「許しが今後の私のテーマになる」――町田そのこが葬儀屋を描く最新作『夜明けのはざま』を語るインタビュー
更新日:2024/9/30
地方のさびれた都市で、家族葬を営む葬儀社「芥子実庵」を舞台に描かれる、町田そのこさんの最新作『夜明けのはざま』。町田さんが葬儀社を舞台にした小説を書くのは二度目で、前作『ぎょらん』は、嚙みくだくと死んだ人が最期の瞬間に願った強い想いを共有することができるという赤い珠を通じて、人の死に向き合う物語だった。今作は大切な人の死を通じて、しがらみの多い地域社会を生きる人たちのさまざまな生きづらさを浮かび上がらせる。なぜ、再び葬儀社を舞台に書こうと思ったのか。お話をうかがった。
取材=立花もも、撮影=金澤正平
――今作を書こうと思ったきっかけは、なんだったのでしょう。
町田そのこ(以下、町田):また葬儀社が舞台か、と思われるかもしれませんが、前作『ぎょらん』が亡くなった人たちに向き合う物語だったのに対し、今作では残された人たちがいかに生きるか、というところに焦点を当てています。というのも、『ぎょらん』では死を神聖なものとして描きすぎてしまったのではないか、という想いがあったんですね。私も年を重ね、死は特別なものではなく、常に日常のかたわらにある、誰もがいずれたどりつく場所でしかないのではないか、と思うようになったんです。
――語り手が四人の連作短編集ですが、中心にいるのは、佐久間真奈という31歳の女性です。葬儀社の仕事が好きなのに、プロポーズされた恋人から「結婚するなら仕事をやめてほしい」と言われて、迷っている。
町田:佐久間に限らず、登場する人たちはみんな、見えない差別に苦しめられているなと思います。葬儀社の仕事は穢れである、という偏見だけでなく、男だから、女だからという古い固定観念にもとづく役割意識に、みんなどこか、縛られている。佐久間の同僚である千和子も、職場でひどいセクハラを受け、女であるというだけで苦しめられた経験を持つのに、その窮地から助けてくれたはずの夫を、今度は自分が「男なんだから」と追い詰めてしまう。
――加害と被害は表裏一体なのだな、と読んでいて胸が痛かったです。まあ、元夫の野崎は、ちょっと甘ったれが過ぎるとは思いましたが……。
町田:私も、野崎は書いていてイライラしました(笑)。基本、クズな男を書くのは好きなんですけど、彼はあまりに千和子を頼りすぎで、ふがいなくて。でも、そういう人ほど、ここぞというときにホームランを打ったりするんですよね。しかも基本的に柔和で優しいから、千和子には彼こそがヒーローであるかのように見えてしまった。野崎がどんな人なのか真正面から見ようとせず、理想のヒーロー像に押し込めて、それに応えられないからといって追い詰め、傷つける。
結果、二人の関係は破綻するわけですが、野崎と向き合うよりもその苛立ちに身を任せているほうが、そしてなんだかんだ言って野崎を甘やかしていることが、彼女にとってはラクだったのかもしれないな、と思います。
――亡くなった今の恋人の葬儀を頼むため、野崎は千和子に連絡をとるわけですが、恋人の遺した「彼を甘やかすことが己の愛情の示し方だと思っていました。(略)でもそれは、彼をやさしく殺める行為だった」という言葉が、刺さりました。
町田:けっきょく人は、どんなに理不尽な目に遭ったとしても、自分の足で立ち上がるしかないんだよなあと思います。でも、ときには軽んじられる状況に身をゆだねるほうがラク、ということもあるじゃないですか。佐久間も、あれほど結婚しても対等でありたいと主張していたのに、自分がつまずいたとたん、結婚という逃げ道を視野に入れてしまう。そういうものだと受け入れてしまえば全部がうまくいくのだから、と違和感に目をつぶってしまう人も、世の中には多いのではないでしょうか。
――でもそれが、地獄の入り口だったりするんですよね。佐久間の友人・楓子も、作品冒頭の結婚式で「大丈夫か?」と思われていたことが、もっとひどい現実になって襲い掛かってきます。
町田:そうなんですよ。その場はまるくおさまったように見えても、やがてもっとひどい理不尽になって帰ってきたりする。とくに結婚って、家族になるって、一生のことだから。楓子の夫とその家族は、自分たちが悪いことをしたなんて思っていないし、結婚式にも出席した友人がとある事件を起こしたことで、顔に泥を塗られた被害者だと思っている。そんな嫁と仲良くやれている自分たちはなんていい家族なんだと。
――楓子をいけにえにして、家族はより結託していく。そういう、傍から見て仲良さそうだけれど、実は誰かの犠牲のうえに成り立っている、ということはけっこうある気がします。
町田:結婚はゴールじゃない、とつくづく思いますね。でも、そういう小説を書きながらも、私自身は、仲良さそうな家族や、おじいちゃん・おばあちゃんになっても手をつないでいる夫婦を見ると、いいなあと羨んでしまったりする。
――わかっていても、そこに理想郷がある気がしてしまいますよね。
町田:佐久間の恋人・純也の両親も、世間一般的から見ればとてもいい夫婦。お父さんはお母さんのために頑張って働き、お母さんはお父さんの意に添うよう家庭を支えるという、役割分担が明確になされていて、二人ともが納得している。それで幸せだと信じているから、子どもたちにも押し付けてしまうんだけど、異なる価値観の人たちを受け入れることができないから、そこにもまたひずみが生まれてしまうんですよね。
――純也や、四章の語り手である姉の良子も抑圧されて育った部分がありますが、その価値観の押し付けが、結果的に佐久間にもめぐってきてしまう。家族の問題は、家族だけでは終わらないんだなということも、今作では書かれていた気がします。
町田:東京では、そうした古い価値観をなくそうという人たちの声が大きいから、だいぶ薄まってきていると思うんですけど、佐久間が住んでいるような地方都市は、まだまだ慣習に縛られていることが多い。
そういえば私も、以前、北九州で仕事の会食を終えたあと、タクシーの運転手さんから説教を受けたことがありました。同席していたのは年配の男性ばかりだったんですけど、私を最初にタクシーに乗せてくれたんです。そうしたら「ああいうときは、ちゃんと偉い人から先に乗せないとだめだよ。自分は最後!」って。
――よ、よけいなお世話~!!
町田:いやもう、その場で降りてやろうかと思いました。「今日はお世話になりました、ありがとうございました」って向こうが私に言っていたの、聞こえなかったのかな?と。でもそれを「そういうものだから仕方ない」と諦めて、深く考えずに受け入れてきたのが20代の私だったんです。
でも、その諦めを一生貫くことはできなかった。どうしてあのとき、もっと戦わなかったんだろう。どうして諦めてしまったんだろう。と年齢を重ねるごとにだんだん後悔するようになった経験があるからこそ、佐久間にはどんな結論をくだすにしても、自分がどうしたいのかをしっかり見つめて、戦ってほしいなと思いました。
――良子も夫との関係に苦しいものを抱えていますが、意見の異なる人と向き合って話し合う、って本当に難しいことだなというのも本作を通じて感じます。どうしても譲れないものがぶつかりあったとき、それが誰より大切な人だった場合、自分はどうするだろう、と。
町田:難しいですよね……。一緒にいるために譲る、というのもまた選択肢の一つだし、純也は佐久間にそれを望んでいた。佐久間もまた、自分のために純也には譲ってほしいと願っている。でも、失うことを覚悟で、諦めてはいけないものもあるのだと思います。だって私たちには、必ず明日があるとは限らないのだから。
――〈広い世界には、どうしても理解し合えない人がいる。近づけばお互い傷つくだけなんだよ〉というセリフがありましたね。ただそれを言ったのは、三章の主人公・須田をかつていじめていた同級生で、自分がすっきりしたいがために謝罪し、許しを強要するというとんでもない相手でしたが。
町田:聞こえのいいことばかり言うんですよね。マイナスの感情を背負っていてもしんどいだけだとか、過去は乗り越えるべきだとか、一度きりの人生は誰かを恨むより楽しく生きたほうがいいとか。そういう、きれいな言葉をお題目に、いろんなことを諦めたり、傷つけられたりしたことを忘れるしかなくなる人たちもきっとたくさんいるんじゃないでしょうか。でも、それは全部、葛藤の末に本人がたどりつくからいい言葉なのであって、加害者側が言うことではない。
――野崎以上に、同級生たちの態度にはイライラしましたね……。でもじゃあ、彼らのために須田の人生が台無しにされたままでいいのか、という思いも確かにあって。
町田:そうですね。許し、というのは今後の私にとって大きなテーマの一つになるような気がしています。今はまだ、自分のために折り合いをつけていく物語を書くことが多いけれど、自分のために決して許さないという苛烈な強さを持った人のことも、いつか描けたらなと。
――語り手だけでなく、本作では、さまざまな生きづらさを抱えた人が登場しますね。芥子実庵の社長は、葬儀社を営んでいる一方で「死」が怖くてたまらないし、須田が幸せそのものだと思っていた同僚も、実は途方もない悲しみを背負っている。
町田:どうしても、自分以外の人はみんな幸せそうに見えてしまうし、誰にだって逃げ出したい瞬間はあるだろうし、歯嚙みするほどの情けなさを味わう瞬間もあるはず。でも、そこに考えが及ばないと、自分だけが弱者で被害者のような気持ちになって、相手を無自覚に傷つけてしまう。
『ぎょらん』では、ぎょらんというミラクルアイテムを使って死んだ人の最後の願いに触れ、後悔を解消することができたけれど、実際は贖罪する機会すら与えられないことがほとんど。
――須田のように、謝罪されたところで受け入れられない状況もありますしね。
町田:どうしたって死んだ人には贖罪できないのだから、納得がゆくまで、心の中にいるその人と対話を重ねていくしかない。でもやっぱり、生きているうちに対話できるのがいちばんですよね。作中にも書きましたが、私たちはみんな、いろんなことを明日にゆだねすぎている。
でも、明日が必ず来る保証はどこにもないのだから、今を後悔しないよう懸命に生きなくてはならないし、自分の感情にも、目の前の大切な人にも、向き合うことから逃げてはいけないのだと思います。人間、そんな急には変わらないけど、夜と朝のはざまでいつのまにか色が変わっていく空のように、私たちも少しずつ自分自身を変えられたらいいな、と。