養老孟司氏、初の自伝!「自分を育てるためにはつまらないことも活かすことが必要です」現代を生きるヒントに溢れた1冊

文芸・カルチャー

PR 公開日:2023/11/20

なるようになる。
なるようになる。―僕はこんなふうに生きてきた』(養老孟司/中央公論新社)

「話してもわかりあえない“バカの壁”がある」と社会を喝破して一大センセーションを巻き起こし、平成で一番売れた新書となった『バカの壁』。その著者であり、日本の“知性”といわれる養老孟司先生が、このほどはじめての自伝『なるようになる。―僕はこんなふうに生きてきた』(中央公論新社)を上梓された。

 長年の付き合いという読売新聞の鵜飼哲夫さんが聞き役となって、幼少期の最初の記憶に始まる86年を語りつくした一冊は、読売新聞の好評連載「時代の証言者」をもとに大幅に加筆したものだ。その面白さは単なる自伝を超え、「現代を生きるヒント」にあふれている。

 養老先生が生まれたのは、まだ太平洋戦争が起きる前の1937年(昭和12年)。鎌倉に居を構える三菱商事につとめる父と小児科医である母のもと、3人兄姉の末っ子として誕生した。まだ幼い頃の「父の死」が記憶の始まりで、そのショックから病気がちだった幼少期を経て、1944年に小学校入学。戦時下の大人たちの様子をながめつつ「日本は勝つ」と単純に信じていた養老少年は、戦後、かつては「絶対」的な権威だった教科書に墨塗りを指示されたことで、社会に大きな不信感を抱くようになる。

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墨を塗らされた子どもは、相当へそ曲がりになった。組織なんかいつ壊れるかわからない。言葉だって、いつひっくり返るかわからない。そういう不信感が、墨塗りしたことで本能的に刻まれた。(中略)僕には、戦中の本土決戦一億玉砕も戦後の平和と民主主義もおんなじで、どちらも約束事としか思えない。だから、またいつか墨塗りの日が来るのではないか、という不信感がある

 そんな気持ちをバックボーンに育った養老少年は自然に親しみ、キリスト教の中高一貫校では欧米流の倫理に戸惑いつつも「昆虫少年」としてすくすく成長。東大へ進学し(本書で明かされる受験勉強法もユニークだ)、結果的に選んだ解剖学の道では学生紛争によって研究室が封鎖され「学問」の意義をつきつめていくことに――本書にはそんな若かりし頃のエピソードから、来た依頼は断らず、多くの著書を出し、多忙を極めつつも大好きな昆虫道も突き進む壮年期、そして現在まで含めて人生が素直に語られていて実に興味深い。

解剖は、私が手を加えない限り、相手は変化しない。次の日に死体を見ても、どこかが治っていることはない。この変わらなさが安心です。しかも、死んだ人間は嘘をつかないし

面白い本はもちろん、つまらない本でも『なんでこんなつまらないことをわざわざ書こうとしたのか』を考えながら読む。(中略)自分を育てるためにはつまらないことも活かすことが必要です

僕は生まれつきしつこい。ひと晩寝ると、前日に考えたことを忘れちゃっても、それは苦にしない。もう一度最初から考え直す。そのほうが訓練になるじゃないですか。高校時代には、幾何の問題を一週間考えていたことがある

日々変化するように見える情報も、一つ一つを見たらどうか。(中略)言葉にした段階で永遠に変わらない。これに対して、ヒトの身体は成長、変化します。個性だ、理性、正義だと言ったところで、それらは敗戦でガラッと変化した。これが生き物と情報の違いです

 そんな言葉ひとつひとつに養老先生の生きる姿勢――常に社会の思惑を諦観し、自分の「芯」はしっかり保ち続ける&自分への客観視も忘れない――を感じてグッとくる。本書のタイトルにもあるが、ご自身はそんな自らの人生を「なるようになる」とさらりと評するのも味わいだろう。

 さらに本書には養老先生への「50の質問」というオリジナル企画があるのも面白い。朝起きて最初に何をやりますか/自分をバカだなと思うことはありますか/大人になるってどういうことですか/死についてどう思いますか……などなど、硬軟とりまぜたさまざまな質問への答えは軽妙且つ含蓄があって思わずニヤリ。「自伝風の本ができた。皆さんの参考になるか否か、それはわからない」と養老先生は言うけれど、いやいや先生、大変参考になりました!

文=荒井理恵