小田和正の音楽人生を振り返る。稀代のシンガーソングライターといつまでも色あせない数々の楽曲はどのようにして生まれたのか

文芸・カルチャー

公開日:2023/11/22

空と風と時と 小田和正の世界
空と風と時と 小田和正の世界』(追分日出子/文藝春秋)

 普通の人が歌を歌うときは「チェストボイス」と「ファルセット」を主に使っている。チェストボイスとは声帯をブルブルさせて出すいわゆる地声のことで、これで歌うとパワーは出るけれども、人によって出せる音域が違っていて、無理して歌うと喉を壊しかねない(特に高い声は声帯をギュッと引っ張るのでストレスがかかる)。一方ファルセットは声帯の粘膜部分を振動させて出る裏声による歌い方で、チェストボイスよりも高い声が出るが、パワーがなく、コントロールも難しい(もちろんいずれも訓練次第では克服可能だ)。しかも普通の人は、地声と裏声を切り替えるポイントで明らかに声質が変わってしまう。そこで必要になってくる歌唱テクニックが、チェストボイスとファルセットの中間「ミックスボイス」で歌う方法だ。歌が上手い歌手はこの発声法を駆使して、低音から高音まで自在に行き来して歌っている。

 そんな歌手の中でも「唯一無二の歌声」を持つのが、1970年にオフコースとしてデビューし、1989年の解散後はソロで活躍する小田和正氏だ。パワーのある澄んだ高音が特徴で、今も変わらぬクリアな歌声と自ら作詞作曲する歌で聴く人を魅了している。その“稀代のシンガーソングライター・小田和正の音楽人生”を辿る『空と風と時と 小田和正の世界』(追分日出子/文藝春秋)が2023年11月22日に上梓された。約20年かけて集められた小田氏本人と関係者へのインタビューなどをもとにまとめた、分厚い600ページ超の大著である。

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 本書は序章を経て、第1章「小田薬局」から始まる。ファンの方はご存知のことと思うが、小田氏は1947年、横浜市の金沢文庫駅(横浜駅から京浜急行で12駅南へ行った場所)近くで薬局を営んでいた家の次男として生まれた。小田氏と音楽の出会いは「自分の好きなことをやりなさい」と言う母が口ずさむ歌と、実家の隣にあったパチンコ屋から大音量で流れてくる歌謡曲だったという。また自分の声というものを初めて意識したのは、兄が入っていた小学校の聖歌隊に入隊できなかったことだと本書にあった。小田氏はその「人生初の挫折」についてこう語っている。

兄貴がボーイソプラノで聖歌隊に入っていて、弟だからと期待されていたのに落とされちゃったんだ。とりあえず入れておきましょうでもなかった。これはショックだった。和ちゃんはハスキーだと言われていたけど、どうやって歌ったらいいかわからなかったんだろうね。結局、俺の声は、人より思い切り歌わないと出ない声なんだ。みんなはもっと楽に歌えるのに、俺は一生懸命歌わないと出ない声なんだね。

 今の歌声を知っている者からすると意外な話だ。本書にはこうした、これまでほとんど語られることがなかった小田氏の人生が、実兄や親類縁者、元オフコースのメンバー、所属事務所やレコード会社の関係者、スタッフ、学生時代の友人、さらにオフコース初期からファンという作家の川上弘美氏や歌手で友人の吉田拓郎氏ら50人以上へのインタビューに加え、膨大な資料や書籍から情報が集められ、子ども時代から2023年の現在までが時系列で綴られてれている。また章の終わりには筆者の追分日出子氏が小田氏のコンサートツアーに同行した「全国ツアー随行記『LOOKING BACK 2022』」が、巻末には76年間の詳細な年表、直筆の楽譜、小田氏が東北大学工学部建築学科を卒業する際に制作した卒業設計(本書でもたびたび言及されている)が掲載されている(書籍には数量限定で「特製しおり」が封入されているそうなので、ファンの方は今すぐ書店へ!)。

 そして本書には小田氏が作った60曲の歌詞が収録されており、その紡がれた言葉をもとに制作当時の秘話や記憶、出来事を辿っていく。独自の詞の世界とメロディー、後になって意味を帯びる言葉の持つ力など、小田氏の歌が不思議と古びない秘密を垣間見るようだった。また自身の理想とする音楽を追求するためストイックに(そして時に偏屈なまでに)努力する小田氏が、人との付き合いを最小限に抑え、自己へ照射する力が強かった若き日から、ソロになって自分の芯を変えないまま外へと力を放射するようになってからの人生の色合いの変化は、人間関係に悩める人の端緒となるだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)