亡くなった王を冥界に送り出す儀式での裏切り。飢えと苦しみを覚悟し、一族の命運を懸けた行いとは/ファラオの密室②

文芸・カルチャー

更新日:2024/1/19

ファラオの密室』(白川尚史/宝島社)第2回【全7回】

舞台は、紀元前1300年代前半、古代エジプト。死んでミイラにされた神官のセティが、心臓に欠けがあったために冥界の審判を受けることができず期限付きで地上への復活を許されたタイミングで、地上では前代未聞の大事件が起きていた。なんと、ピラミッドの密室に保管されていたはずの先王のミイラが、棺の中から消えていたのだ…。これはエジプト全体を揺るがす事態だった。
2024年・第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作の『ファラオの密室』は、タイムリミットが刻々と迫るなか、地上に復活した神官セティが、エジプトを救うため、ミイラ消失事件の真相に挑むミステリー小説です。

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ファラオの密室
『ファラオの密室』(白川尚史/宝島社)

 葬送の儀 当日

 王墓の石室の中には焚かれた香と呪いの言葉が充満していた。

 メリラアの眼前に立つは、白布を頭からかぶった男、並べて十二人。彼らの口からは低く、重い音のうねりが間断なく紡がれ続けている。彼らの喉を震わせたはずの声は、混ざって溶け合い、個々の音が誰から出たものか、もはや区別できない。

  地平線で歓喜する支配者アテンの息子、我らが王アクエンアテンよ。
  我らの供物を手に取り、万物に生命を吹きこみたまえ。
  我らの祈りを飲み干し、世界に秩序を与えたまえ。
  エジプトの黄金に太陽の輝きを与えたまえ。

 偉大なるファラオを奉じる神官団、その長であるメリラアの口からも、同じく言葉が流れ出ていた。口を動かしながらわずかに目線を上げ、顔を覆う白布に開けられた切込みから、松明に照らされた石室内を目だけ動かして見回す。奥の壁に立てかけられた棺、すなわち先王アクエンアテンの石棺にも異常はない。これまでのところ、儀式はつつがなく進行している。

 それでもなお、メリラアは、未だかつて前例のない儀式に全神経を集中させていた。

 エジプトの歴史において、これまで何度となく行われてきた葬送の儀は、現世を旅立つ王を冥界の王オシリスの元へと送り出すとともに、先王を新たなオシリスたらしめるものであった。しかし、今回送り出す先王アクエンアテンは、生前に太陽神アテン以外への信仰をすべて否定したのである。

 アテン以外に神はなし――。

 アクエンアテンの言葉は、冥界の王オシリスの存在すらも否定するものであった。とはいえ、代わりにアテンが冥界をどう治めているかについては十分な説明がなかったものだから、祭礼の一切を取り仕切るメリラアは、石室の壁に彫りつける呪文にも、死者の書に残す記録にも、司祭たちが唱えるべき呪言にも、大変に苦慮することとなった。

 これまで長く続いていた呪文は、念を押すようにアクエンアテンを讃えたあと、終わった。十二人の神官は、静寂の中、その場で膝をつく。メリラアだけは、立礼の姿勢を取った。

 静まり返った石室の中に、一つの足音が響いた。

 石室に入ってきたのは、ひとりの少年。齢八歳の新王、トゥトアンクアテンだ。アテンを冠するその名からも、亡き父の遺志を汲み、アテン信仰を支持していることは明らかだった。

 新王が眼前まで来ると、メリラアは顔を上げた。ひざまずいた神官たちは松明の揺らめく炎に照らされたまま、微動だにしない。

 ――この中に、本心からアテンを奉じるものは何人いるのだろう。

 儀式の最中でありながら、自然と疑念が湧いてくる。

 重用されたメリラアにとってすら、先王の行為は受け入れがたいものだった。アメンホテプ四世と名乗っていたファラオがアクエンアテンと名を変え、主神はアテンただひとりだと宣ったとき、王宮はワセトから、荒野も同然のアケトアテンへと移され、荘厳な神々の神殿はすべて取り壊されることになった。その財は新設されるアテンの神殿へと召し上げられ、神官長であったメリラアを例外として、多くの同僚や部下が職を失った。

 メリラアが罷免されなかったのは――元部下である神官たちの反乱の抑止という政治的な理由もあったにせよ――当初は太陽を司るアテンが、太陽神ラーと同根とされた部分があったためである。しかし今ではそれも否定されていて、ラーの神官もその職を追われ、エジプトの神官はすべてアテンと、神の息子であるファラオのみを信仰するよう強制されていた。メリラアラーに愛される者の名のとおりもともとラーの神官であったメリラアの立場も、いつ危うくなるかわかったものではない。

 だが、それほどの扱いを受けても、表立って不満を口にする神官は現れなかった。万が一にでもアクエンアテンの耳に入れば、鼻削ぎや腕を落とされる程度の刑ではすまない。エジプトを統べる神に抗うとなれば、その罪は現世のものに留まらず、父祖の墓は暴かれ、あらゆる碑から名前を削られることになる。神官長であるメリラアですら例外ではなく、その名が後世に残らないよう、文献や碑は徹底的に破壊されるだろう。レンを奪われることは、死よりも恐ろしいことだった。それは永遠の命を得るはずの冥界で、飢えと渇きに苦しみながら永劫の苦役に苛まれることを意味していた。

 だから、メリラアの裏切りは、、、、、、、、、一族すべての命運を懸けたものだった、、、、、、、、、、、、、、、、、

<第3回に続く>

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