村上春樹の短編6作が、1本のアニメ映画になる? 2024年初夏公開『めくらやなぎと眠る女』原作紹介
更新日:2024/1/18
村上春樹原作の映画といえば『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞の国際長編映画賞を受賞したことが記憶に新しいですが、韓国の巨匠が自国で撮った『バーニング』、ベトナム系フランス人監督が日本で撮った『ノルウェイの森』、日本人監督がハワイで撮った『ハナレイ・ベイ』など、何かとボーダーレスな展開がなされてきました。本記事でご紹介する2009年に出版された短編集『めくらやなぎと眠る女』(新潮社)もまた、フランスのアニメーション作家ピエール・フォルデスによって、収録作品が映画化されました。
冒頭で言及した映画『ドライブ・マイ・カー』は、同名の原作といっしょに、短編集『女のいない男たち』に収録されている他2作「シェエラザード」と「木野」も吸収したようなストーリーとなっていました。映画『めくらやなぎと眠る女』に関しても、他5作(「かえるくん、東京を救う」「バースデイ・ガール」「かいつぶり」「ねじまき鳥と火曜日の女たち」「UFOが釧路に降りる」)を翻案しているということで、作品同士もまたボーダーレスな点が注目です。本書には、「めくらやなぎと、眠る女」(本編の方には「、」があります)と「バースデイ・ガール」が収録されています。
いまのところ発表されている映画ビジュアルでは、電車に乗っているカエルがインパクトを出していて、「かえるくん」が前面に押し出されていますが、本書の題名になっている「めくらやなぎ」というのは一体何なのでしょうか。そんな植物があってもおかしくないように感じますが、これは作中で出てくる架空の植物の名前です。
「めくらやなぎの外見は小さいけれど、根はすごく深いのよ」と彼女は説明した。「じっさいのところ、ある年齢に達すると、めくらやなぎは上に伸びるのをやめて、下へ下へと伸びていくの。まるで暗闇を養分とするみたいにね」
この場面は25歳の「僕」が、8年前にガールフレンドがボールペンで紙ナプキンの裏に描いていた絵について思い出している場面です。「井戸」というモチーフや「地下に降りていく」という描写が村上春樹作品ではよく登場し、記憶の深層や多層性が題材となってきました。
めくらやなぎの絵が描かれたことから、ガールフレンドが書いた「ハエが体の中に入って肉を食べる」という不思議な描写のある創作詩をもとにしたものだったことも、連動して思い出します。その思い出すきっかけは、25歳の「僕」が14歳のいとこに付き合って耳鼻科に行く際に「治療は痛くないか」と身体的苦痛の有無について聞かれるという、現在の時間軸の出来事です。
このような複雑に記憶や出来事が入りくんでいる構造のストーリーは、『バースデイ・ガール』も同様です。20歳の誕生日にアルバイトに出ることになった「彼女」が、「願い事を叶えてくれる老人」と出会った奇跡のような出来事を振り返る形をとっていますが、聞き手の「僕」はこう尋ねます。
「べつにむりに聞き出すつもりはないよ」と僕は言う。「僕が知りたいのは、まずその願いごとが実際にかなったのかどうかということ。そしてそれが何であれ、君がそのとき願いごとしてそれを選んだことを、あとになって後悔しなかったってことだよ。つまり、もっとほかのことを願っていればよかったとか、そんな風には思わなかった?」
「あのとき、ああしていたから、こうなっている」「あのとき、ああしていれば、こうなったかも」という感情は誰しも一度は持ったことがあるかと思いますが、複雑な構成からシンプル・普遍的な着地点を見出す村上春樹文学がどのようにフランスのアニメーション作家によって解釈されているのか、短編集『めくらやなぎと眠る女』を読むととても楽しみになります。映画は2024年初夏公開ということで、著者のほかの短編集もあわせてチェックしてみて、鑑賞体験をより深いものにする準備をしてみてはいかがでしょうか。
文=神保慶政