光源氏は10歳を相手にしたロリコンでマザコン。ジェンダー論的視点から『源氏物語』を読み直したドゥマゴ文学賞受賞作

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/1

ミライの源氏物語
ミライの源氏物語』(山崎ナオコーラ/淡交社)

 フェミニズムやジェンダー論的な視点から『源氏物語』を読み直したらどうなるか? 山崎ナオコーラ氏の『ミライの源氏物語』(淡交社)は、そんな難題に挑戦した野心作である。山崎氏は、男女という概念に自分の性別が当てはまらない、いわゆるノンバイナリーを自認しており〈なぜ人間はカテゴライズをしてしまうのか? と考えることをライフワークとしている〉という。

 古典文学を読み替えた作品には、『枕草子』を女子高校生言葉で綴った橋本治の『桃尻語訳 枕草子』という傑作があるが、本書は同作とはやや趣が異なる。貧困問題、マウンティング、不倫、エイジズム、トロフィーワイフ、ホモソーシャル、性加害といったキーワードを用いて『源氏物語』を再解釈するのだが、これが滅法に面白い。2023年度のドゥマゴ文学賞を受賞したのも納得である。

 平安時代の読者に近づくのではなく、今の観点で古典文学の読み方を刷新すること。現代の価値観や倫理観で物語に焦点を当て、LGBTQの読者にも届けること。著者はそうしたことを念頭に置いていたのだろう。

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 例えば、容姿のことでからかわれる末摘花の描写は、今ならルッキズムの話として読める。また、およそ10歳の紫の上と体を重ねた光源氏はロリコンだと著者は言う。あるいは、光源氏が8歳か9歳の頃に、亡き母に顔が似ているという理由で父と結婚した藤壺の話。光源氏は当時14歳だった藤壺を実の母親のように慕うのだが、親でない異性に母親役を求めるのはマザコンに他ならない。そう著者は言う。

 それにしても、いくら『源氏物語』が昔の話だといっても、極端な男尊女卑がまかり通っていたことに驚き、唖然とした。本書によれば、女性は結婚相手や父親の経済力に頼って生きていくしかなく、一度は栄えた一家が落ちぶれることも多々あったそうだ。著者の思うところを代弁すると「こんなに女性が生きづらい時代、ある!?」と言いたくなってしまう。

 また、平安時代と現代では社会規範が異なることも山崎氏も認めている。なんせ当時は、女性が夜這いにあっても犯罪には問われないし、奥さんが複数いたとしても重婚の罪にはならない。そもそも、夜這いなんて、明らかに今で言う性加害そのものである。そうした著者の指摘は鋭く、的を射ている。

 女性蔑視が跋扈していた平安時代から、多くの人の尽力で少しずつ風向きが変わってきたのだろう。その長い険しかった道のりを想うと呆然自失となる。

 著者は『源氏物語』の研究の難しさについても述べる。同作のこれまでの研究はというと、もっぱら平安時代の生活習慣や古語についてのものばかり。学生時代に『源氏物語』を読み込んだ著者は、そうした既存の研究にはまったく馴染めなかったという。現代の社会規範との比較や、そこから見えてくるジェンダー論がすっぽり抜け落ちていたから、ということらしい。

 学生時代、古文が苦手で苦手でしょうがなかった、という人にも本書を勧めたい。というのも、重要な場面では原文が挿まれるが、そのあとに卓越したナオコーラ訳が掲載されている。これが、微細な心のひだを今日的なニュアンスで表現しており、ここを読むだけでも満足感があるはずだからだ。

 本書はもちろん、多様性の時代だからこそ待ち望まれた一冊ではある。だが、『源氏物語』は平安時代のプレイボーイ・光源氏のラブストーリー、という印象しか持っていない読者にこそ、手に取ってほしい本だ。平安時代と現代のギャップがもたらす違和感を丁寧な手つきで解きほぐした、真摯で誠実で実直な書物であると評したい。

文=土佐有明