発酵デザイナー、アジア奥地を行く――唯一無二の旅で発見する、日本の食文化の源流
公開日:2023/11/29
旅の切り口は人それぞれですが、食を目的に出かける人も多いでしょう。そしてその中でもさらに絞り込んで特定のカテゴリを極めるようにすると、誰にも真似できないオリジナルな旅になることを教えてくれるのが『アジア発酵紀行』(小倉ヒラク/文藝春秋)です。
著者の小倉ヒラク氏は大学で文化人類学と発酵学を修め、そこにデザイナーの経験を混ぜ合わせ、「発酵デザイナー」というオリジナルな職種を打ち立てました(このキャリア自体が、ユニークな発酵過程と様々な素材のブレンドを経たクラフトビールのようです)。
『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』(木楽社)で見えない微生物から社会を解説し、『日本発酵紀行』(KADOKAWA)や『オッス!食国 美味しいにっぽん』(KADOKAWA)でその洞察を日本列島を股にかける旅に変身させた小倉氏は、本書でついに海外進出します。バックパッカーとして世界各地をまわった経験を持つ小倉氏にとっては「新しい味」を発見していく旅というより、かつて出会って脳裏に残っている「懐かしい味」の記憶を、発酵デザイナーとして再回収していくような内容になっています。
目的地となるのは、どちらかというと「秘境」と呼ばれるような場所が多く、例えばインド北東部のマニプル州という入域許可の必要な紛争地域や、中国雲南省の少数民族の村など。しかしネパールの首都カトマンズとその界隈、マザー・テレサゆかりの地として有名なコルカタといった比較的アクセスしやすい場所も含まれているので、「通な旅」をするガイド本としても本書は機能するでしょう。
本書で描かれている壮大な旅は、小倉氏のある仮説が起点となっています。米に付着して日本酒などの原料になる糀(こうじ)というのは日本独自の発酵の素だと考えられてきましたが、実はアジアにもその文化は長らく(むしろ日本に糀文化が生まれる前から)存在し続けてきたのではないか、というものです。
中国には「麹」(こうじ)という漢字は存在するのですが、「糀」という漢字はありません。そうしたこともあり、日本の食の独自性は米の発酵にあるとされてきました。しかし小倉氏は「いや、海の向こうにも糀文化の兄妹がいるのではないか」という着眼点で新しい旅のルートを見出し、それをまるごと「アジア発酵文化のふるさと」と名付けようとします。
雲南~チベットを経てヒマラヤを登り、そこからベンガルへと降りていくのが、アジア発酵街道の「縦断道」。対して雲南中部からミャンマーを越え、同じくベンガルへと至る道が「横断道」。シーサンパンナの熱帯林からベンガル湾へと西に半円の弧を描くこのエリアこそが、アジアの発酵文化のふるさとなのではないか。
その新たな旅のルートを読者が知って一体何になるのかと思われるかもしれませんが、日本に暮らしていれば(頑張って避けない限り)、米、醤油、味噌、お茶に日々遭遇するので、そこに「アジアの姿」を見出せるようになります。また、発酵文化を求めて日本各地を周遊してきて、東京・下北沢で専門店「発酵デパートメント」も運営する小倉氏は、局所局所で日本の発酵食や景観をアジアのそれらと結びつけるスタイルで執筆しているので、読書体験の外側で読者が「アジア発酵文化のふるさと」のあちこちにワープできる可能性を増やしてくれています。
カトマンズ渓谷も御嶽山と同じく冷涼な山間地。青菜を洗ってビンに詰め、日当たりのいいところに置いておくと、乳酸菌が活性化して塩を使わずとも漬物になってしまう。これをアチャールにして薄味のベジタルカリとあわせると、とたんにリッチな味わいになってしまう。
実は本稿の筆者は、ある重要な人物を紹介した「友人」として本書に登場しているのですが、まさか「あっ」と思って送ったメールから本書の1章分ぐらいに発展(発酵?)するとは思ってもみませんでした。おそらく、小倉氏が持つ発酵デザイナーとしての「巻き込み力」によるものでしょう。ぜひ皆さんも本書を読んで、その渦中に飛び込むような読書体験に浸ってみてください。
文=神保慶政