日本のどこにでもある地味で「微妙」な県。そんな架空の黒蟹県を舞台に描かれるのは、どこか馴染み深い日々の営み

文芸・カルチャー

PR 公開日:2023/11/13

神と黒蟹県
神と黒蟹県』(絲山秋子/文藝春秋)

 県北には黒蟹山と狩衣山というふたつの山があり、南側は海に面している。重要文化財の黒蟹城を擁するかつての中心地である灯籠寺市や、新幹線停車駅や県庁をはじめとした施設が集まる平成の大合併で誕生した紫苑市などがあり、特産品は白ヒルギタケやモキツ貝……もちろんこれは実在する県の話ではない。絲山秋子氏の連作短編集『神と黒蟹県』(文藝春秋)の舞台となる「黒蟹県」についての説明だ。

 話は北森県で働いていた離婚歴のある女性・三ヶ月凡が黒蟹県にある営業所へ異動となり、引き継ぎのため前任者で早期退職する男性の雉倉豪に付いて得意先を回る「黒蟹営業所」から始まる。黒蟹県は凡が異動することを伝えた同僚から「黒蟹県とはまた、微妙ですね」と言われてしまうほど地味で、特に際立った特徴のない土地柄である。その後の短編に出てくる主人公たち(ほとんどが単身者である)も黒蟹県に住んでいたり、働いていたり、来訪したりする人たちだ。物語では特に大きな事件が起きるわけでもなく、恋愛沙汰が繰り広げられるわけでもない。しかし読み進めていくと市井の人々の日常生活とその積み重ねによってもたらされる、果てしなく広がり絡み合う関係という網の目を辿っていくような気分になっていく。

 彼らと入れ替わりに出てくるのが、タイトルにもある「神」である。そう、人間が「神様」と呼んでいるあの神のことだ。この神は全知全能ではなく半知半能くらいの能力しかないそうなのだが、人間を創造し、言葉を必要とせず(まるでスキャンするようにすべてを理解する)、人間とは比べ物にならないほどの長い長い年月を生きている。普段は黒蟹県に住む人に姿かたちを変えながら(年齢性別問わず変われるようだ)目立たぬよう人々の中に溶け込んでいるため、人間たちに神だと見破られることはない。その「網を広げた張本人」である神の視点からも、黒蟹県に住んでいたり、働いていたり、来訪したりする人たちの日常生活との関係が描かれていくのがこの小説の特徴である。同じものでも、外から向けられる目線と、内にある者たちとでは、往々にして違う見え方をするものだ。

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 そして冒頭でご紹介したように実在するもののように架空のものが描かれることで、どこかに存在していそうな地方都市のリアルさ(実在の土地を舞台にすると、そこへ住む人の思いもあって大胆なことはなかなか書きづらいものだ)が活写されていく。架空であるからこそ、人間関係や土地柄の違い、自治体同士の軋轢、人々が抱える思いなどが重なり、実際どこかに存在しているであろう体温のある物語が立ち上がってくる。また架空のものは地名、企業名、店名、通りの名前、動植物名、工業製品名、祭や施設名、方言などがあり、これらは絲山氏が生み出したものなのだが、読んでいると本当にあって、以前から知っているような変な気持ちになってくる(人間の記憶力なんて案外いい加減なものだ)のだが、話に出てきた実在のものと架空のものについての用語を解説する「黒蟹辞典」が各章の終わりに付いているので、どうぞご安心を。

 物語が進むにつれて登場人物たちがつながっていき、掉尾を飾るそれまでとは異質な手触りの物語「神と提灯行列」によって閉じられる。しかし黒蟹県に住む彼らの生活は終わっていない。日々は続き、さらに新しい関係が生じていくだろう。そんな彼らの生活は、どこかで私たちの日常とつながっている──そんな温かさを感じる物語であった。

文=成田全(ナリタタモツ)