが垣間見える。まさに、時代を生きた城主たちを示す「城の顔」といえる。
開運スポットもある家康が生まれた地の「岡崎城」
愛知県岡崎市にそびえ立つ「岡崎城」は、家康が「生まれた城」として知られる。別称は「竜ヶ城」で「城を敵から守ってくれる竜神様の伝説」が由来となっており、なんと「家康が生まれたときにも竜神が現れ、天を舞った」という逸話もあるとは驚きだ。
家康の「聖地」を巡るなら「絶対に見逃せない」と、著者は強く主張する。ただ、じつは「家康が生まれたときの岡崎城のすがた」は不明。これは、明治時代の「廃城令」で取り壊されたためで、現在の天守は「1959年」に復興したのが理由だ。
それでも、岡崎城の周囲には家康の産湯に使われた水を汲んだという「東照公産湯の井戸」や、生まれてまもない家康の「えな(へその緒と胎盤のこと)」を埋めたといわれる「東照公えな塚」などがあり、現代では「開運スポット」として多くの人が足を運んでいる。
東京の中心にある「江戸城」は世界最大級の城
東京都千代田区の「江戸城」は、日本のみならず「世界最大級の広さ」を誇る城だ。豊臣秀吉から「関東への領地替え」を命じられた1590年の当時は「土づくりの質素な城」であったが、のちに「度重なる大改修」により「立派な石垣づくりの城」になったという。
現在は「皇居」であるため、自由に見られない場所もある。それでも、周囲にはたくさんのみどころが点在する。正面玄関にあたる「大手門」は、城下町であった当時、各地の「大名や旗本」が江戸城へ登城する際に、従者である「家臣」が「主君」の帰りを待った場所だ。
防衛の要となった「櫓(※やぐら)」もあり、江戸城にあった「19基の櫓」のうちのひとつ「富士見櫓」は、全国で「12基しか現存しない貴重な3重3階の櫓」だ。1657年、江戸市街が大きな被害を受けた「明暦の大火」で「天守が焼失」して以降は、「天守のない城」となった江戸城の「天守の代わり」となった。
本書ではこの他にも、家康にゆかりある「二条城」や「名古屋城」など、日本各地にある数々の城を取り上げている。ページをめくるたび、感じられるのは歴史のロマン。著者のように、足を運びたくなってしまうほどの魅力を持つ。
文=カネコシュウヘイ