美しいあの母親は毒親だったのか? 『惡の華』押見修造氏が描く母親と息子の運命の歯車を描いた『血の轍』がついに完結
更新日:2023/12/12
『血の轍』(押見修造/小学館)が完結した。全17巻。ひとりの男、長部静一の人生を描いた漫画だととらえるなら短い。しかし彼の人生は険しいものだった。中学生という人生のごく早い時期に母親に心を踏みにじられ人生を狂わされ、親もとを離れてもなお精神的に追い詰められ、母親から解放されるまで長い月日を要したからだ。全編を通して強調される、手描きの黒い線や陰影の濃さ、母親の容貌の変化は、静一の心象風景そのものであり、多感な少年時代にもっとも身近な血縁者から受けた心の傷が、いかにその後の人生に影響するかを物語っていた。
序盤、静一はどこにでもいる男子中学生だった。しかし当時の彼が目にしていた穏やかな情景は、静子という母親の存在によってゆっくりとかき乱されていく。中学生時代は人間が自立に向かっていく時期である一方、まだ義務教育中の子どもなので周囲の環境が人格形成に大きく影響する。前半、静子は静一に依存しているように見えた。これは静一が小学生であれば多少過保護だと受け止められる程度のものだったかもしれない。しかし静子は、息子の成長をくい止めるような行動をとり続け、やがて憎悪に近い眼差しを息子に向けて突き放した。10代前半の静一は、母に深く愛されているのか、強く憎まれているのか判断ができない状況に追い込まれて混乱する。彼にとっての救いは、両想いの吹石という少女だったが、心には母による血の轍(車輪の跡)が既にへばりついていた。
やがて彼は母に操られるかのように大きな事件を起こす。時は戻らず、救いはもう来ない。10代前半から30代半ばになった静一は、死んだように日々を生きる壮年期を迎えていた。それでもかすかに存在していた人生の未練が断たれた時、彼はいよいよ自死を決意するが、老いた母との思いがけない再会が、彼を死から遠ざける。そこには自分の幸せを打ち砕いた母しかいないのに。
最終巻の17巻では、静子と静一にいよいよ決別の時が来る。衰えて横たわる母の横で静一が目を閉じると、そこには中学生の自分と、若く美しい母がいた。静子は、静一を愛していたのか。その答えを現実で静子が口にすることはないが、静一は夢の中の光にあふれた世界で母親と対話をして、自分と母の関係に決着をつける。決着をつけざるをえなかった、とも言えるだろう。静一が目を開けると現実の母は老女になっていて死の淵にいる。母が静一に対してどのような感情を抱いていたかは、結局のところ母にしかわからない。しかし静一はその母を自分の脳内に登場させなければ、自分の母子関係を整理することができなかったのではないだろうか。静一の脳内は光に満ちていて、そこには中学生の静一と若く美しい母がいることからも、これは静一の主観であることがわかる。
ふと問いがよぎる。静子は、本当に毒親だったのだろうか。
既に30代半ばを迎えた静一に、静子が自分の過去を語り出すシーンがある。そこで私は静一の見る世界と静子の見る世界は違うのではないかと感じるようになった。静子自身も血縁者との関係に苦しめられてきた人物であり、もし本作の主人公が静子で、静一ではなく母の静子の視点からぶれない物語であったなら、本作は世界観が覆っていたのではないだろうか。静子は毒親ではなく、静一が母を苦しめる子どものように見えた可能性も高い。
前提として、本作は静一の視点からぶれずに語られるため、この漫画で描かれているものは彼の心象風景である。ところが終盤、唯一、静一の視点からほかの登場人物の視点へと移り変わっているのではないかと思われるシーンがある。その人物は、恐らく静一の長い人生でただひとり、彼が母の呪縛から逃れるための道を示してくれた初恋の人、吹石だ。彼女をまとう世界は光に満ちていて、外見は10代のころとほぼ変わらないと言えるほど若い。結末が近づいて吹石視点の場面になったのかと一瞬思ったが、私は、それは静一の見た夢の可能性もあるのではないかと考えた。美しい母と同じように、若い時とあまり変わらない外見の初恋の人が自分を完全に忘れていない。これはありうることだろうか。静子や吹石が登場する時、静一の周囲は光に満ちている。長い人生の中で、中学生のカップルが恋愛関係になった数か月は一瞬に等しい。しかし残酷なことだが、若い時を死んだように生きた静一にとっては違うのだろう。初恋は美化されているはずなのだ。どんなに時を経ても中学生時代の限られた時期のことを鮮明に吹石が覚えているだろう……過ぎ去った日々を取り返せないまま生きる静一はそう思い込むほかなかったのかもしれない。あくまでも私の考えにすぎないが、やはり本作は最初から最後まで静一の視点からぶれることはなかったのではないだろうか。
血の轍。静一は、人生でさまざまなものを諦め、母の呪いに縛られながらも生き続け、ようやくそこから逃れることができた。最後の1ページに書かれた2行の文章を読んだ時、読者の胸にはさまざまな思いが去来するだろう。人によっては、自分自身の家族関係や思春期がよみがえってくるかもしれない。それはつらいことかもしれない。しかし、最後に収録されている作者のあとがきまでが『血の轍』である。読み終えた時、私たちは考えなければならない。静一の人生とは、何だったのかを。自分の人生とは、家族とは、何なのかを。
文=若林理央