『線は、僕を描く』の続編小説が刊行! 筆を置くよう言い渡され、スランプに陥る霜介。描けなくなった彼は再び筆を握ることができるのか?

文芸・カルチャー

PR 公開日:2023/12/19

一線の湖
一線の湖』(砥上裕將/講談社)

 デビュー作にして2020年「本屋大賞」第3位、2019年「王様のブランチ」BOOK大賞を受賞した砥上裕將氏の『線は、僕を描く』(講談社)。その続編となる『一線の湖』(講談社)が発売された。

 湖山賞の展覧会から2年が経ち、大学3年生になった主人公・霜介は、師匠の篠田湖山のもとで精進する日々を送っている。そろそろ将来について考えなければならない時期に差しかかるが、職業画家の道を歩むか、就職活動に力を入れるべきか悩む。霜介とは対照的にライバルの千瑛は、2年前の受賞を踏み台に、水墨画界期待の若手として大活躍中……という状態から物語ははじまる。

 前作では、深い喪失を抱え、人生の停止状態にあった霜介が水墨画との出会いで快復し、再生していく過程が描かれていた。今作では、その後の霜介が“未来”という新たな壁にぶつかって悩む姿が展開される。

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 デビュー戦となる揮毫会(観客の前で水墨画を描く実演会)で失敗を犯してしまい、大きくへこむ霜介。そんな彼に湖山は、しばらく筆を置くようにと言い渡す。自分は湖山会の足を引っ張る存在なのか。先生から引導を渡されてしまったのか……? と、いっそう落ち込む霜介は、兄弟子・西濱の代理で小学校の生徒たちに水墨画を教えることに。

 霜介の周りの人びとは、千瑛をはじめそれぞれに前進している。西濱は家庭をもち、同じく先輩画家の斉藤は旅立ち、大学の友人である古前くんと川岸さんも進路を決めている。そして湖山はじょじょに引退準備をはじめている。

 誰もが立ちどまらず歩き続けているというのに、自分は再び停滞している。停滞は焦りへ、そしてスランプへとつながる。

 水墨画の世界に足を踏み入れて3年目――何かに打ち込んだことのある人なら、霜介のこの状態を理解できるはずだ。経験を積んだ分、自分の実力も限界も分かるようになってきて、往々にしてそういうときに人は躓きやすい(仕事でもそうですね)。

 そんな霜介に新鮮な風を吹き込むのは、小学校の子どもたちだ。

 彼らが筆を持つ「初めての水墨画教室」のシーンは印象的だ。大人には絶対に描けないような描き方、見えないような物の見方で筆を動かしていく。

〈いい線だ。僕が教えたことなど何一つ模していない〉

 偶然にも亡き母は、ここの小学校の教師だった。母がどのように生徒たちと接していたのかを同僚だった教師から教えてもらい、職業人としての母の顔を知る。絵を教えようとしていたはずが、反対に子どもたちから教えられ、知っていたはずの母について、改めて知り直す。

 そうした反復作業をすることで、霜介の心は少しずつ安定を取り戻す。その様子が、静かで繊細な筆致で切々と綴られていく。

 今作は水墨画の技法のなかでも「指墨」に焦点が当てられる。筆ではなく指に直接墨をつけて描くやり方であり、砂に指で絵を描く“お絵描き遊び”にも似ている。子どもたちとの出会いと同様に、指墨もまた絵を描くことの原初的な楽しさ――遊びの感覚を霜介に思い起こさせてくれる。

 停滞からの始動、そして再びの停滞、悩み、葛藤……。霜介自身がそう感じているように、きっと人生というのはこれらの繰り返しなのだ。悩みを解決したら新たな悩みに悩まされ、乗り越えたはずの壁がかたちを変えてまた立ちはだかってくる。私たちは何度も悩んだり停滞したりしながら、少しずつ変わっていく自分自身を発見する。

 急がず、逸らずにゆっくりと。ときには筆を置いて、立ちどまってもいい。そうやって人は成長していくのだと伝えてくれているかのようだ。

文=皆川ちか