棺の中に入っていたはずのミイラが消えた!? 密室のピラミッドにあったはずの遺体が見つかった場所とは/ファラオの密室③
更新日:2024/1/19
『ファラオの密室』(白川尚史/宝島社)第3回【全7回】
舞台は、紀元前1300年代前半、古代エジプト。死んでミイラにされた神官のセティが、心臓に欠けがあったために冥界の審判を受けることができず期限付きで地上への復活を許されたタイミングで、地上では前代未聞の大事件が起きていた。なんと、ピラミッドの密室に保管されていたはずの先王のミイラが、棺の中から消えていたのだ…。これはエジプト全体を揺るがす事態だった。
2024年・第22回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作の『ファラオの密室』は、タイムリミットが刻々と迫るなか、地上に復活した神官セティが、エジプトを救うため、ミイラ消失事件の真相に挑むミステリー小説です。
だから、メリラアの裏切りは、一族すべての命運を懸けたものだった。
神官長として儀礼に参加していくなかで、メリラアは確信を深めていった。アテンは、神などと呼べるようなものではない。エジプトに災いをもたらす、禍々しき存在だ。一刻も早く退けなければ、我が国が滅んでしまう。
それでもメリラアは、アクエンアテンを信じていた。慈悲深き先王は、その優しさに付けこまれ、現世ではアテンに心を許してしまった。しかし賢明なる王は、冥界を訪れ、実際にアテンを目にすれば、過ちを悟り、手遅れになる前にエジプトを救ってくれるに違いない、と。
……いや、そう信じるしかなかった。王を止められるものは、王のほかにいないのだから。先王アクエンアテンを現世に蘇らせ、アテンへの信仰を廃止するよう、現王トゥトアンクアテンと対話させる。それがエジプトを救うことができる、唯一の手段だった。
この日のために、メリラアは細心の注意を払って準備を進めてきた。神官書記が王墓の内壁に刻みこんだ呪文も、神官団がいま唱えている呪言も、すべては先王を冥界に送るものではなく、巧妙に偽装した、復活の秘術を構成するものであった。
今のところ、誰にもメリラアの真意は悟られぬまま、儀式は終わりを迎えようとしている。
トゥトアンクアテンはゆっくりとした足取りで石棺に歩み寄る。メリラアも静かに、そのあとに続いた。
王も、周囲の神官も、それは葬送の儀でもっとも重要な口開けの儀式を行うためだと信じているだろう。だが実際にメリラアが執り行うのは、アクエンアテンを現世に蘇らせる、復活の秘術の最終工程だった。
静かに近づいてきた二人の従僕が、そろそろと石棺の蓋を開けた。
メリラアは深く息を吸いこみ、ゆっくりと吐いた。そして、棺の中を覗きこみ、予想外の事態に思わず絶句する。
そこに、アクエンアテンの姿はない。
つい昨日、ほかならぬメリラア自身がそこに安置した先王の遺体――アクエンアテンのミイラは、姿を消していた。
「これは、いったい」
どういうことだ、とトゥトアンクアテンが幼い唇を尖らせ、メリラアを非難する。だが、メリラアはその答えを持ち合わせていなかった。
先王アクエンアテンのミイラは、昨日運びこまれたときからずっと、メリラア本人が王墓を片時も離れず、夜を徹して守り続けていた。しかしそのミイラは、密室であるはずの王墓から消え失せてしまったのだ。
不穏な空気を悟ってか、背後で神官たちが身じろぐ衣擦れの音がした。動きを止めたメリラアの背中に、視線が集まるのを感じる。棺の蓋を開けた姿勢のままの従僕は、見てはいけないものから目を逸らすように、汗を流しながらじっと天井を見つめていた。
そのとき、石室の外から遠く喧騒が聞こえ、続けて、何者かが駆けこんでくる気配がした。
「申し上げます」
メリラアが振り返ると、石室に転がりこんできたひとりの男が、王を警護する衛兵に腕をねじ上げられ、床に組み伏せられるところだった。男はそれでも怯まず、絶叫するように声を張りあげる。
「先ほど、アクエンアテン様のお体が、アテンの大神殿にて発見されました!!」
神官たちはそれを聞いて、動揺と困惑にどよめいた。
「……まさか先王は、メリラア様の葬送の儀を、拒絶されたのか」
神官の誰かが囁く。続いて、
「メリラア、貴様、なにをした」
儀式の失敗を悟り、メリラアを罵るトゥトアンクアテンの声が、どこか遠くから聞こえた気がした。
衛兵が近づいてきて、メリラアをねじ伏せ、取り押さえる。だが、まるで現実感がない。
初めはさざなみのようだった神官たちの声は、石室の中で唸り声となっておどろおどろしく響き、徐々に大きさを増していく。
「――ああ、偉大なる王、アクエンアテンよ」
地に組み伏せられ、体を震わせる音の奔流を全身で感じながら、メリラアは虚空に向かってつぶやいた。
「貴方の招いた災厄によって、エジプトは滅ぶだろう……」
メリラアには、石室に渦巻く地響きのような声が、祈りを奪われた神々の憤怒のように思えてならなかった。
<第4回に続く>