氷上を華麗に舞うフィギュアスケートの舞台裏。五輪を目指す2人の天才少女とそのパートナーの運命の物語

文芸・カルチャー

公開日:2023/12/12

この銀盤を君と跳ぶ
この銀盤を君と跳ぶ』(綾崎隼/KADOKAWA)

 氷上を華やかに舞うその裏で、選手たちはどれほどの苦闘を乗り越えてきたのだろう。どうしてそれを一切感じさせないような輝かしい演技を披露できるのだろう。美しくも過酷な競技、フィギュアスケート。『この銀盤を君と跳ぶ』(綾崎隼/KADOKAWA)は、その競技に全身全霊をかける選手とそれを支える者の姿をみずみずしく描き出した傑作だ。たった数分間の演技を完璧なものにするために積み上げられてきた日々。磨いてきた技術と、失ったもの。まるで実在する選手を追ったような濃厚な人間ドラマに胸がいっぱいになる。

 舞台は、全日本フィギュアスケート選手権。この全日本選手権は、オリンピックに出場する選手を決める、最後の舞台だ。今シーズンは、日本女子フィギュアの歴史を変える最高の選手2人が揃っている。卓越したセンスと表現力で常に完璧な演技をみせる京本瑠璃。圧倒的身体能力で女子のジャンプの限界を突破し続ける雛森ひばり。だが、この全日本選手権で勝利した一人しか、オリンピックに出場することはできない。ともに19歳のこの選手のうち、どちらに勝利の女神は微笑むのだろうか。彼女たちのこれまでの競技人生は、決して容易いものではなかった。

 瑠璃とひばりは、対照的な性格だが、どちらも目が離せなくなってしまうような選手だ。たとえば、「氷の獅子」と呼ばれる瑠璃はとにかく苛烈。選手権の朝、早く起きた彼女を心配する声に「コンディション調整も出来ないような雑魚とは違う」と返すような、世の中を見下しきった態度の高飛車な少女だ。決して褒められた態度ではないが、瑠璃がいつだって怒りに満ちているのは、誰よりもフィギュアスケートを愛し、それと真剣に向き合っているためである。一方、「雪の妖精」と呼ばれるひばりは、良くも悪くも天真爛漫。男子選手顔負けの身体能力がある一方で、やれば出来るのに、我慢が苦手で、コーチの指示に従わず、気分次第で練習も大会もサボる。かつてひばりは瑠璃に「フィギュアスケートは遊びじゃん。楽しいか楽しくないかでしょ」と言い放ち、瑠璃は「勝つか負けるかだよ」とこれに反発した。真剣にスケートと向き合っているすべての人は、ひばりの奔放な生き様に振り回され、ひばりは、周囲の人々の気持ちがまるで分かっていない。だが、今回の選手権では、欲望に忠実なだけの少女は、もういない。どうして、ひばりは真剣に競技と向き合うことになったのか。

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 そんな個性的な2人の天才を、この物語では、支え続けてきた人間たちの視点で追っていく。瑠璃を支え続けてきた振付師。ひばりを支え続けてきた、幼馴染のフィギュアスケーター。彼女たちは、ずっと天才たちを見つめ、ときにその圧倒的な才能を目の前に葛藤してきた。凡才であるが故の苦悩には、自分の才能に悩んだ経験のある人間ならば、共感せずにはいられないだろう。だが、天才と呼ばれる人物にだって苦難は訪れる。なぜなら、フィギュアスケートは、天才が天才のままでいることを許さない競技だからだ。競技の醍醐味は華麗なジャンプだが、選手は皆、幼い頃から肉体的にも精神的にもギリギリのところでそれを繰り返している。練習時間が増えれば増えるほど、着氷する片方の足にばかり負担が蓄積し、いつかは暴発する。怪我をしても完治するまで逆足で着氷するなんて器用なことは出来ない。そこに成長の問題まで加わる。女性的な体形に変化すると、回転技の難易度が上がる。表現力は経験とともに磨かれるのにもかかわらず、最大の得点源となるジャンプではどんどん跳べなくなっていく。さらには、瑠璃とひばりは、それぞれ大きな問題も抱えていて……。身近な相手にだけ、天才が見せた弱さ。それに触れた時、パートナーは何を思うのだろうか。

 天才とそのパートナー。固く結ばれていく絆を見るにつれ、熱いものがこみあげる。胸が苦しくてたまらない。選手たちは氷上でひとりで戦うわけではない。誰よりも自分のことを理解してくれる存在がそばにいるからこそ、選手たちは最高の演技をみせることができるのだ。クライマックス、決戦の場面では、本当の試合をみるかのように眼前にその光景が浮かび上がってくる。彼女たちのこれまでを追ってきたから、「どちらにも全力を尽くしてほしい」という思いが心の中を支配する。響き渡る甘美なメロディに乗った、ダイナミックな演技。ジャンプやスピンを成功させる度に感じる言い知れない感動。思わず、固唾を飲んで2人の演技を見守ってしまう。

 こんなにも胸を熱くさせられるとは思わなかった。氷上に傾けられた情熱。フィギュアスケートという競技の面白さを改めて感じさせられた。あなたも、天才たちとそのパートナーの人生をかけた戦いを見届けてほしい。彼女たちの競技にかけた並々ならぬ思いに圧倒させられるだろう。

文=アサトーミナミ