「リアルを描くことで希望を与えられたら」トランスジェンダーの主人公を描いたマンガ『佐々田は友達』作者・スタニング沢村さんインタビュー
公開日:2023/12/22
他者から暴力を振るわれることでしか興奮できない自分自身、そしてトランスジェンダーであることを詳細に描いたことで話題になった『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』(新潮社)。この作品でマンガ家デビューしたペス山ポピーさんは、続く2作目の『女の体をゆるすまで』(小学館)では、“女の身体”を持ったことで遭遇したセクハラ事件を機に、この社会におけるジェンダーとはなにか?をとことん突き詰めた。
そんなペス山さんが“スタニング沢村”と改名して発表したのが本作『佐々田は友達』(文藝春秋)という初の創作長編だ。主人公は埼玉の高校に通う佐々田絵美。陽キャとも陰キャとも異なり、ひとりの時間を大切にする独特の存在である。しかしあるとき、クラスで一番目立つ高橋優希に絡まれるようになったことから、佐々田の日常は少しずつ変化していく。
ふたりは友達とは言い切れない。でも、友達じゃないとも言えない。周囲の人たちとは異なる距離感で付き合いはじめる佐々田と高橋の間には、一体どんな感情が芽生えていくのだろうか。不思議な読後感をもたらす『佐々田は友達』を描くスタニング沢村さんに、お話を伺った。
創作ではあるものの、やっぱり私の実体験が滲んでいます
――――『佐々田は友達』は初の創作長編で、ペス山ポピー名義の前の2作は実体験をベースにしたコミックエッセイでしたが、本作でジャンルを変えてみようと思ったきっかけはあったんですか?
スタニング沢村さん(以下、スタニング):『泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』『女の体をゆるすまで』で自分自身のことを描き切って、実体験をベースにするならばもう描くことがないな、と思ったんです。それに加えて、創作をやってみたいという気持ちもあって。ただ、ここまで描いてきて思うのは、やはり『佐々田は友達』にも私の実体験が滲んでいるなぁと。
創作にしても、トランスジェンダーの子が出てくる物語にしたいとは決めていたんです。私が子どもの頃、自分のセクシュアリティで悩んでいた頃って、トランスジェンダーのキャラクターが出てくる子ども向けの本がなかった。でも、めちゃくちゃ読んでみたかったんですよ。なので作家になった今、じゃあ私がそれを描いてみるか、と思ったんです。
――第1巻のラストで「佐々田の性自認が男性であること」が明らかになりますね。しかしながら、そのシーンは非常に淡々としています。過剰な演出もなく、ただひとり部屋のなかで「本当は男の子として生きていきたい」と内省するだけです。
スタニング:そもそも佐々田は誰にもカミングアウトする気がないんです。してしまったら大変なことになるとわかっているから。女性差別の問題はあるけども、それでもシスジェンダーの女性として生きていったほうがトラブルにも巻き込まれないでしょ、と思ってしまっている。だから誰にも言うつもりはないんですけど、あのラストシーンで、自分自身に対してだけボソッと言ったんです。
過剰な演出を控えているのは、それが私にとってリアルだったからだと思います。学生時代、私も自分のセクシュアリティについてひた隠しにして生きてきました。だから、淡々とした毎日だったんですよ。
海外だとセクシュアリティの問題と直球でぶつかり合うような作品もあって、私はそういう作品も好き。本当は、私もそれくらい直球に描くべきなのかなとも迷いました。
でも、自分のことを必死に隠している主人公もリアルですし、そういう描き方だとしても子どもたちに希望を与えられるかもしれないと思ったので、結果、こんな作品になったんです。
――なるほど。では佐々田はスタニングさん自身がモデルになっていると言えそうでしょうか?
スタニング:もちろん近い部分はあるんですけど、もっと似ているのは前川さんなんです。オタクだけど気が強くて主張もする、まるで軍人みたいなタイプ。軍人タイプのオタクは特に周りともトラブルを起こさないで過ごせますし、だからそういう生き方を選んでいました。ただ、心のなかには佐々田がいましたね。クラスを見渡しては、「この集団のどこにも、私はいないんだ……」と感じていたと思います。その当時の気持ちが佐々田には投影されています。
――そんな佐々田や前川さんとは対極にいるような存在が、高橋さんです。
スタニング:高橋さんにはモデルになった人物がいます。小学校の頃から付き合いのあるゲイの友人です。もう20年くらい関係が続いているんですけど、正直、なんでこの子と友人関係が続いているんだろう……と不思議なんですよ(笑)。お互い、メインとする人間関係は別で持っていて、すべてをわかり合っているわけでもない。それなのに続いている。この不思議な関係が面白くって、佐々田と高橋さんの関係もそんな風に描きたいと思っているんです。
「社会から想定されていない」という孤独感を抱えて
――高橋さんが佐々田の悩みを解決するような「救世主」として描かれていないところがリアルでした。
スタニング:高橋さんは救世主にはならないですよ! なんなら私、高橋さんみたいなタイプ苦手ですしね(笑)。ただ、タイプが違いすぎてわかり合えなくても、ときには間違えてしまったとしても、最低限のリスペクトを忘れない努力を互いにしていれば、その都度、傷を乗り越えられるんじゃないかと思います。
ただ、今ってあらゆるところで「分断」が生まれているじゃないですか。
――本作で言うならば、前川さんは高橋さんのことを「好きじゃない」「住む世界が違う」とバッサリ切り捨てていますね。
スタニング:そう。でもラベルだけでその人を判断するのではなく、交流してみたらいいと思います。それこそ、佐々田と高橋さんみたいに、一見、違う者同士なんだけど、話してみれば意外と合うポイントが見つかるかもしれない。
――課題の「40歳までの人生設計」が立てられなかったり、クラスメイトたちが恋愛ごとで盛り上がっているなかでひとり冷めたりしているのも、佐々田はそこに居場所を見いだせないからでしょうか?
スタニング:そうですね。大人になって、会社勤めして、結婚して、子どもを産むという、いわゆる「ふつう」の人生がわからない。というか、それとは違う道を歩むことになるんだろうな、という現実を直視できないんだと思います。
そんな風に佐々田は、自分が社会的に弱い立場であることから目をそらしているんです。むしろ「弱い立場であることは嫌!」と計算して生きているところさえあるかもしれません。そういう現金なところというか、ドロドロしたものが佐々田のなかにはあるんでしょうね。
――佐々田には佐々田の悩みはあるとして、でも佐々田の日常は決して暗くないですよね。高橋さんと一緒に楽しいこともしますし、朝から晩まで泣き暮らしているような感じではまったくない。
スタニング:それは意識しているんです。セクシュアルマイノリティだからといって、常に暗く落ち込んでいるわけじゃないですし、楽しい瞬間だってある。佐々田の日常を通して、そういった姿は描きたいと思っています。
――タイトルも巧みですね。「佐々田は友達」って一体誰のセリフなのか。いろいろと想像が膨らんでいきます。
スタニング:実は決まるまでめちゃくちゃ迷走したんですよ。担当さんといろいろ意見を出し合って。でもこうしてぐっとくるタイトルに落ち着いてよかった。
――そうだったんですね! 実はタイトルからラストはこうなるんじゃないか、と勝手に最後の展開まで考えてしまいました。
スタニング:それはありがたいです。そんな風に想像しながら読んでいただけるのはうれしいので。ラストシーンとそこに至る山場のシーンは、実はもう決めています。ただ、それ以外はあんまり考えていないので、どんな風になっていくんでしょうね(笑)。まあ、悩みながら描いていくことになると思います。でも最終的にはタイトル通りの展開になっていくはずです。
――マンガ好きとしては考察のしがいがある作品ですね! それでは最後に、読者に向けてメッセージをお願いします。
スタニング:今って、「自己肯定感が低い」という人たちが増えていますよね。特に子どもたち。なんとなく未来が明るくないんじゃないか、絶望的な気持ちにさえなっているんじゃないかなと思って心配しています。
そんな時代だからこそ、人には親切にしたほうが良いと思うんです。そうすると感謝されるし、そこから思いもしなかったつながりが生まれたりする。佐々田と高橋さんの関係みたいに。絶望的な時代において、それこそが何よりも大切なことだと思います。そんなことを感じ取りながらこの作品を読んでいただけるとうれしいです。
取材・文=イガラシダイ 写真=内海裕之