“部屋”の心地よさとは、不自由さとは? 現代の人々の様々な「距離感」を、“部屋”を介して描いた連作短篇集『今日のかたすみ』
PR 公開日:2023/12/23
生きていくこと、それは他人との距離感を学んでいくことなのかもしれない。川上佐都『今日のかたすみ』(ポプラ社)は、まさに自分と他者との距離を言葉にした作品だった。
本作は“部屋”、“家”を舞台に、そこで織りなす若者たちの悩みや喜び、成長を瑞瑞しく描いた連作短篇集だ。
同棲をはじめたものの、互いの価値観の相違に戸惑う「愛が一位」、離婚で別居していた父の家に数日間泊まることになった女子中学生を描いた「毎日のグミ」、男三人の同居生活とその顛末を描いた「避難訓練」、女子大生がひょんな事から隣室の女性を部屋に泊めたことで芽生えた友情「ピンクちゃん」、高校時代の友人たちに手伝ってもらって引っ越し先で荷ほどきを始めた男性の話「荷ほどき」。
「部屋」というものは、個としての自分を内面からその外側に、形あるものとして築くことができる空間である。そして部屋は時が経てば経つほど部屋主の個が隅々まで染みわたってゆく。「愛が一位」では遙(はるか)の部屋に住むようになった恋人の百ちゃんは、遙の部屋を自分の色に染めていくが、まるで部屋主である遙の世界を自分の世界と混ぜ合わせようとするかのようだ。「毎日のグミ」では、両親が離婚したために実の父である“滝さん”が独りで住んでいた一軒家に娘である中学生の緋名(ひな)が数日泊まることになるが、“滝さんの家”もまた、父であった人の世界と少女の世界が家を介して交錯する。
現代において、人と人との関係はかつてないほどの繊細さをもって営まれ、それは「距離感」という言葉で表される。本作ではその心の距離感が部屋という空間においては常に近しいからこそ明瞭に映しだされ、登場人物たちの心の動きが強烈に読者に伝わってくる。
短篇のなかでも、心が温まると同時にどこか寂しさが同居する「ピンクちゃん」はとくに素晴らしい。木造二階建てのアパートに暮らす女子大生の朱夏(しゅか)のもとを隣人の女性中原さんが訪れる。中原さんは自分の部屋のカギが壊れているので朱夏の部屋に一晩泊めてほしいと頼んできたのだ。ずうずうしい隣人をいぶかしく思いながらも渋々自分の部屋に泊めることになった朱夏と中原さんの関係は、果たして不思議な友情へと発展していくことになる。大学で友人も作らない朱夏と、彼女との距離感を一気に詰めてくる隣人の中原さんのこのコントラストは本書のテーマを強く印象付ける一篇である。
一方は距離を狭めようとし、もう一方は距離を置こうとする。「部屋」という空間は、そうした部屋主と訪れた人とのあいだに存在する距離感を歪めてしまうものなのかもしれない。だからこそ百ちゃんは遙の部屋からふたりで引っ越すことで、ふたりのアンバランスな距離を対等にしようとしたのではないか。だからこそ緋名は友人や彼氏を“滝さん”の家に呼ぶことで父との正しい距離に自分を置こうとしたのではないか。
『今日のかたすみ』は、“部屋”にいることの心地よさや不自由さの機微を描き、そして成長の寂しさに触れることができる稀有な連作短篇集である。
文=すずきたけし