開発技術の源流を知れば、AIを身近に感じられるのか? 「ヒトと火」の歴史を探る/AIは敵か?⑤
公開日:2023/11/8
『AIは敵か?』(Rootport)第5回
AIに仕事を奪われる! 漠然と抱いていた思いは、「ChatGPT」のデビューによって、より現実的な危機感を募らせた人も多いのではないでしょうか。たとえば、バージョンアップしたGPT-4のアドバイスを受ければ、プログラミング経験のないユーザーでも簡単なアプリを作れるほど高い精度を誇ります。では、⽣成AIが登場し、実際に人々の生活はどうなるのか。本連載『AIは敵か?』は、マンガ原作者でありながら、画像生成AIを使って描いた初のコミック『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)を上梓したRootport(ルートポート)氏が、火や印刷技術といった文字通り人間の生活を変えた文明史をたどりながら、人とAIの展望と向き合い方を探ります。
健康のための「火」
「無⼈島に何か⼀つだけ道具を持っていけるとしたら、何を持っていくか?」という質問に、私は冗談めかして「マンガ『寄⽣獣』全巻」と答えています。
しかし、真剣に考えるのなら「⽕打⽯もしくは⼤きな⾍眼鏡」になるでしょう。どちらも(たとえば「錐揉み式」などに⽐べて)熟練を要さずに着⽕できる器具です。ライターやマッチのような燃料切れもありません。⼩学⽣の頃に、⾍眼鏡で太陽光を集めて⽕を起こすというイタズラをしてこっぴどく叱られたのは、私だけではないでしょう。
⽕は、太古のテクノロジーです。
ヒトは⾷料がなくても、⽔さえあれば数週間は⽣きられます。が、煮沸消毒していない⽣⽔を飲むことは⼤変危険です。加熱していない⽣の⾷品を⾷べる実験では、栄養学上は充分なカロリーを摂取していたにもかかわらず、わずか12⽇間で被験者の体重が平均4.4kgも減少したという報告があります(※)。タンパク質もでんぷん質も、⽣のままでは消化効率が悪いからです。「飲・⾷」のどちらでも、⼈類にとって⽕は必須です。
また、体温維持にも⽕は⽋かせません。暑さならば、服を脱いで⽇陰に⼊り、⽔浴びをすればしのぐことができるでしょう。ところが寒さは、そうはいきません。⾵⾬を防げるシェルターを作るだけでも、かなり知識と経験が必要です。たとえそういう家屋を作ることができても、暖房なしで室温を維持するのは⾄難のわざです。私が以前、京都の五条河原町で賃貸していた部屋は、真冬の朝には台所の⽔が凍っていました。20世紀の技術で作られた鉄筋コンクリートの屋根と壁があるにもかかわらず、です。
道具としての「火」
さらに、もしもその無⼈島にヒョウやオオカミ、クマのような⾁⾷獣が棲息していたら? 暗闇の中で地⾯に横たわって眠るのは、想像を絶するほど危険です。しかし、⼤抵の動物は炎を恐れます。燃えさしを投げつければ、追い払うこともできるでしょう。
もちろん中には炎を恐れない個体もいるでしょうが、焚⽕の近くで眠るだけで安全性を⼤幅に⾼めることができます。
加えて、⽕は道具の制作にも役⽴ちます。たとえば⽊の棒を鎗ややすに加⼯する場合、切れ味の悪い⽯のナイフで削るのは重労働です。しかし、炎であらかじめ棒の⼀端を焦がしておけば、⽐較的簡単に鋭く尖らせることができます。植物の繊維を編んで紐を作ることができたとして、ナイフがなくても炎があれば簡単に必要な⻑さへと切断できます。松脂などを接着剤として使⽤する場合にも、⽕で加熱できれば便利です。丸⽊⾈を作る際にも、くり抜く部分をあらかじめ炎で焼いて炭化させておくという⼯法があります。
火の歴史を知る手掛かりは、人類の進化論
飲⾷・防寒・安全確保・道具加⼯――。⽕があるだけで、私たち⼈類の⽣存能⼒は格段に⾼まるのです。
じつのところ、⽕は最新のテクノロジーでもあります。この原稿を書いているパソコンの電⼒のうち、⼤半は⽕⼒発電所で発電されています。原稿を書きながら私が飲んでいるコーヒーの⾖は、ガソリンを燃やして動く船や⾃動⾞によってここまで運ばれました。⾝の回りの⼯業製品のうち、原材料の精錬から加⼯まで、⽕の熱エネルギーを使わずに作れるものはほとんどありません。スペースX社の最新鋭の宇宙船ですら、ロケット燃料を燃やして⾶びます。
私たちは「⽕」という太古のテクノロジーから卒業できたわけではなく、その延⻑線上を⽣きているのです。
⼈類にとって、これほど⼤切な「⽕」――。
私たちは、⼀体いつから⽕を利⽤してきたのでしょうか?
それを知るためには、⼈類の進化から振り返る必要があります。
種の起源
チャールズ・ダーウィンが1859年に『種の起源』を刊⾏すると、⻄欧社会は衝撃に包まれました。じつのところ進化論――⽣物の種は別の種から⽣まれたという発想――そのものはダーウィン以前から存在しました。例えば、ラマルクの「⽤・不⽤説」が有名でしょう。キリンの⾸が⻑くなったのは、⾼いところのエサを⾷べるために⾸を伸ばし続けたからだ……という理論です。また、万物にはより⾼次の存在に進化したいと願う欲求のようなものがあるという、現代の⽔準で⾒ればオカルティックな理論もありました。
⽐べると、ダーウィンの進化論――⾃然選択説――には、神秘的な要素がありません。⼈間に⾝⻑の⾼い⼈と低い⼈がいるように、キリンの祖先には⾸の⻑さに個体差があったはずです。より⾸の⻑い個体の⽅が、より⾼い場所のエサを⾷べることができ、敵の接近にも気づきやすかったので、より⽣き残りやすく、よりたくさんの⼦孫を残した。それが何百世代、何千世代も繰り返された結果、キリンの⾸は⻑くなったのだ――と、⾃然選択説では説明されます。
ダーウィン(とウォレス)の進化論は、オカルトや宗教的な要素を廃した、史上初めての科学的な進化理論だったのです。
ヒトはサルから進化した
『種の起源』の中で、ダーウィンは⼈類の起源についてほぼ⾔及していません(それは後年の『⼈間の由来』で詳しく論じています)。にもかかわらず、⾃然選択説の⽰唆するところは読者の⽬には明らかでした。
ヒトはサルから進化した――。
⼈類は神の姿に似せて創造されたのだと信じていた当時の⼤半の読者にとって、それはにわかには受け⼊れがたい発想でした。だからこそ、パニックとも呼べるほどの激しい反応を引き起こしたのです。
最近の30年ほどで、⼈類進化のストーリーはかなり細かい部分まで解明されつつあります。しかし世間には、その知識があまり浸透していないようです。「直⽴⼆⾜歩⾏と⼤きな脳のどちらが先に進化したのか?」「サルとヒトの間には進化の“失われた環(ミッシング・リンク)”があるのではないか?」といった、19世紀と同様の疑問をしばしば⽬にします。
ここでは現在の定説となっている⼈類の進化史を、かいつまんでご紹介しましょう。
三種の化石人類
⼊⾨編として、ここで登場する化⽯⼈類は主に3種類だけです。
第⼀にアウストラロピテクス。彼らは⼟踏まずのある扁平な⾜を持ち、直⽴⼆⾜歩⾏をしていた猿⼈です。しかし上半⾝はチンパンジーと同様、⽊登りに適した強靭な腕を失わずにいました。また脳の容量もチンパンジーと⼤差ありませんでした(多少は増えていましたが)。⼀体なぜ彼らは地上を歩き回るようになったのでしょうか?
第⼆にホモ・エレクストス。かつてはピテカントロプスと呼ばれていた原⼈です。私たち⼈類は、かぎ⽖も⽛もない⾮⼒な動物だと考えられがちです。しかし⼀つだけ、どんな哺乳類にも負けない⾝体能⼒があります。それは、⻑距離⾛です。ホモ・エレクトスの時代には、⻑距離⾛に適応した⾝体的特徴が出揃っており、くびれた腰や⻑い⼿⾜など、現代⼈と変わらない体つきになっていました。⼀体何のために私たちはこんな体を⼿に⼊れたのでしょうか?
第三に、ホモ・ネアンデルターレンシス。ネアンデルタール⼈の名前で親しまれている旧⼈です。彼らの脳容量は平均1450mlに達し、私たちホモ・サピエンスの平均1350mlを上回っていました。にもかかわらず、彼らの道具は私たちほど創意⼯夫を凝らしたものではなく、また、装飾や葬儀などの⽂化的習慣もあまり発達していませんでした。⼀体どこに彼らと私たちの違いがあったのでしょうか?
次回以降では、この三種の人類について深堀りします。
※出典:『⽕の賜物 ヒトは料理で進化した』(リチャード・ランガム/NTT出版社、2010年)P18~19
<第6回に続く>マンガ原作者、作家、ブロガー。ブログ「デマこい!」を運営。主な著作に『会計が動かす世界の歴史』(KADOKAWA)、『女騎士、経理になる。』(幻冬舎コミックス)、『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)、『ドランク・インベーダー』『ぜんぶシンカちゃんのせい』(ともに講談社)など。2023年、TIME誌「世界で最も影響力のある100人 AI業界編」に選出される。