『ゴジラ-1.0』デザインは核兵器のメタファー。山崎貴監督が『シン・ゴジラ』のプレッシャーに立ち向かい“昭和のゴジラ”を描いた理由を語る【山崎貴インタビュー】

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PR 公開日:2023/11/25

ゴジラの映画を作るのは「神事」

――ちなみに「焼け跡」を舞台にした映画を撮りたいと思われたのは、何かきっかけがあってのことですか?

山崎:『あれよ星屑』という焼け跡を舞台にしたすばらしいマンガがあって、それを読んだことがきっかけですね。あまりにおもしろくて、映画にできないか真剣に検討してみたことがあるくらいです。

――なんと。もしかしたら、監督のフィルモグラフィーに『あれよ星屑』が入っていたかもしれない。

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山崎:そうですね(笑)。あの作品には、戦争の捉え方の近さを感じていたんです。戦争という状況の中で、人が狂気に陥りながら、何をしたのか。そして戦後の世界で、そういう人たちがどう生きたのか。どちらもものすごく、身につまされるくらいのレベルで感じられた作品だったんですよね。

――今うかがってきたような、監督の中にある様々な要素が結びつく形で、企画は『ゴジラ-1.0』として具体化された。その課程では、おそらくあらためて、今作におけるゴジラという怪獣は、一体、どのような存在なのかをお考えになられたのではないでしょうか。今回のゴジラ、どのように概念的に定義されていたのでしょう?

山崎:撮り始めた段階では、何か明確なものがあったわけではないです。「ゴジラって、こんな感じだよね」くらいの感覚で作っていたんですよ。でも不思議なもので、撮りながら自分でもどうしてこうするのかわからないままに、「なぜかゴジラはこうしなければならない」みたいな感じで進むところがあったんですね。そして、できあがってみたら、ゴジラという存在というか、ゴジラの映画を作るということは、ある種、「神事」だなと思ったんです。

――気になります。

山崎:世の中の不安が高まってきたときに、「祟り神」としてゴジラを召喚して、鎮める。ゴジラの映画を撮るとは、そうした鎮めの儀式なんだと思いついたときに、自分の中でも謎めいていた諸々のことが、腑に落ちたんです。それまで劇中で出てくる行動について質問されても、どうしてそういうふうに脚本で書いたのかわからなかった部分があったんです。もちろん感覚ではわかっていて、誰がなんといおうと「こうするべき」と思って撮っているんですが、理由を問われても言語化できなかった。それが「祟り神を鎮める物語」……つまり、ゴジラの映画というのは、御神楽のようなものなんだ、と。

――興味深い考え方です。

山崎:そもそもなぜゴジラが日本に来るのか?自分の中では、そこからすでに疑問だったんです。変異したきっかけを思えば、行くべき場所は他にある。でも、祟り神だと考えれば、すっきりする。『もののけ姫』のタタリ神も、傷つけられたものとはまったく関係のない村を襲うじゃないですか。祟り神は自我が崩壊しているんですよね。だからある場所を襲う理由も、破壊する理由もない。

――そうした考えに至られた過程も気になります。

山崎:ひとつ影響としてあったのは、作っている最中から公開までのあいだに、世の中の情勢が次々と悪化して、世の中の不安がとてつもなく大きくなっていったことですね。それと、実はこの映画は、思いきりコロナ禍の影響を制作中に食らっているんですよ。

――そうか、ほぼコロナ以降の制作ですか。

山崎:作っている最中に始まって、おかげで撮影が延長したり、他にもいろいろと作業のスケジュールを組み替えなければいけなかったので、影響は甚大でした。新型コロナウイルスという未知のものに対する不安、戦争に対する不安……そうしたいろいろなものが、ゴジラという形になって、日本に上陸してくる。それに立ち向かうというのは、「殺す」というよりは「鎮める」感覚に近い。だから「ゴジラの映画を作るとは、御神楽を舞うのと同じである」と捉えると、しっくり来たんです。ゴジラ映画を作ることは神事だ、と。そう考えると、この映画でのゴジラとの最後の戦いのあと、戦った人たちが取る行動にも納得がいくと思うんですよね。あれは観た人たちから結構不思議がられたし、自分でも思いついた瞬間には、理屈が通っていなかったんですけど。

――そこが不思議なものですね。

山崎:この映画に関しては、何か不思議な力に撮らされていたような感じすらするんです、なんともいえない感覚なんですけど、今、誰かがゴジラを作らなきゃいけなかったのかな……なんてことを、思ってしまうぐらい。それくらい、作っている最中に、世の中の不安がどんどん高まっていくのを個人的にも感じていました。

ゴジラ-1.0
©2023 TOHO CO., LTD.

デザインは核兵器のメタファー

――今のお話だと、今回のゴジラは祟り神的な側面を持つ存在なわけですが、一方でデザインや作中での描かれ方には、メカニカルな要素も感じられます。

山崎:あのデザインは核兵器のメタファーなんです。核物質を圧縮するイメージを、今回のゴジラのデザインには持たせたかった。だから全然、生物的ではないところがあるんです。

――監督みずから執筆されたノベライズでは、「インプロージョン方式の原子爆弾を思わせる」と、そのものずばりの形容でゴジラを表現されているくだりがあります。

山崎:そうですね。でも映画では、あくまで伝わる人にだけ伝わればいいと思ってやった表現です。明らかに初代のゴジラはキノコ雲が歩いてきたイメージのあるデザインですし、シン・ゴジラもそう。そうした流れを踏まえつつ、今回はキノコ雲ではない形でのメタファーとしてのデザインをやってみました。

――一方で、序盤での描き方はクリーチャー的というか、生物的な側面が強調されているような。

山崎:あの時点ではまだ『もののけ姫』のタタリ神で言えば、イノシシの段階なんですね。まだ神じゃなくて、動物、モンスターなんですよ。作り方の面でも、序盤だけは全部筋肉シミュレーションをやっているんです。だから歩くと体の一部が揺れるし、力を入れたところが盛り上がる。とても複雑な仕掛けをつけた、生き物としての描き方をしています。後半になるとそうした筋肉の表現はしていません。逆にシンプルな構造の、『シン・ゴジラ』が取った着ぐるみ方向に寄せるようなアプローチをしています。『シン・ゴジラ』ほどではないですけどね。筋肉シミュレーションをしっかりやると、日本のゴジラにはならない気もしたんです。本当はあえて見せびらかしたい技術ではあるんですけど(笑)。

――結果的に、ある意味で日本の「ゴジラ」シリーズの系譜だけではなく、ハリウッド版の「ゴジラ」シリーズの流れも踏まえたというか、両者の映像スタイルがひとつの作品で混じり合ったような形になりました。

山崎:そこまで考えていたわけではないですが、「生物が神様になった」ということを、表現の手法の違いから、ボディブローのように潜在意識で感じてもらえていたらうれしいですね。

山崎貴監督

焦土と化した日本に、突如現れたゴジラ。
残された名もなき人々に、生きて抗う術はあるのか。
ゴジラ七〇周年記念作品となる本作『ゴジラ−1.0』で監督・脚本・VFXを務めるのは、山崎貴
絶望の象徴が、いま令和に甦る。

キャスト
神木隆之介 浜辺美波
山田裕貴 青木崇高
吉岡秀隆 安藤サクラ 佐々木蔵之介

監督・脚本・VFX
山崎 貴


映画『ゴジラ-1.0』公式サイト


全国東宝系にて公開中