いきなり散財する/きもの再入門②|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/15

きもの再入門

いきなり散財する

 ある日のこと、当時住んでいた吉祥寺の、駅前にあるパルコの三階あたりを例のごとく徘徊していた。その頃のわたしは小説家デビューまであと少しのところで立ち往生、仕事探さなきゃと思いつつ、外で働けば小説を書くなんて二の次になってデビューは遠のく一方というジレンマの只中にいて、なにをしていたかというと、やたら買い物していた。

 金もないのに買い物依存症みたいにこまごましたものにお金を吸い取られて、自分でも資本主義の奴隷ぶりにほとほとうんざりしていた。表現欲求はあるくせに自分を発揮できる場がないものだから、ものを買うことが自己表現の代替行為になってしまうらしく、どうにもこうにも自分をコントロールできないでいた。そんな危うい精神状態で、わたしはあろうことか、呉服屋さんの店先で足を止めたのだった。そして、目にも鮮やかなターコイズブルーのきものに釘付けになった。

 

 当時作ったきものノートに、いつなにを買ったか、写真入りで書き残されている。これを見るといかにこの頃の自分が、きものにやられていたかがよくわかる。ノートを時系列でひもとくと、恐ろしい買い物ぶりが露呈するのである。トラウマ級の散財なのでこれまでいっさいふり返ることはなかったけれど、十四年の時を経て、ついに向き合うときが……。

 二〇〇九年一月二十三日に、新宿マルイの〈KIMONO by NADESHIKO(キモノ バイ ナデシコ)〉で突然、半襟を購入。セール価格で千五百円。兄の結婚式のときに選んだ半襟とよく似た色柄だったので、思わず衝動買いしたらしい。そのくらいならまあ、可愛いものだ。問題はその五日後、先述した吉祥寺パルコの〈ふりふ〉にて起こった。

 ターコイズブルーの振り袖(六万千二百円)、のみならず、黒字に白い桜柄の長羽織(三万九千九百円)、KEITA MARUYAMAのぽっくり風朱塗りの下駄(一万二千六百円)を取り置きし、二月十日に購入。さらにその翌日、白地にピンクのバラ柄の半幅帯(二万九千四百円)、ピンクとブルーの平組の帯締め(一万二百九十円)、真っ赤な長襦袢(一万五千七百五十円)、桜色に桜の花びら模様が入った足袋(三千百五十円)を追加購入している。しめて十七万三千七百九十円の買い物だ。くり返しになるが、このときわたしは働いていなかった。生活費は親の仕送りに頼りっぱなしで、貯金を切り崩しながら、霞を食べてひっそり生きていた。二十八歳、未婚のわたしは、無職のまま、きもの道に突っ込んでいった。

展示会へ……

 そもそもきものを着ることもできないし、知識もゼロの状態。なにしろわたしはこのとき、振り袖と同時に半幅帯を買うという、バカすぎる失態を冒している。とにかく各アイテムを「点」で見て「ぎゃーかわいい!」と頭に血がのぼった状態なので、まるで全体が見えていない。店員さんも「あーこれ半幅なんですよ、半幅帯はとてもカジュアルなもので……」と止めに入っているくらいなのだが、なにしろこっちは暴走特急なので、話も聞かずに「全然大丈夫です!」とか言って構わず買っている。怖い。

 平日の昼間に突然ショップに現れ、予備知識もないまま上から下まできもの一式を爆買いしたわたしを、きっと店員さんたちは左うちわの金持ち娘と勘違いしたことだろう。目がイッちゃってたに違いないわたしを、同年代の彼女たちはちやほやと歓待した。最初に接客してくれた女性がそのまま担当となり、あれこれ教えてくれた。きものの基本ルールを伝えつつ、こちらの購買意欲を邪魔しない、絶妙なさじ加減で。

 

「半幅帯は振り袖には合わせないものだけど、羽織で隠しちゃえばバレないので……イケます!」

「羽織の背中がぺたんこだとおかしいけど、半幅帯に枕入れてお太鼓結びっぽくアレンジすれば……イケます!」

「白襟には白足袋が基本ではあるんですが、桜柄の羽織と桜の足袋の組み合わせは可愛いので……イケます!」

「とにかく好きなものを楽しんで着るのが大事なので、イケます!」

 

 彼女は全力でわたしの背中を押した。いままさにきもの道のとば口に立って、入ろうかやめておこうか逡巡している人間の手を引き、ずんずん前へ進んで「フォローミー!」と叫んでくれた。

 彼女は言った。「きもので外へ出かけてみることが大事ですから。そうそう、ちょうど週末、展示会があるんで、一緒にきもの着て行きましょう!」

 展示会がなんなのかもわからないまま、彼女に買ったばかりのきものを着せてもらい、一緒に電車に乗って行った。こんなマンツーマンの手厚い接客ははじめてである。なんだか新しい友達ができたみたいで、ぽぉ~っとなってしまう。

 広い会場に、さまざまなメーカーさんがブースを出して展示即売していた。反物で売られる“正絹(しょうけん)”のきものを目撃したことで、ようやくわたしは自分が買ったきものが、いかに特殊というか、邪道なものであったかを認識するに至ったのだった。

 

 わたしが着ている数万円ぽっちの若者向けきものは、いずれもポリエステル製、仕立て上がりといって、「ざっくりL」みたいなサイズ感で作られ、完成形で売られている。しかし本来きものというものは、反物の状態で売られ、買った人のサイズ(身長、裄丈=腕の長さ、胴回り)に合わせて縫われ、ようやく完成というプロセスを経るものなのだ。

 わたしとしては高いと思っていたプレタポルテきもの、実はきものの中では最安な部類の、スーパーカジュアルラインだった。そしてイミテーションではない、本物のきものの値段は、青天井なのだ。

 その現実を知っても、わたしはなおも、尻込みせずに突っ込んでいった。

 展示会でもわたしは買った。京都の紫織庵のもので、本来なら長襦袢の生地なのだが、またしても無知蒙昧全開(ラップ調で)のわたしは「こんなに素敵な柄なんだから」と、羽織に仕立ててもらうことにした。

 付きっきりで世話を焼いてくれている店員さんはそこで、トリッキーな提案をした。曰く、長襦袢用の長さがある反物で羽織を作ると、生地に余りが出る。もったいないので帯も作ってはどうか。おお、そんなこともできるんですか! 興奮状態のわたしはもちろんそうしてくださいとお願いした。ちょっともう記憶にはないのだが、そのぶん伝票の欄は何段にもわたってさまざまな工賃が上乗せされ、弾き出された額はさすがに一括では払えそうになかった。「うっ……」とうろたえるわたしに、彼女はこう言った。

「あ、よかったらローン組みますか?」