いのちある“植物”を絵本に織る いわさゆうこさんインタビュー(後編)『どんぐりノート』『おちばのほん』『はっぱのほん』
公開日:2023/11/19
「どーんとやさい」シリーズ(童心社)が人気のいわさゆうこさん。後編では、子育て時代に大滝玲子さんと作った冊子をきっかけに『どんぐりノート』(文化出版局)を出版、絵本作家としての手応えをつかんだいきさつと、コロナ禍にこつこつと描き上げた『おちばのほん』『はっぱのほん』(文一総合出版)について伺います。
どんぐりに呼び戻された植物への愛情
どんぐりノート
作:いわさゆうこ、大滝玲子
出版社からの内容紹介
この本はまるごと“どんぐり”の本。
普通の図鑑と違って、イラストでわかりやすく説明し、どんぐりの遊び方から食べ方まで紹介しています。
――『どんぐりノート』をはじめ、どんぐりをテーマに何冊も本を描かれています。
自分の人生をどうしていこうかと迷っているときに、どんぐりと出会って、思いがけず夢中になり、40歳代から50歳代にかけて何年もひたすらどんぐりを追いかけていました。
私自身も田舎から東京に出てきて都市近郊で暮らしている間に、どんどん雑草が生えている場所や空き地が減っていくんですよね。「つまんないな」というか……。自分が幼い頃は、そのへんの葉っぱや花や実が友だちだったのに、どんどん草や木が減っていく。植物に飢えるというか、恋しいという感覚があったと思います。息子とのどんぐり拾いから始まりましたが、私の興味は、地表のどんぐりから母樹へと広がっていきました。
もともと私は小学校のクラスに何人かいるような、“絵がそこそこ上手に描ける子”で、美大の油絵科に進学したものの……(苦笑)。卒業後は今でいうフリーター状態。演劇界がおもしろくてアンダーグラウンドな劇団で10年近く遊んでいました。次第に世の中のアングラ熱も下火になり、自分自身が見えなくなって……。結婚して36歳のときに子どもが生まれました。
仕事はイラスト描いたりオブジェをつくったりなんでもやりました。でもその頃に病気になったんですね。死を身近に感じて、小さな子どももいるのにどうなっちゃうんだろうと不安で仕方がない気持ちと、こんな生活していていいのかなと、自分の生き方を考えていました。
どんぐりと出会ったのはその頃です。息子たちの保育園は公園の先にあって、送り迎えをする朝と夕、公園を横切りました。ある秋の日、公園の木の根元にオレンジ色の夕日がさし、そのスポットライトの中に黄金色のどんぐりが浮かび上がっていて……。駆けていった息子が、満面の笑みで拾って小さな手に握りしめたのをよく覚えています。それから、保育園への行き帰りにいろんな種類のどんぐりを拾うようになりました。
息子たちとどんぐりを拾う時間は、子ども時代に親しんだ植物たちへの愛情と記憶を呼び戻しました。どんぐりを握りしめると、その木質の肌ざわりからあたたかみが伝わる。それは自分自身の体温のぬくみでもあり、小粒で丸っこいものが持つ不思議な安定感に、ざわついていた私の心も落ち着きをとりもどしていきました。
子どもたちに配った冊子が出版されて大ヒット『どんぐりノート』
――もともと『どんぐりノート』は子どもたちのためにつくった冊子だったとか。
下の息子が小学生になり、小学校のお母さんたちが、親子で山歩きをしていて「私も入れて」と頼んで入れてもらいました。そしたら代表者の大滝玲子さんと出身大学が同じで「えーっ、ムサビ(*)なの⁉︎」と。(*武蔵野美術大学)
そういう下地があるなら、子どもたちに何かビジュアルなものをつくってプレゼントしたいね、という話になりました。……秋だったんですよ。「何をテーマにしようか」「やっぱりどんぐりだろう、秋は」って、単純な話です(笑)。
「クヌギやってね、私はミズナラやるから」という感じで、文章を手分けして調べて書いて、絵を描いてコピーしてホッチキスで止めて、「どんぐりを拾ったらこれを見てごらん」と子どもたち30人くらいに配布したかな。大滝さんは造形遊びが得意な方で、そのほか葉っぱの写真を撮ったり、ちょこっとしたキャラクターみたいな小さなイラストのベースを描いたのは大滝さん。私はどんぐりや樹木の絵を描きました。
その冊子をたまたま、関わりが深かったかつて出版社に勤めていたお母さんが、その出版社に持っていったんです。そしたら社内で「いいね! 出版しよう」と。それが『どんぐりノート』です。
――『どんぐりノート』がデビュー作ですか?
いや、実はその前にもう1冊あるの。もう今は絶版ですが『ついてきたくま』(文化出版局)という絵本がデビュー作です。その頃、保育園に子どもを預けていた長男のクラスのお母さんたちは元気がよくてね、先生もやる気満々、子どもを育てることをめぐってたまにぶつかったりもしたのね。でも卒園まであと1年という頃、やっぱり先生たちにはお世話になったなぁ……と思って。先生やお母さん仲間に、何か記念になることが私にできないかと考えました。
ついてきたくま
作:岩佐祐子
無謀にも思いついたのが絵本で、テーマは、年中さんから長い期間かけて遊んでいた“くまのいたところ探し”。例えば公園の木に傷を見つけると「もしかしてくまが引っかいたんじゃない?」「ここに穴を掘ったのくまじゃない」とか、先生がうまく子どもたちの想像力を盛り上げながら、“ごっこ遊び”につなげるんです。クラスみんなで夢中になったその遊びを約1年かけて絵本にしました。
元々は芝居の世界にいたのだし、子ども向けのものをつくるなんて思ってもいませんでした。でも今思えば、そのモノクロで地味な『ついてきたくま』を喜んでくれた人たちがいて、だんだん「私の道はこっちかな」と。さっきも話したお母さんが「うちの子の同級生のお母さんが、こんなのつくってくれたのよ」って出版社に自慢しに行って(笑)。そうしたら社内で「おもしろいじゃない」となり、最初の絵本になりました。
そのことがあったので『どんぐりノート』は私が手がけた2冊目だったんです。ちょうどその頃、世の中ではバブルがはじけて、足元を見つめ直しましょう、地に足をつけましょうというムードもあったのね。どんぐりを拾って遊ぶなんて、お金もかからないことだし、身の周りにある自然を見つめ直すという意味で、時代にうまく合ったんじゃないかなと思いますね。
――続けて『20本の木のノート』『木の実ノート』と次々出版されます。
『どんぐりノート』がびっくりするくらい反響があって、そのおかげで次の本が出せることになりました。売れ行きがよくないと、次の本も出せないし、シリーズ化なんてできませんから。そういう意味では、幸運だったなと思います。
20本の木のノート
作:いわさゆうこ
木の実ノート
作:いわさゆうこ
どんぐりは縄文食
――「どーんと やさい」シリーズを出している童心社さんからも、1冊、どんぐりをテーマに描いていますね。
ぽっとんころころ どんぐり
作:いわさゆうこ
『ぽっとんころころ どんぐり』は、編集者さんに「特別編としてつくってください」とリクエストされたんです。植物としてのどんぐりだけじゃなく、どんぐりを拾う森の動物たちが登場するのがシリーズの中ではちょっと珍しいでしょう。これはどんぐりを取り巻く森の生態系や、縄文食だったどんぐりに焦点をあてています。
――「むかし むかしの ひとたちは どんぐり たべて くらしてた」「とんとん すりすり こなにして…」「おだんごなんかに したのかな クッキーにして たべたかな」森の中でクマ、カケス、ヒメネズミ、ニホンリスといった動物たちがどんぐりを運んで埋めたり、その中の食べ忘れから芽が出て大木になっていく……そんなシーンに想像が大きく広がります。
昔の人がどうやって調理していたかにも思いを馳せたくて、巻末には「どんぐりクッキーをつくってみよう」というページをつくり、あくぬきしてどんぐりを食べる調理方法を載せました。
どんぐりは縄文人の主食だったと言われます。ヨーロッパやアメリカ大陸でも食べられていたし、トウモロコシの栽培が始まる前のローマ人もどんぐりをパンにしていたそうです。日本でも、近年までどんぐりは飢饉のときの大事なお助け食材だったのです。
――お話を伺えば伺うほど、どんぐりの深い面が見えてきます。
武蔵野美術大学で受けた授業の中でいちばんおもしろかったのが、民俗学者の宮本常一さんの授業でした。どんぐりに夢中になり、どんぐりを巡る旅に出るようになったのは、宮本常一さんの授業から受けた刺激や影響もあったのでしょう。「果たして、本当に、どんぐりは食べられていたのかしら」というのが知りたくて、本を漁ったり、北は東北、南は九州・沖縄などとたずねて歩きました。
『どんぐり見聞録』(山と渓谷社)は、日本全国旅をして、どんぐりについて言わば自分なりにフィールドワークした記録です。岩手県ではどんぐり粉からつくる「しだみだんご」や「しだみのはな」(練って冷やしゼリーのようにしてきな粉で食べる)、宮崎県の綾町では「カシの実どうふ」や「かしの実だんご」、熊本県湯前町では「いちごんにゃく」など……。本当にハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながらどんぐりとつきあってきて、今では自分の人生の軸のようなものにさえなりました。どんぐりを通じてたくさんの人に出会い、背景に横たわる膨大な時間と歴史、人間の衣食住、文化……植物の生態だけではない世界を、どんぐりは私に見せてくれました。
どんぐり見聞録
著者:いわさゆうこ
コロナ禍にこつこつと描いた『おちばのほん』『はっぱのほん』
おちばのほん
著・絵:いわさゆうこ
出版社からの内容紹介
おや?春なのに落ち葉? だれが落としたのかな?
季節をおって近所の公園から野山まで、どんな色の落ち葉がひろえるかな? おもしろい形の葉っぱ、見つかるかな? 落ちた葉が、風や雨にさらされて、ミミズやダンゴムシに食べられて、大地の土になるまでの物語。
登場する120種類以上の落ち葉の図鑑解説付き。
はっぱのほん
著・絵:いわさゆうこ
出版社からの内容紹介
あ、この葉っぱ、見たことある。 知っている葉っぱ、いくつあるかな?
知っている葉っぱがのっていたら、実際の葉っぱを見に行こう! 絵本と観察をつなぐ図鑑解説付きです。
いろんな形、いろんな大きさ、いろんな手触り。春から冬にかけての散歩道や公園では、どんな葉っぱが見つかるかな? 描き下ろしのイラストで多様で多彩な葉っぱを紹介。ささ舟や葉っぱのブローチなど葉っぱを使った遊びや、登場する120種類以上の植物の図鑑解説付きです。「おちばのほん」の姉妹書。
――『おちばのほん』と『はっぱのほん』は、葉っぱの絵本としての美しさに魅了されます。巻末の植物情報もちょっとした図鑑並みの詳しさですね。
『どんぐりノート』の後からいくつかの自然観察会に顔を出しはじめました。世の中には植物にすごく詳しい人たちがいっぱいいるんですよ。『おちばのほん』『はっぱのほん』でもいろんな人に協力いただいて助けてもらっています。私は分類学の方は早々に諦めましたけど、歩き回って情報を持ち寄って、植物を観察して学んでいくのは楽しかったですね。観察会でお世話になった先生方には、植物学のいろはを教えていただきました。
そんな生活がコロナ禍で中断することになりました。植物観察会も休みだし、友人たちも気軽に声をかけあわなくなって……みなさんそうだったでしょうが辛かったですね。しょうがなく家に閉じこもって絵を描くしかなくて、でもそのおかげで『おちばのほん』と『はっぱのほん』が生まれることになりました。
―― コロナ禍で描き始めたのですか。
編集者さんから「葉っぱをテーマに何か描いてください」と言われたのは新型コロナ流行期の直前くらいかな。編集者さんっていろいろお題を出してくるからね。でも葉っぱで描こうとしたら切り口が難しくて。まずは「おちば」のほうから構成を考えはじめました。
1枚1枚の葉っぱはほぼ実物大で全部別々に描き、8割くらいに縮小コピーして切って貼って、「こんな感じのバランスで」とデザイナーさんに伝えて、レイアウトしてもらいました。
―― 葉っぱの原画はもっと大きいのですね。これだけの枚数の葉を描くのは大変そうですが1冊の絵を描くのにはどれくらいかかりますか。
実際に手を動かして描きはじめたら、ものすごくがんばれば半年ちょっとかな、いや、1年近くでしょうかね……。締切から逆算して「1か月に3画面は描かなきゃ間に合わないかな」「でもこの絵はそんなに早く描けないぞ」と思ったり。本づくり全体ではやっぱり3年くらいはかかっていますね。構成をどうしようかとか、「あの葉っぱはそういえばまだちゃんと資料が揃っていないけど来年になるな」とか、描き始める前の作業が長いんですね。
―― 落ち葉の美しい色合いがそのまま絵になっています。
落ち葉って、拾ってきても、本か何かに挟んでいても、すぐ退色してしまうからね。1枚1枚描いていくのは根気がいりました。ただ、私は何もやることないよりは描いているほうが気が楽だったから。友人と食事に行くのさえ憚られ、閉じこもりっぱなしで自由に気分転換できない日々は、私だけでなく多くの方が辛かったと思います。
不安で萎縮して、自律神経に不調を感じるときに欠かせないのが手仕事ですね。私の仕事は、まさに手仕事でできています。手作業といってもいいですよね。こつこつと織物でも織るように描き、本のテーマに奉仕する絵ですから。その行為が私の心を安定させ、バランスを保たせてくれました。『おちばのほん』『はっぱのほん』の2冊で葉っぱ300枚以上描きました。葉っぱありがとう! という気持ちです。
―― どんな風に絵本を読んでほしいですか。
最近、とある保育園から「どーんとやさい」シリーズ全冊の注文が入ったと、ある子どもの本屋さんから伺ってとても嬉しかったんです。幼稚園・保育園で「今日の給食はかぼちゃ料理ですよ」というとき『どででん かぼちゃ』をみなさんで広げてみてもらえたらいいなあと思います。春は『ぷっくり えんどうまめ』とかね。
高齢者の方々のためにもどうでしょう。長年野菜作りに親しんできた方が懐かしがってくださるような気がします。私たち人類が生き延びてこられたのも植物たちのおかげですから。
そして子どもたちには『どんぐりノート』『木の実ノート』『おちばのほん』『はっぱのほん』など持って、外に植物を探しにいってほしいなと思います。
―― ありがとうございました。
どんぐりに、葉っぱに、いわさゆうこさんの人生が反映され、その愛着が詰まっていました。人類が土ととても近かった時代に思いを馳せながらのインタビューでした。
いわささんがお母様について語った言葉も印象的でした。「母は明治45年生まれ、つまり大正元年生まれでしたけど、小学校の先生で、『女だからって我慢しないで生きたかったら、自分の職業を持ちなさい』と言っていました。戦後すぐは食料難で、家族を食べさせるために畑を耕し、先生としても働いていたんです。幼稚園や保育園なんて田舎にはありませんから、6歳のとき(*いわささんは4月生まれだそう)私は母と一緒に登校して、母が担任をしている1年生の教室のすみに1つ机をもらって、一緒に授業を受けていたんです。ゆるい時代でした(笑)。だから1年生を2回やっているの。基礎はしっかりしていますよ(笑)」と。
両親ともに学校の先生で、働くお母様のそばで育ち、植物が友だち。「絵本体験といえば講談社の『曽我兄弟』や『岩見重太郎』『牛若丸』ですからね」と笑っていらっしゃいましたが、子どもが生まれると家庭でも保育園でも絵本に触れない日はない暮らしが始まり、子どもと一緒に絵本の世界に魅了されていったそうです。息子さんと何度も読んだのは『いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう』。同じくバージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』にはいわささん自身が圧倒されたそう。
植物への愛おしさを織り込んでいくように絵本づくりをしてきたいわささん。「この地球上に生まれ、たぐいまれな綱渡りの先に存在する生命の歌の断片だけでも紡ぎたいと思いながら作業しています」(季刊トライホークスNo.59より /三鷹の森ジブリ美術館・徳間記念アニメーション文化財団 発行)という言葉が心に残りました。少しでも子どもたちに届くようにという願いを込めながら営まれてきたいわささんの手仕事が、絵本。その貴重な織りものを、私たちは手にしています。
インタビュー・文: 大和田佳世(絵本ナビライター)
編集:掛川晶子(絵本ナビ編集部)