犬の寿命の短さに対抗するには? 犬好きの誰もが爆泣きした1首の短歌から絵本ができるまで。『きみと風』インタビュー
PR 公開日:2023/12/16
2017年から短歌の個人販売「あなたのための短歌1首」を続けている歌人・木下龍也さん。その活動を知った脚本家・エッセイストの夏生さえりさんが、木下さんに短歌を依頼したのは2020年のことだった。
「いま飼っている犬、かつて飼っていた犬、そして、実家の病気になっている老犬たち。私は犬をすごく愛していますが、その分、いつかやってくる別れのことを思うと、胸がつぶれそうなほどに寂しくて恐ろしくて仕方がないです。そんな私のお守りとなる短歌をください」
この依頼に対して、木下さんはこう返した。
「愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる」
木下さんの短歌に心を射抜かれた夏生さんは、この1首から絵本をつくることに。それが、夏生さんが物語を紡ぎ、くまおり純さんが絵を添えた『きみと風』(岩崎書店)。たったひとりに向けた短歌は、絵本へと形を変え、動物に心を寄せる人々の間に静かな感動を広げている。その創作過程、短歌や絵本に込めた思いについて、木下さん、夏生さん、くまおりさんに話を伺った。
(取材・文=野本由起)
犬の寿命の短さという現実に対抗し得るのは、「来世」という物語
──『きみと風』は、木下さんがつくった短歌から生まれた絵本です。そもそも木下さんは、なぜ「あなたのための短歌1首」という個人販売を始めたのでしょうか。
木下:僕は雑誌『ダ・ヴィンチ』の短歌投稿コーナーがきっかけで歌人になり、2013年に第一歌集を、2016年に第二歌集を出しました。2017年頃は、不特定多数の読者を殴ってでも振り向かせようとしていた時期で、「もっと読まれたい」という肥大化した自己に押しつぶされそうになっていたんです。このままでは短歌を離れることになりそうだし、やり方を変えないといけない。「不特定多数に向けて短歌を書いているから、自分を売り出そうという気持ちが強くなっているんじゃないか」と考えた時に思い出したのが、あるふたつのサービスでした。
ひとつは、歌人の枡野浩一さんが、依頼した方の名前を詠み込んで短歌をつくり、メールで送る「名前短歌」というサービス。もうひとつは、詩人の谷川俊太郎さんが、毎月詩を封筒で届ける「ポエメール」。このふたつをもとに、特定の個人に向けて短歌をつくり、なおかつ封筒で届ける「あなたのための短歌1首」を始めることにしました。
僕は与えられた題やテーマに沿って短歌を詠む「題詠・テーマ詠」が得意でしたし、当時は自分の短歌にも自信があった時期でした。ですから、最初は腕試しのようなつもりでしたが、なぜかだんだん人生相談のようなご依頼が増えてきて。その頃から、「この1首の先には人がいるんだな」「この短歌を受け取って、何かしら影響を受ける人がいるんだな」と思うようになりました。そこからはつくり方が変わり、自分のためというよりも向こうにいる人のために短歌を書くようになったんです。
しかも、始める前は読む人の心は、喜怒哀楽どの方向に動かしてもいい、心を動かすことに意味があるんだから不安にさせてもいいし、不快にさせてもいいと思っていました。ですが、その1首の向こうに人がいると考え始めてからは、せっかく依頼してもらったのだから、心地よくなってもらうもの、人生が良い方向に進むようなものをつくりたいという意識が強くなっていきました。「あなたのための短歌1首」に限らず、どちらかというと「善」の方向に自分の短歌を使っていこうと思うようになったのかもしれません。
──夏生さんが、木下さんの「あなたのための短歌1首」について知り、申し込んでみようと思ったのは、どういうきっかけだったのでしょうか。
夏生:実はまったく思い出せなくて(笑)。ただ、以前から木下さんのSNSをフォローしていましたし、「あなたのための短歌1首」についても知っていました。でも、いつもすぐに売り切れてしまってなかなか申し込めなかったんですよね。
そうこうしているうちにコロナ禍になり、「よっしゃ、本を読むぞ」と思ってたくさん本を買ったんです。木下さんの『きみを嫌いな奴はクズだよ』(書肆侃侃房)や『天才による凡人のための短歌教室』(ナナロク社)もその時に読んだんですね。そのタイミングで「あなたのための短歌1首」の再募集が始まったのを見て、お願いすることにしました。とはいえ、「なんか面白そうだな」くらいの軽い気持ちでした。
木下:最初に依頼をいただいたのは、2020年9月でしたよね。
夏生:そうです。犬に対する思いや今抱えている不安を書き、「お守りとなる短歌をください」とお願いしました。
木下:この依頼内容を読んで、お守りとなる短歌があるなら僕も欲しいなと思いました。というのも、僕も実家で飼っていたコーギーを亡くした経験があるので、自分ではもう犬を飼えなくて。犬の命は人間より短いので、どうしても先に死んでしまいます。一緒に暮らしている時は楽しいのですが、どうしてもその先を考えてしまうので。
夏生:わかります。
木下:このお題に対する共感が大きくて、だからこそ最初は「書けないな」と思いました。
──共感するところが多いほど、書きやすいのかと思いました。
木下:いろいろなお題に応える中で、悩んでいる人に同調や共感をしないほうがいいとわかってきました。僕の場合、お題をいただいたら、まず依頼者の悩みを自分に取り込んでみて「どういう言葉が欲しいんだろう」と考えることが多いんですね。書きやすいのは、自分が経験していないことや考えたことがないこと。例えば結婚に関する悩みだったら、僕はまだ結婚していないので、悩みを外側から見ることができます。ですが、同じ悩みを抱えているとその人と同じ目線に立ってしまって冷静に書けなくて。夏生さんのお題も、一度俯瞰する作業が必要でした。
夏生:なるほど。
木下:そしてお返ししたのが、「愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる」という短歌でした。これからもし犬を飼ったとしても、その犬もきっと僕より早く亡くなってしまうでしょう。犬の寿命の短さはどうしようもない現実であり、そこに現実の範囲内の言葉を持ってきても対抗できません。そこで、「来世」という言葉をこの歌に入れたんです。
来世やあの世が、実際にあるかどうかはわかりません。でも、それは人間が死という強烈な別れに対峙するために生み出したものだと思うんです。どうしようもない現実に物語で対抗するために、来世という考え方をこの歌に取り入れることにしました。
夏生:この短歌を受け取った時のことは、鮮明に覚えています。届いた時、夫が近くにいたので「来た来た~」とへらへら喜びながら、封を開けたんです。そうしたら、もう文字を読んだ瞬間、爆泣き。一瞬の感情の変化に、自分でもとても驚きました。こんなに短い言葉で、しかも「ここが良かった」と感想を抱く前に一瞬で泣いた経験は初めてで。あの衝撃、情緒が崩壊した瞬間を、今もはっきり覚えています。
木下:その後、Twitter(現:X)でつぶやいていただきましたよね。
夏生:そうなんです。皆さんにもおすそわけしようとTwitter(現:X)にこの短歌を載せたら、もうタイムラインのみんなも爆泣き(笑)。犬が先に逝ってしまう不安は、犬を飼う人なら誰もが抱えています。私も、実家の犬が死んだ時に「こんな悲しい思いをするくらいなら、もう犬は飼えない」という気持ちになりました。でも時間が経つにつれ、「一緒にいられてよかった」という気持ちが強くなっていき、また犬を迎える決断をしたんですね。それでも新しい犬を迎えに行く日に、またすごく怖くなってしまって。おそらくこういう気持ちを味わった人が多いから、共感を誘ったんでしょうね。
犬を飼う人のお守りになるように
──その後、この短歌は絵本になります。どのような経緯があったのでしょうか。
夏生:もともと岩崎書店の編集さんから「絵本をつくりませんか」というお話があり、いくつか企画を提案していました。その中に、犬を扱ったものがいくつかあったんです。そもそも猫に比べると、犬の絵本って少ないんですよね。海外には『ずーっと ずっと だいすきだよ』(ハンス・ウィルヘルム:作・絵、久山太市:訳/評論社)のような名作もありますが、どれも犬が大きくて(笑)。自分の愛犬と重ねづらいので、「犬の絵本が欲しい」とお話ししていたところ、木下さんの短歌を絵本にする案を採用していただきました。
──木下さんが「あなたのための短歌1首」で詠んだ歌は、ご自身の手元には残さず、二次使用してもかまわないというスタンスなんですよね。
木下:そうですね。依頼者に向けて書いているので、手紙を出すのと同じように自分の手元には残りません。受け取った短歌も、どう使っていただいても大丈夫です。
──くまおりさんは、どの段階から今回の企画に参加されたのでしょうか。
くまおり:岩崎書店の絵本『みてみて! いぬのあかちゃん』で絵を担当しており、そちらを描き終わる頃に編集さんからお話をいただきました。
夏生:編集さんとどんな絵がいいか打ち合わせをする中で、「風を感じられるタッチがいいね」という話になり、何人か候補を挙げました。その中でも、くまおりさんの絵がとても素敵で。「見つけた!」と思ってお願いしました。
──くまおりさんも犬を飼った経験があるんですよね。
くまおり:そうですね。18年くらい雑種犬と暮らしていました。2015年にお別れして、8年経ちます。
──となると、短歌やこの絵本の企画に対しても共感度が高かったのではないでしょうか。
くまおり:『みてみて! いぬのあかちゃん』は、犬の赤ちゃん時代にフォーカスした作品でしたが、『きみと風』は飼い主の視点で出会いから別れまでストーリーのある展開を描くので、楽しみであり怖くもありました。私も飼い犬の死を経験しているので、このストーリーに絵を載せる時に、俯瞰して描けるかなと最初は不安で。でも、木下さんの短歌、夏生さんのお話に絵を添えるようにして描こうと思い、なんとか形にできました。夏生さんのお題にあったとおり、「犬を飼う人のお守りになるように」という思いを込めて描きました。
──夏生さんは、木下さんの短歌からストーリーを組み立てていきました。どのようにイメージを膨らませていったのでしょう。
夏生:この短歌だけでもすとんと納得できますが、さらに世界観を膨らませて、犬と風のつながりを書いていこうと思いました。犬と風って、実は親和性が高いんですよね。うちの犬も、散歩中に風の匂いを嗅いでいたり、長い毛が風に吹かれて姿形が変わったりします。「風に愛されているな」と思いながらいつも眺めているので、それを皆さんにも感じていただけたら、「来世で風になる」という言葉が腑に落ちるのではないかと思いました。
とはいえ、短歌の力が強いので、ストーリーで悩むことはあまりなくて。ただただ犬の大好きなところを詰め込みました(笑)。
──絵本で描かれている白い犬のモデルは、夏生さんの飼い犬なのでしょうか。
くまおり:夏生さんの愛犬であるビションフリーゼが起点にはなっていますが、犬種を決めず「ふわふわの白い犬」というふうに考えていきました。作中には犬の名前が出てきませんし、「きみ」に自分の愛犬を重ねて読む方も多いと思います。犬種や名前をこちらで決めてしまわないほうが、絵本の世界に入りやすいかなと考えました。
夏生:ラフの絵を見せていただいた段階で、もう泣いてしまって。不在になってからの絵も素敵ですが、犬との暮らしを描いた絵がすごく好きなんです。「これこれ! やっぱり犬が好きな方にお願いしてよかったな」と思いました。
くまおり:夏生さんの文章も、犬を飼っている人にしかわからないところを突いてくるんです。寝起きの顔についた変な寝ぐせなんて、犬と暮らした人ならではの着眼点ですよね。
夏生:犬を飼っている人ならわかってくれるかな、と。廊下を歩く時に爪の音がしたり、あくびする時に舌がハートの形になったりする姿は、いなくなってから何度も思い出しました。それをすごくかわいらしく表現してくださって、感激しました。
──木下さんは、物語と絵が合わさったものをご覧になってどう思いましたか?
木下:読むたびに実家で飼っていた犬が頭に浮かんでつらかったですが、つらかったのは別れだけで、それ以外の楽しかったことも物語や絵にたくさん思い出させてもらえました。絵本を開くたびに、悲しみだけではなく、楽しい記憶とともに思い出すことができる。そういうものがいつでも手に取れる絵本という形で身近に存在してくれることが嬉しいです。忘れないということが大切だと思うので、僕にとっても実家の犬を思い出すためのお守りになっています。
今、犬がそばにいる幸せを噛み締めてほしい
──今回の絵本は、3人それぞれの力が加わって出来上がった作品です。ご自身が込めた思い、完成した絵本をご覧になった感想をお聞かせください。
夏生:犬と暮らしていても、忙しくてかまってあげられない時もあるはず。そもそも犬との向き合い方がそれほど丁寧ではない方もいると思います。それでも犬を愛していれば、いつか風になるから今の時間を大切にしてね、と。今、犬がそばにいる幸せを噛み締めてほしいと思い、とにかく犬への愛情を乗せまくって書きました。
そこに絵が乗ったことで、世界観も一気に広がりました。ただ、自分の気持ちや体験から離れて、「愛された犬が風になるってこういうこと」と木下さんの短歌に落ちていくように書いていたので、普段書くものとは少し違う感覚もありましたね。風を感じるイラストとともに文章を読んで、いい話だったなと客観的に感じることができて。本当に不思議でしたね。
くまおり:完成した絵本のページをめくり、左から右へと駆け抜けていく犬の様子が視覚的に強調されて、より一層グッと来ました。 描いているあいだは、ページをめくることがなかったので。私は犬を見送ったあと、今まで自分の外側にいた犬が、時間をかけて内側に来てくれたという感覚を経験したんです。そのときようやくペットロスが終わった気がしました。この絵本の「風」もそれに近いものがあるなあと。今、犬と過ごしている人、犬を亡くしたばかりの人はすぐにはそう思えないかもしれないですが、いつかの誰かの救いになる本に関われてよかったなと思いました。
木下:お守りって、未来のために買うことが多いですよね。この絵本も、今手元に置いておけば、いつか本の効果を受け取る日が来る。それは僕の短歌だけではできないことです。短歌だと、小さい子どもにはなかなか届きませんから。だからこそ夏生さん、くまおりさん、岩崎書店には感謝していますし、絵本になる過程を経て、僕自身も自分が作った短歌の読者になれた気がしました。
ただ、物語と絵がなくても、短歌だけでもっと遠くまで届けられるようにならないとな、とも思いました。音楽で言うと、今回は僕がタイトルを考え、そこに詩とメロディをつけていただいたようなもの。僕は短歌しか書けない人間ですが、物語や絵の力を超えるものが書けないと短歌をもっと遠くに届けることはできません。まだまだやれることはあるんだろうなと思いました。
──今回の絵本制作が、普段の活動の刺激にもなったんですね。くまおりさんは、これが2冊目の絵本になりますが、いかがでしたか?
くまおり:普段は1枚で完結する絵を描いているのですが、ストーリーがあるからこそ、連続性のある絵に挑戦できました。それに、背景まで画面いっぱいに絵の具で絵を描くというお仕事も初めてで、またやってみたいなと思いました。
──普段はデジタルで描いているんですか?
くまおり:そうです。でも、絵本はアナログで描きたいと強く思いました。自分でもうまく説明できないのですが、デジタルとアナログって画材の違いだけだとは思っていなくて。本をめくる行為は身体的なものだからこそ、描く過程も身体的でありたくて。特に絵本は子どもが触れるものなので、アナログで描きたいと思いました。
「世界の犬よ、愛されていてくれ!」という祈り
──話は変わりますが、もしくまおりさんが木下さんに短歌を依頼するとしたらどんなお題を出しますか?
くまおり:近所にアオサギという鳥が棲んでいて、見かけるたびに元気をもらっています。私からの執着心はすごいのですが、一方でアオサギにはそもそも認識されているかどうかもわかりません。この温度差のある関係性についての短歌を詠んでほしいです。
夏生:面白い(笑)。「アオサギ」がお題ではなく、「アオサギに対する一方的な思い」を詠んでほしいんですね。
木下:でも、夏生さんからいただいたお題より、こっちのほうが書きやすいですね。外側から見ることができるので。そういえば、くまおりさんは以前いちじくにハマって、いちじくの絵ばかり描いていた時期もありましたよね。世の中にはアイドルやキャラクターに熱量を注ぐ方がいますが、くまおりさんは喋らないもののほうがいいのでしょうか。
くまおり:そうなのかもしれません。
木下:僕は『きみと風』を読んで、「この犬が話してくれたら、どれだけ飼い主が報われるだろう」と思いました。
くまおり:犬と言葉を交わせたら、それこそ別れがつらくなりませんか? 言葉だけでなく、もし人と同じように思い出を胸にしまっていて、過去や未来に思いを馳せる瞬間があったら、耐えられないかもしれません。私は、犬がこの絵本のように「しらんぷり」をして、今日を生きることに集中してくれているから、送り出せたところがあります。
木下:確かに。アオサギも話しかけてきたら、くまおりさんの気持ちも変わるかもしれない。
くまおり:見るのやめますよ(笑)。
夏生:何にも言わないから想像が膨らむのでしょうね。ただ、どんな扱いをしてもそばにいてくれる犬の健気さが、時々すごく悲しくて。犬はここにあるものが世界のすべてだと思い、幸せでもそうでなくてもそれが当たり前だと思って生きていく。世界中の犬を救うことはできませんが、「世界の犬よ、愛されていてくれ!」という祈りは日々捧げています。そうであってほしいなと思いますね。