がん「ステージ4」と余命1~2年宣告を生き抜いた俳優。生還できたのは、実は医者を妄信せず病院を変えたから? 

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PR 公開日:2023/12/20

小倉一郎さん(撮影/千田容子)

 日本では、がんに罹患する確率は男女ともに2人に1人。死亡する確率は、男性が4人に1人で、女性は6人に1人だという(国立研究開発法人国立がん研究センターの資料より)。もちろんどの臓器を病むかで結果は異なるけれど、誰にとっても他人事ではないこの病。生還するかどうかの分かれ目は、第一に「気づく」ことにあるのだなあ、とさまざまな体験記を読んで感じる。『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記』(双葉社)を上梓した俳優の小倉一郎さんが、余命宣告されるほど重篤だったがんを抑え込み、今も健在なのも、足首の骨折をきっかけに体の不調に気づくことができたからだった。

 といっても、ステージ4は決して「早期発見」とは言えない。余命1~2年といわれた小倉さんは「もはや助からないのであれば、残りの人生あと1年を、どう充実させようか」と思いを巡らせた。とうとう自分の番か、と静かに肚をくくったその姿に、きっと周囲のほうが動揺を強くしただろう。それは、俳優の三ツ木清隆さんが言ったという「そんなに淡々と言わないでよ。少しはジタバタしなよ」という言葉にもあらわれている。小倉さんとて、残りの人生を美しくしめくくるために前向きに行動を起こすつもりでいた。その強さに、本書を読みながら打たれると同時に、それほど強い人であっても「ジタバタする」にはとほうもない気力がいるのだ、とはっとさせられもする。

 諦めるのは、苦しいけれどたやすい。頑張ればなんとかなる、とは言えない状況で、希望を模索してあがくのは、もしかしたら死ぬよりも苦しいかもしれない。だけど、やっぱり、死んだら終わりなのだ。どうにもならないかもしれなくても、一歩を踏み出すことでしか人は生きられないのだということ、そして、一人ではふりしぼれない生きる力を注いで、この世につなぎとめてくれるのは、まわりで支えてくれる、愛してくれる他者なのだということも本書を読んでいて痛感した。

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 30年近く健康診断をサボっていた小倉さんが生還できたのは、幸運なめぐりあわせによるところが大きい。ただ、がんを発見したことの次に小倉さんにとって大きかったのは、早々に病院を変えたことだ。余命宣告した医師が、患者である小倉さんではなく、患部の映し出されたモニターしか見ないことに不審を抱いた長女さんが転院を決めなければ、新しい病院で新しい治療法に出会うこともなく、小倉さんは余命宣告に従うしかなかっただろう。医者というだけで妄信せず、目の前にいる人がちゃんと自分に向き合ってくれているか、見極める目も大事なのだと思う(専門家でもないのに治療法をやたらとすすめてくる人をはねのけることも含めて)。

 俳人でもある小倉さんは、四季の移り変わりを見つめながら日々を生きている。生まれてすぐに母親を亡くし、どこか死を身近に感じながら、家族との日々を慈しんできた小倉さんだからこそ、激しい痛みをこらえながら前を向き続けることができたのかもしれない。いかに生き、いかに自分の人生に胸を張るか。その心得もまた、本書は教えてくれる気がする。

文=立花もも