「音のない世界」と「音のある世界」をつなぐ親子の日常を描くコミックエッセイ。著者が本書でムスメに込めた想いと、忘れ得ぬ感謝の念を語る
公開日:2023/11/29
子育てにおいて、悩みや不安を抱えない親はおそらくいないだろう。それが一人目の育児ともなれば、尚更だ。だが、子育てについて回るのは苦労や悩みばかりではない。喜び、楽しみ、新たな発見など、心が震える感動も大いに味わえる。
2023年11月1日、うささ氏が上梓したコミックエッセイ『耳がきこえないママときこえるムスメのおはなし。』(白泉社)では、子育てにまつわるさまざまな悩みや喜びが赤裸々に綴られている。著者であるうささ氏は、生まれつき耳がきこえない。一方、ムスメさんは聴力を持ち合わせて生まれてきた。「音のない世界」と「音のある世界」。異なる世界をつなぎ合わせ、親子がコミュニケーションを育むまでに歩んできた道のりとは。
本書執筆に至った経緯、周囲への感謝、本書に込めた想いについて伺った。
取材・文=碧月はる
「この瞬間を描いて残さなきゃ!」ムスメがはじめて“手”を使って「音のある世界」を伝えてくれた日のこと
――本書執筆に至ったきっかけ、経緯をお聞かせください。
うささ:ムスメが1歳の頃、彼女のおてんばぶりを記録しようとInstagramで育児記録の更新をはじめました。一人歩きができるようになってから、ムスメの風呂上がりの脱走率が100%になった話、都バスへの愛着が強すぎるエピソードなど、日々の気付きをイラストでアップしていたんです。
そんなある日、ムスメがはじめて手を使って外を走る救急車のサイレン音を教えてくれた時、とても感動して。これは描いて残さなきゃ!と一気に漫画を描き上げました。その漫画がSNSで拡散され、「マママンガ賞」コンテストで期待賞を受賞。その後、WEB連載がはじまり、およそ2年の連載期間を経て書籍化に至りました。
――絵を描くことは、昔から好きだったのでしょうか。
うささ:はい。幼い頃から絵を描くことが好きでした。学生の頃、クラスメイトのために劇の台本をすべて漫画化したことがあるのですが、思った以上に好評だったんです。その経験を機に、人に何かを伝えたい時には「文章よりも漫画のほうが伝わりやすい」のだと気付きました。
――本書に登場するエピソードの中で、うさささんが一番印象に残っているのはどのエピソードでしょうか。
うささ:どのエピソードも捨て難いのですが、強いていうならやはり最初のエピローグに載せた「君が初めて“手”を使って教えてくれたあの日」ですね。当時のムスメはまだ1歳だったのに、手を使って私にサイレン音の存在を伝えようとしてくれた姿勢がとても嬉しくて。
「音のない世界」と「音のある世界」がつながったように思えて、じわじわ感動したことをよく覚えています。
――ムスメさんが生まれた当初、うさささんはムスメさんとのコミュニケーションに不安を抱いていらっしゃいましたが、娘さんの成長と共にコミュニケーションの幅が広がっていく姿が印象的でした。現在は、どのような心持ちで娘さんと向き合っているのでしょうか。
うささ:ムスメがまだ手話や指文字ができるわけではないので、コミュニケーションがうまく取れずぶつかることもしばしばあります。ですが、お互いに諦めずに自分の言いたいことを伝え合い、理解しようと努力しています。その過程を経て、お互いの関係やコミュニケーションが少しずつ良い方向に進むよう、日常を丁寧に積み重ねていけたらと思っています。
感謝の気持ちを伝えることで、周囲の理解と支援の輪がつながっていく
――町中にあふれる「きこえないことへの壁」を、本書を通して改めて思い知りました。コンビニが導入をはじめた「指差しシート」など、今後さらに全国的に広まってほしい取り組みについて教えてください。
うささ:本書の「壁がない?!」の章で描いたコンビニ「ローソン」が導入した「指差しシート」は、とても良い発想ですよね。耳がきこえない人のために、レジ袋やカトラリー、レンジの温めの有無を「指差しシート」で確認できるシステムなのですが、私は実際にこのシートの存在で、気持ちよくお買い物をすることができました。今はローソン以外でも様々なところで導入されているそうなので、もっと目にできたらいいなと思っています。
そのほかのお店でも、聴覚障害者が来店した際、どのように対応すれば互いにスムーズにコミュニケーションが取れるのかを事前に理解してくれていれば、それだけでも色々なことが違ってくると思います。
もちろん、手話を覚えてもらえたらとても嬉しいですが、指差しや袋・カードを見せてもらうだけでも十分に意図は伝わります。また、呼び出しブザーが振動式ではないものもあるので、その場合の対処法も考えてもらえたら嬉しいです。
――「取りこぼした言葉」の章で、娘さんの言葉をさまざまな人が拾って手渡してくれることへの感謝が描かれていました。そのほかのエピソードでも、うさささんが周囲の方々に感謝の思いを込めて日々接していらっしゃる様子がうかがえます。悲観的にならず、感謝の気持ちを持って生きようとする姿勢は、いつ頃から身についたものなのでしょうか。
うささ:生まれつき障害者である自分は、他者の支えがないとどうしてもできないことがあります。“してもらって当たり前”と傲慢にならず、してもらえたことへの感謝を忘れないよう心がけています。相手に感謝を伝えることで、その人が「こうしたらいいんだ」と聴覚障害への理解を深めてくれる。それがやがて、巡り巡って支えを必要とする人の支援へとつながっていくのではないでしょうか。
感謝の気持ちは元々持っていましたが、ムスメを授かり、コロナ禍になり、周囲に助けられる場面が増えたことにより、その想いがいっそう大きくなったと感じています。
――本書は、娘さんへの手紙のようにも見受けられました。本書を通して娘さんに伝えたい想い、メッセージなどがあればお聞かせください。
うささ:ムスメが漫画を楽しめて、色々考えられる年齢になったら、この本をプレゼントしたいと思っています。きこえない母親として、幼いムスメにどう接していたのか、どのように困難を乗り越えてきたのかを、本書を通して伝えられたらと思っています。
子育てにおける葛藤もさることながら、心温まるエピソードが満載の本書は、読んでいるだけで思わず笑顔になれる。ムスメさんの笑顔見たさに苦手な歌に挑戦したり、お宮参りの最中に授乳時間が重なってしまったり。アタフタと慌てながら、我が子の身の安全を守るために必死になる母の姿は、古今東西変わらない。
「きこえない」不安を抱きながらはじまった子育てにおいて、ムスメさんの存在を通して未来への可能性が拓けていく様子が、本書には克明に描かれている。同じように聴覚障害を持つ親御さん、もしくは子どもの側にとっても、本書は大きな勇気と希望を与えてくれる一冊となるだろう。
ほっこり心が癒されるイラストと、涙あり笑いありのエピソードの数々が惜しみなく詰め込まれた親子の日常は、現在進行系である。「きこえないママ」と「きこえるムスメ」の世界は、今日もしっかりとつながっている。