いきなり散財する/きもの再入門②|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/15

あの箪笥を開ける日

 二〇〇九年三月二十日、わたしは実家に帰った。目的は実家の納戸の、あのきもの箪笥を開けること。短期間に買い集めたきものによって、すでに一人暮らしのアパートの収納が圧迫されつつあるというのに、まだまだきものが欲しいわたしは、あの箪笥のことを思い出し、のこのこ実家に帰ったのだった。

 わたしがきものに興味を持っていると知ると、母はとても喜んでくれた。母もまた、箪笥の肥やしとなったきものをもったいないと、長年思っていたという。マリコやぜひ着ておくれと、わたしの趣味道を応援してくれたのだった。未婚で、無職で、なのにきものにハマっている娘を、母は応援する構えと言う!

 

「結婚したらそんなことする時間なんてなくなるから、いまのうちにどんどんやっておいた方がいい。どんどんやりなさい」

 

 いま思うとこれは、結婚の先輩からの、非常に含蓄に富んだ言葉だった。そして逆説的に、母の人生の個人的な楽しみの領域が、結婚によっていかに奪われてきたかを物語る。そして複雑なことにそれを収奪したのは、わたし自身でもあるのだ。

 ともあれ、母はゆくゆく結婚するかもしれない娘に、同じ轍を踏む前に人生を楽しんでおけと言った。なんだかエネルギーを持て余してとち狂っている娘に、「いいぞいいぞもっとやれ」とエールを送ってくれたのだった。エールだけじゃない、春から着付け教室に通うと言うと、授業料を出してくれるとまで言う。

 こうして四月から週一回、わたしは着付け教室に通いはじめた。初心者向けの半年コースだったが、母の「手に職をつけておいた方がいい」とのアドバイスを受けて、師範コースに進むことにした。その授業料も母が出してくれた。

 

 さらには祖母も乗ってきた。孫がきものに目覚めたと知るや、家にあるきものを好きなだけ持っていけと言う。わたしがあんな危険を冒してローンできものを買ったのに、どうしたことか、うちにはきものが無限にあった。祖母の箪笥という鉱脈も、わたしは荒らした。

 だが正直言って、母の箪笥にも、祖母の箪笥にも、喉から手が出るほど欲しいと思えるきものはなかった。昭和四十年代あたりのきものは絶妙に古臭く、まったくぐっとこない。わたしが好きなのは大正から戦前にかけての華やかでモダンな柄で、〈ふりふ〉はそれを現代風にアレンジしていた、だからドハマリしたのだ。

 わくわくしながら箪笥を開け、畳紙をめくるたび、

「うっ……」

 と顔色を変えて、そっと戻した。

 きものはきものだけど、なんかちょっと違う。

 あれもこれも持っていけと言う祖母に、「いや~なんか、趣味が……」ともごもご言いながら、それでも何着か、好みのきものをもらった。きもの以上にありがたかったのは、帯締めだった。ビニール袋にどっさり入っていた帯締めは、普段遣いしていたため、房が信じられないくらいバサバサだったものの、宝の山だった。

 さらに祖母は、昔よく通ったという呉服屋さんへ連れて行ってくれた。祖母の買い物好きは健在だった。ワゴンセールのように積み上げられた浴衣の反物を、あれもこれもと、止めても聞かず、こちらが困るほど買ってくれた。かつて母が結婚前に連れ回されたように、今度はわたしが祖母の、買い物珍道中のお相手を務めた。

 

 こうしてわたしはあっという間に衣装持ちになった。寝ても覚めてもきものの日々だった。二年後、無事に着付け師範のお免状をもらった。そしてほどなく作家デビュー。さらには結婚。すると、母が予言していたとおり、きものは完全に、後回しになった。

きもの箪笥、再び

 夏には浴衣を着たし、きもので初詣にも行った。ドレスコードのあるイベントにきもので出かけたこともある。けれどだんだん、そういうこともなくなっていった。あれだけ血道を上げて集めたきものは、わが家の箪笥で再び眠りにつき、師範までとったくせに、もはやきものを自分で着る自信もなくなってしまった。

 ここ数年は、きものを着る機会のほとんどが、雑誌の撮影だった。スタイリストさんに着付けてもらい、作り上げた完璧なきもの姿は、ほんの一時間かそこらで脱いでしまう。なまじきものにこだわりがあるので、襟合わせの角度が「ううん、ちょっと違う」なんてこともある。きものは着慣れないと板につかないので、自分でもとってつけたような着姿なのがわかる。ああ、あのきものへの情熱は、いったいどこへ行ってしまったんだろう。そう思うようになって、早十年――。

 

 ふと思った。

 もしかしたら、わたしのような元・きもの好きって、案外いるんじゃないか?

 二〇〇〇年代に若者で、きものにドハマリしたものの、その後すっかり生活に追われ、きものを着ることもなくなってしまった人たちが。

 きもの再入門。

 かつての母のきもの箪笥と、同じことになってしまっている自分のきもの箪笥を、開けてみようと思う。

<第3回に続く>