かわぐちかいじ 中央線沿いに住むきっかけとなった憧れの漫画家。船会社の息子が上京し『沈黙の艦隊』を描くまでの読書歴を語る【私の愛読書】

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/3

かわぐちかいじ先生

 さまざまな分野で活躍する著名人に、お気に入りの本を紹介していただくインタビュー連載「私の愛読書」。今回お話を伺ったのは、漫画家のかわぐちかいじ先生だ。数多くのヒット作を世に送り出すかわぐち先生が挙げた愛読書は、1960年代に描かれた貸本漫画『漫画家残酷物語』、第51回芥川龍之介賞受賞作『されど我らが日々──』、夏目漱石の“前期三部作”の中の一作『それから』の3作品。一見バラバラに見えるが、若き日のかわぐち先生に大きな影響を与えた本だという。

(取材・構成・文=成田全(ナリタタモツ、撮影=金澤正平)

■フッと頭に浮かんだものを選んだ3冊

──かわぐち先生は、学生時代に永島慎二さんの『漫画家残酷物語』に出会わなかったらおそらく漫画家にならなかった、と以前インタビューでお話しなさっていましたが、どんなところに惹かれたのでしょう?

かわぐち:中学生ぐらいですかね、その頃は「週刊少年マガジン」や「週刊少年サンデー」はもう出ていたんですけど、貸本漫画にハマって。貸本漫画には今の青年漫画の感じがあって、さいとう・たかをさんとか白土三平さん、平田弘史さん、水島新司さんとか錚々たる漫画家さんたちが描いていたんですけど、その中に永島さんがいたんですよ。永島さんの描く漫画っていうのがいわゆる劇画じゃなくて、童話と西洋絵画を合わせたような、見たことがない画風だったんです。弟(一卵性双生児の協治さん)と2人で『漫画家残酷物語』に夢中になりました。

漫画家残酷物語
漫画家残酷物語』(永島慎二/グループ・ゼロ)

──『漫画家残酷物語』は一話完結で、話ごとにテイストや絵柄が変わるのが特徴です。

かわぐち:そうなんですよ、一作ごとに変わる。しかも扱うテーマがいわゆる劇画のハードボイルド・サスペンス・ドンパチじゃなくて、漫画家の悲哀や悲喜こもごもというリアルな生活を描いていたんですよ。文学や小説が扱うような生と死というテーマを漫画でやったんです。 僕と同世代の漫画家の人たちと会って色々話を聞くとね、永島さんに憧れてる人がもういっぱいいましたよ。 僕らのちょっと上の世代は手塚(治虫)さんですけど、僕ら団塊の世代はね、 永島さんが多いんじゃないですかね。それぐらい漫画家になりたいという少年たちを吸収する力がありましたよ。そして上京すると、永島さんが阿佐ヶ谷に住んでいるのをみんな知ってるから、同じ空気を吸いたいという憧れで中央線沿線に住んで、『漫画家残酷物語』のように新宿で夜明かしして、帰って寝るという生活をしてました。

かわぐちかいじ先生

──そして2冊目は昭和30年前後を舞台に、左翼運動に挫折した学生たちの出会いと別れを描いた、柴田翔さんの『されど我らが日々──』です。これは1964年の芥川賞作品ですね。

かわぐち:読んだのは高校生になってから、66年か67年頃で、有名な小説だったんでみんな読んでましたね。ただ尾道の町は平穏なものだから、学生運動の空気とか全然ないわけですよ(笑)。で、本の中を見ると東京の学生の政治的な軋轢が濃密に書かれてる。そういうのに田舎の高校生や中学生が憧れたんですよね。大人の世界って言うんですかね、“都会”と“大人”と“政治”という。永島さんを読んで漫画家になりたい人がいたように、『されど我らが日々──』を読んで、都会に出て、学生になりたい人が結構いたんじゃないですかね。

されど我らが日々──
されど我らが日々──』(柴田翔/文藝春秋)

──かわぐち先生もその後東京に出て大学生になったので、大きな影響があったのでしょうか。

かわぐち:やっぱ影響されますよね、大学行けるんだったら行こう、って。俺も弟もね、漫画家になりたかったんですよ、高校時代から。でも勉強そっちのけでやってたんで、成績がどんどん落ちていくわけですよ。でもおふくろさんが教育ママで、とにかく進学してくれと尻引っぱたくわけです。でも漫画を描くのはやめられない、成績は下がる、これじゃあ進学できない、東京へ行けない、漫画家になれない、と。そうしたらある夜ね、 親父が俺らの2階の部屋に上がってきて。親父が部屋へ来るなんて前代未聞なんですよ。それがそこら辺にゴローンとなってですね、「どうする? お前ら、船に乗るか?」とか言うんですよ。

──ご実家は海運業ですよね?

かわぐち:ええ、親父が勤めていた石油の元売り会社から独立して、暖簾分けみたいな感じでちっちゃな船会社を興したんです。それで給油船っていいますかね、尾道ではタンク船っていうんですけど、その船を作って1人で始めたんです。それまで時々アルバイトで船に乗っけられたんですよ、弟と俺で代わりばんこにね。それで瀬戸内海行き来するんですけど……これが退屈なんですよ(笑)。とてもじゃないけどこんな仕事やりたくないなと思っていて、親父もそれまでは「船なんか乗らなくていい」みたいな感じの空気だったのに、いきなりそんな話になって。俺も弟もですね、「進学しないと尾道で船乗りにさせられる。漫画家になれない!」って、それで火が点きましたね。それから受験勉強に真面目になったんですよ。めっそうもない!と思って。

──聞くところによるとお父様はご子息の名前「開治と協治」から「開協丸」という名前を船につけていたそうですね。

かわぐち:ははは、恥ずかしいんです、これが。もうね、同級生にやじられるんですよ、「お、開協丸が走ってる」って。親父はまあね、子供可愛さでそういう名前をつけたんだろうけど、恥ずかしかったですね(笑)。親父はおふくろさんが進学させるって熱心だったから、しょうがないと思ってたのかもわかんないけど、本当はね、自分で会社興したから、子供と一緒に仕事したかったんじゃないですかね。結局弟が実家に戻って、継いでくれました。

かわぐちかいじ先生

──そして3冊目は夏目漱石の『それから』です。

かわぐち:『それから』は卒論で書いたんですよ。ゼミが漱石だったんです。内容? もう忘れましたね(笑)。

それから
それから』(夏目漱石/KADOKAWA)

──『三四郎』『それから』『門』という夏目漱石前期三部作の中の作品ですが、『それから』は漱石作品の中では比較的マイナーで、内容も結構ヒドい話ですよね? どういったところが琴線に触れたのでしょう?

かわぐち:なんかね、崩壊していく感覚というかね、自分の周りの生活、支えてきたものが全部崩壊して、自分が投げ出されていく感じがリアルだった。高等遊民で批評ばっかりしてた主人公が、父親から勘当されてどんどん生活が苦しくなって、やっと自分で地に足を着けるようになって、友人に譲った女性への気持ちに正直になって、それによって苦しめられて、苦労を背負って生きていく、というところに追い込まれていくリアルな世界が面白かったですね。

──かわぐち先生だと冒険小説などを選ばれるのかなと思っていたので意外な選書でしたが、若い頃に影響を受けたという大きな共通点があるんですね。

かわぐち:あんまり冒険小説、冒険的なものってのはないんですよね。まあ、嫌いじゃないんですけど。この3冊は考えて考えてというわけじゃなくて、フッと頭に浮かんだ、思いつくのをパーンと選んだ感じです。根が明るいので、暗いのが好きなんでしょうね。

■仕事場に積んである本は「生きてる本」

──かわぐち作品では「日本という国のあり方」をずっと問い続けていらっしゃいますが、日本という国を理解するための、おすすめの一冊があればおしえてください。

かわぐち:内田樹さんの『日本辺境論』です。今の日本の空気感と言いますかね、それをこの人はきちんとつかんでるんだなと感じました。日本は辺境でいいじゃないか、その辺境から世界を見て、日本をどう生かしていくか、という考え方は腑に落ちましたね。日本人は結局リーダーにはなれないけれども、外のことを取り入れて学んでいく生徒という生き方がぴったりだという考え方なんですよ。学ぶことに特化すると日本人はすごい能力を発揮するし、学びの姿勢は世界でピカイチだろうと。そういう、日本がここまでやってきた特性をちゃんと生かしていけばいいんじゃないかという、辺境という考え方がきちんと捉えられたのって、多分これが最初かなと思うんですよね。

かわぐちかいじ先生

──その辺境の地である日本の海上自衛官だった海江田四郎が、一艘の高性能原子力潜水艦を率いて反乱を起こす大ヒット作『沈黙の艦隊』が大沢たかおさん主演で映画化されました。

かわぐち:これまで実写映画にしようという意欲のある人たちが結構いて、手を挙げてくれた人もいたんですよ。だけど具体性がなくて、しかも作品が20年、30年前のものになっていって、じゃあそれをどう撮るんだという難しさがあってですね、どんどん時間が流れていったんですよ。でも今回、30年前と現代とのマッチングでそんなにおかしくない脚本が出来て、それを読んで「これだったらいいかな」と思えてですね、それじゃあお願いしますと。ようやく実現したかなと思いますね。

──同作でプロデューサーも務める大沢さんは、かわぐち先生の仕事場までいらしたそうですね。

かわぐち:役者さんとは思えないくらい、制作サイドの人のように熱心でね、本当にやりたいんだなっていうのがビンビン伝わってきました。実は大沢さんだとちょっと海江田とは雰囲気が違うんじゃないか、という感じがあったんですよ。でもお会いして色々話を聞いてると、とにかく最後までやるんだっていう、実現に向かうエネルギーがあって、それが原作での海江田の航海とシンクロして、外見じゃなくて精神的な部分で海江田を表現できるんじゃないかと感じたんです。

──今後が楽しみです。ところで写真撮影で仕事場へお邪魔したら、ものすごい絶妙な本の積み方をされていましたが、あの本はどういう位置づけのものなんでしょう?

かわぐち:読み終わって、「もうこれは自分と関係ないな」と思う本は地下の倉庫に入れてるんです。でも「ひょっとしたら」とか「なんかこんなこと書いてあったかな」という気になった本だったりすると、それをすぐ手に取って読みたいと思うので、近くに置いてるんです。だから積んであるものは大体「生きてる本」なんですよ、まだ自分の中で。すごい面白かった本は置いといて、ちょっと立ち読みするんです。そうするとこう、やる気が出てくるんですよね。

──ライバル心みたいなものでしょうか?

かわぐち:そうですね。「こういう感じで行きたいな」とか「俺も負けないでこんな世界を描きたい」という気持ちになりますね。

かわぐちかいじ先生

【プロフィール】
かわぐち・かいじ 1948年広島県生まれ。本名川口開治。明治大学文学部日本文学科卒。大学在学中の1968年『夜が明けたら』でデビュー。主な作品に『アクター』『沈黙の艦隊』『ジパング』『太陽の黙示録』『空母いぶき』など。現在「ビッグコミック」で『空母いぶき GREAT GAME』連載中。

<第34回に続く>