ギャグ満載の『同時代ゲーム』は「失敗作であることさえ度外視すれば傑作」文学界最後の巨匠・筒井康隆さんの【私の愛読書】
公開日:2023/11/19
さまざまな分野で活躍する著名人にお気に入りの本を紹介してもらうインタビュー連載「私の愛読書」。今回は、文学界の巨匠・筒井康隆さんにお話を伺った。筒井さんは御年89。自ら「これがおそらくわが最後の作品集になるだろう」と語る掌編小説集『カーテンコール』(筒井康隆/新潮社)を刊行したばかりだ。そんな筒井さんに強い影響を与えた本とはどのような作品なのだろうか。
(取材・文=アサトーミナミ 撮影=金澤正平)
「文学界の巨匠・筒井康隆」を語る上で、欠かせない人物がいる。それは、今年の3月に亡くなったノーベル賞作家の大江健三郎さん。筒井さんがまだ無名だった頃から知り合いだったという大江さんとの親交はかなり深かった。かつて筒井さんはエッセイに「ずっと大江健三郎の時代だった」と書き(「群像」2017年9月号 講談社)、その最高傑作として『同時代ゲーム』(新潮社)を挙げている(『笑犬楼vs.偽伯爵』(筒井康隆、蓮實重彦/新潮社))。筒井さんは語る。
「『同時代ゲーム』は、もうギャグ満載ですよね。最初からしてすごいよね。痛む歯茎の腫れを消し去るために、石斧を歯茎に打ち立てるなんて。僕なんか想像も及ばない。」
筒井さんに言わせれば、『同時代ゲーム』の魅力は「荒唐無稽」であることだという。その破茶滅茶な内容は、決していい評判ばかりではなかったが、筒井さんはそんな評判に真っ向から立ち向かってきた。「失敗作である」という悪評が出た時には、「失敗作であることさえ度外視すれば傑作」と評を書き、どうやらこのフレーズは大江さんのお気に召したらしい。どうにか不評からこの作品を守りたかった筒井さんは、日本SF大賞の設立にも奔走し、『同時代ゲーム』をその第一回の受賞作にできないかと画策する。しかし、それは、他の選考委員たちの反対で実現しなかった。1980年のことである。
「星新一・小松左京は『大江健三郎の作品』というだけで拒否反応だった。だけど、自分たちが強力に推す作品があったわけではなかったんですよね。ただ、大江健三郎という名だけで、『これはSFではない』と言って反対されて」
『同時代ゲーム』のために「日本SF大賞」という文学賞を設立したほど、この作品に魅せられた筒井さん。自身の著書『読書の極意と掟』(講談社)では筒井さんは『同時代ゲーム』について「波瀾万丈の展開には、作者の爆発的な想像力にただ感服するばかりである」と述べ、『創作の極意と掟』(講談社)でも、「奇妙な人物ばかりが登場する小説を書こうとする場合、是非読んでおくべき」だとしてこの作品を挙げた。つまりは、大絶賛だ。『同時代ゲーム』から受けた影響、そして、大江さんから与えられた影響はそれほど大きいものだったのだろう。
「大江さんからは手紙をいっぱいもらっているんですよね。『あれどうしたんだろうな』って思ったら、この前、引き出しの奥から、大江さんからの手紙っていうのが、四十何通出てきて。だけど、なんか公表したら、文学史に残ることは確かだけど、私文書公表になっちゃうし、どうしたらいいものかと思ってるんだよね」
筒井さんは1984年、『同時代ゲーム』のオマージュとして『虚航船団』(新潮社)を書いた。それに、大江さんから受けた影響はそれだけではない。泉鏡花賞を受賞した筒井さんの著書『虚人たち』(中央公論新社)は、大江さんの示唆によって誕生した作品だし、『文学部唯野教授』(岩波書店)は大江さんから薦められた本『文学とは何か』(テリー・イーグルトン/岩波書店)に、『パプリカ』(新潮社)も同様に大江さんから薦められた『荒涼館』(ディケンズ/筑摩書房)に触発される形で生まれたという(『読書の極意と掟』(講談社))。だからこそ、今年の3月、それほど深い親交があった大江さんの訃報に触れた時、筒井さんが受けた衝撃は計り知れない。訃報に触れるとすぐに筒井さんは我慢できず飲み始め、各社からの追悼文の依頼も断った(「新潮」2023年5月号)。かつての盟友たちが次々とこの世を去る中、筒井さんは、「生きること」「死ぬこと」についてどのように捉えているのだろうか。
「死ぬことは仕方がないですけどね。仕方ないけど、怖いというか。普通の人とおんなじですよ。だから、それを怖くないようにするには、どうすればいいかっていうのを考えて、ハイデガーの『存在と時間』(ハイデガー/中央公論新社)を一生懸命読んで。だけどね、理屈でね、そういうことを安心しようとしてもやっぱりダメですよね」
筒井さんがハイデガーを読み始めたのは、1988年、胃に2つ穴が空いて、1か月入院した時のこと。日常的に死が身近にある病院にいたからこそ、「死」という現象について扱った哲学に触れたくなった。そして、その解説書『誰にもわかるハイデガー : 文学部唯野教授・最終講義』(河出書房新社)を書き上げるほど、それにハマりこんだ。
ハイデガーが提唱したのは、一言でいえば、“メメント・モリ”、「死を想え」という哲学だ。人間(=現存在)は、死ぬ運命にある。だが、死があるからこそ、生の意味を認識できる。筒井さん自身が「わが最後の作品集」と語る新刊『カーテンコール』からも、筒井さんがハイデガーから受けた影響を窺い知ることができる。本作に収録された25篇の掌編の多くの作品に通底するのは「死」の予感。それを起点として、人間の姿を、ユーモアたっぷりに、シニカルに描き出している。
「死ぬ時、延々と病室で苦しむのは嫌ですね。まあいっそのこと、重量のあるトラックにバーッと撥ねられて一気に死ねたら、なんてね。でも、とにかく生きてやらないと。『俺が死んだらカミさんはどうなるんだ』っていうのが一番心配だから」
9歳年下の妻をそう慮り、「長く生きねば」と語る筒井さん。このたび“最後の作品集”が刊行されたが、だからと言って、作家として引退するわけではない。「エッセイは生きている限り書き続ける」と言うし、谷崎潤一郎賞や山田風太郎賞の選考委員も務めている。
「最近だと、谷崎潤一郎賞を受賞した津村記久子さんの『水車小屋のネネ』(毎日新聞出版)はすばらしいですよね。ああいういい作品に巡り会えるから、選考委員はやめるにやめられない」
巨匠が影響を受け、感銘を受けた書籍の数々。“最後の作品集”『カーテンコール』に注目が集まる中、それとあわせて、筒井さんの「愛読書」をひもといてみてはいかがだろうか。