料理研究家・土井善晴から見たAI、環境、経済――料理を起点に考える現代社会の生き方のヒント
公開日:2023/11/17
ご飯を食べて「美味しい」と心の底から思えたり言えたりすることは、誰にとっても幸せなことです。しかし、料理をすることに関しては、現代社会では必ずしも万人にとって幸せなことではありません。料理はなにかと面倒で、しばしば効率化の対象になります。
しかし本稿で紹介する『味つけはせんでええんです』(土井善晴/ミシマ社)は、「料理はそんなに肩肘張らず手をかけなくていいんだ」ということを伝えようとしている本ではありません。「料理本」でもありません。半年に一度刊行されている『生活のための総合雑誌 ちゃぶ台』(ミシマ社)で、2020年11月から2023年6月に料理研究家・土井善晴氏によって綴られてきたエッセイをまとめた本書は、「料理研究家から世界はどう見えているのか」が綴られています。
本書の軸になっている考えを一言でまとめるならば、「料理の味が美味しいかどうか」ということよりも、「食べたい、作りたいと心の底から思えること」のほうが味わいに繋がるということです。実際本書は、中学生のレポートの一環で「AIと食の未来」というテーマで、土井氏がインタビューを受けたというエピソードから始まります。AIに「味」、ひいては「美」はわかるのかということ、そもそも「わかる」とはどういうことなのかと、多方面に話が広がっていきます。
料理は大いに美の問題です。美とはなにかを言語化することができないのと同じで、料理はじつに複雑です。料理はとても身体的ですが、知識も、知恵につながる経験も必要です。料理がわかるということを、ひと言で表そうとしましたができません。科学でわかるものを超えているものなんですね。
著名な数学者・岡潔氏の言葉を引用して、土井氏は「わかる」を3段階にわけて説明しています。
1. 事柄がわかること
2. 意味がわかること
3. 情緒がわかること
もちろん目指すべきは、3番目の「情緒がわかること」とされています。例えば秋の会食で松茸ご飯が出てきたとします。まず、松茸という食材の名前を知識として知っているかどうかが1段階目です。知っていて味が好きだったら喜べます。知らなかったり、見た目や香りで判別できなかったりしたら、尋ねて知ることができます。
2段階目は「松茸ご飯が出てきた」ということは、どういうことなのかという段階です。旬の食材ということで「秋ですね」とも言えますし、その会食をセッティングした側が旬の食材で相手をもてなしているという意味も生じえます。
3段階目は人それぞれですが、例えば今まで秋にあった様々なことを思い出したり、冬、春、夏の時間の流れを感じたりする、つまり自分で観察、思考して、自分なりの感受性で何かに気づくということです。
しかし、そうなるに至る前に、現代人であるあまり「ここのこれが美味しい」とか「これはこうやって作る」とか、多くのことを知りすぎてしまっている、または知ろうと思えばパッと知りすぎてしまえる環境に浸っている。これが土井氏の指摘です。
その前提に立つと、「味つけはしないでいい」という本書の軸となる言葉は決してお節介などではなく、「こうすればこうなる」という一見すると温かで心地よい底なし沼から抜け出して、「答えなき時代」の荒波に自ら漕ぎ出す冒険を激励する言葉に聞こえてくるはずです。
なにもないところに、ごく小さな変化が表れるとき、私たちはそれに気づくことができるのです。ですから、味つけは飾りであり、ときに邪魔にさえなるのです。そこがわかると私たちは、そこになんらかの理由で表れたものを認め、喜ぶことができるのです。また、その訳を知りたいと思うのです。
心の底から「食べたい」「作りたい」と思えることが、先行き不透明な環境問題や経済課題を解決する「底力」になり得るという点で、ビジネスパーソンにもオススメしたい一冊です。
文=神保慶政