なぜ恋人が撮る写真はヘタでも心が動かされるのだろう? 写真家・幡野広志が語る“いい写真”と“ダメな写真”とは
PR 公開日:2023/12/10
昔、写真を撮ることが好きな人と付き合ったことがある。
その人はよく、私の写真を撮っていた。別に写真を仕事にしているわけではなく、カメラにこだわっているわけでもなく、写真がうまいわけでもなかったけれど、なぜかその人が撮る私の写真を見ると胸がきゅうっと締め付けられ、言い表せない愛しい気分になった。私は普段写真を撮られることが好きではないが、その人が撮る自分の写真はとても好きだった。技術的なことはわからないけれど、とにかく「いい」なと思っていたのだ。
11月15日に発売された、幡野広志さんの新刊『うまくてダメな写真とヘタだけどいい写真』(ポプラ社)を読んで、なぜその人の写真について心を動かされたのかが少しわかったような気がする。
幡野さんは、本の中で何度も表題の言葉を繰り返す。「うまくてもダメな写真はあるし、ヘタだけどいい写真はある」と。幡野さんが言う「いい写真」とは、「見る人に感情が伝わる」写真のこと。たとえ技術が優れていても、その写真を撮った人が、どんなときに、どんな思いで撮った写真なのかが伝わらない写真はダメだと言う。取材でお決まりのポーズを作って撮られた写真などを例に挙げて幡野さんは説明する。
写真は技術よりも、何に感動したのかが伝わることが大事。だからこそ、写真を始める時に「カメラはなんでもいい」し、「何枚撮ってもいい」。写真だけで伝わると思わず、言葉を添えることも必要である──。本の中には、写真初心者の私からすれば目から鱗な言葉が次から次へと出てきた。
写真とは、自分の感動を残すこと。好奇心と行動力を持って、真摯に被写体と向き合うこと。本の中盤に出てくる「写真をはじめる前に、人間をはじめましょう」という幡野さんの言葉は、まっすぐで正しく誠実で、印象深く心に残った。
もちろん本書の後半には、光の捉え方や現像についてなど、技術的な側面についても書かれている。でもこの本は前提として、写真をこれから始めたいという初心者に向けた本だ。そうなった時に、何よりも幡野さんが伝えたいことは技術ではなくもっとマインドの話なのだなと思った。この本を読んで、写真とは、コミュニケーションであり、生き方なのだと知った。
冒頭の私のかつての恋人の写真には、きっと、その人が見ている世界、その人の感情が滲み出ていたから心が動かされたのだろうなと思う。相手の私に対する感情が伝わり、それが気恥ずかしくもうれしくて、今思い返せば写真は愛そのものだった。別れる間際、相手は私を撮らなくなった。撮りたい感情がもう湧き出てこなかったのだろう。「撮らない」ことも含め、写真なのかもしれないと思った。
数ヶ月前、私はちょうどコンパクトデジカメを買った。無性に今、写真が撮りたい。うまくなくてもいい、今の私だから撮れる写真を。これからは毎日持ち歩いて、私の感動を、見たものを、少しでも残していけるといい。そう思える一冊だった。
文=あかしゆか