子宮と膣がない状態で産まれてきた女性の数奇な運命とは? 人類の普遍的な問題をテーマにした最新中華SFアンソロジーが面白い!
更新日:2024/2/23
第41回 日本SF大賞・特別賞を受賞した、中華SFアンソロジー『宇宙の果ての本屋 現代中華SF傑作選』(新紀元社)が刊行された。第一弾『時のきざはし』につづき、立原透耶氏が編んだ第二弾で、15作品を収録している。作家の年齢や性別に偏りがないように意図して編集されたそうで、第一弾よりもSF色が強め、と序文に書かれている。
普段SFに馴染みがなく、中国の文学と言われてもイメージが湧かない読者も多いと思うが、本書で扱われているモチーフはいずれも今日的。ジェンダー、環境問題、格差社会など、卑近な話が多くを占める。譚楷(タン・カイ)「死神の口づけ」のように、80年代発表の作品ながら、コロナ禍を予見していたような小説も含まれる。
劈頭を飾るのは、顧適(グー・シー)「生命のための詩と遠方」。海洋汚染処理の国際コンペに参加した研究チームが、海への原油の漏出などを鎮静化するために、優秀な機能を持つマイクロロボットの利用を提案。汚染を防ぐ技術もつくりあげるが、公的には認められなかった。だがしかし、まったく予期せぬ形でこのプランが役に立つ。
韓松(ハン・ソン)「仏性」は、中国SF四天王のひとりとされる作家の短編。かつて、ロボットの間で禅宗ブームが起きた、という設定からして既に面白い。自らの煩悩を断ち切りたいと寺院を訪れるロボットたちは、「なぜ仏はロボットであってはならないのですか?」と住職に問う。問われた者の反応は様々だが、住職も市民も戸惑いと動揺を隠せない。さて、彼らはどのように扱われるのか?
宝樹(バオ・シュー)「円環少女」は、タイトル通り、テクノロジーの伸張によって何度も生き直すことになる少女の物語。彼女の父親は抜き差しならぬ事情により、意図的に幼い娘を蘇生させるのだが、その構造をいざ知ると、読者は呆気にとられるはず。生命倫理の領域の話だが、決して重くなりすぎていないのがいい。
陳楸帆(チェン・チウファン)「女神のG」は、子宮と膣がない状態で産まれてきたミスGなる女性の数奇な運命を辿る。赤裸々な性的表現が本書中では異色だが、実は人と人とはどこまで分かり合えるのか? という普遍的なテーマが根柢にある。サイバーパンク的との評価もある作品だが、その背景にはジェンダーの問題が横たわっている。
江波(ジアン・ボー)「宇宙の果ての本屋」は、誰も本を読まなくなった時代にあって、頑なに開いている書店から話が始まる。〈記憶のインプットによって知識や能力を得ることができるため、彼らにとって本屋は単なる無用の長物にすぎない〉という一文が印象的だ。その後、人類の行く末にまつわる壮大なスケールのストーリーが展開される。さすがに〈本屋の艦隊〉が登場した時は度胆を抜かれたが……。
以上、特にSFに関する素養がなくても楽しめる5作を挙げた。解説によると、〈中国において、先端テクノロジーとは生活文化の中に取り込まれるべき存在となっている〉そうだ。そうした背景があるからこそ、ロボットやAIにまつわるエピソードが頻出するのだろう。ディストピア的なカラーが濃厚な作品は、村田沙耶香のSF寄りの作品にも近いものが感じられる。
また、これは翻訳者たちの面目躍如にほかならないと思うが、いずれの作品もリーダビリティーが高く、すいすい読めてしまう。それでいて、原語が孕んでいたであろう濃密な文体やリズムは希釈されることなく存在している。
なお、海外文学に慣れていない読者には、フェイヴァリットの翻訳家を見つけ、その人が翻訳を手掛けた本に触れることをお勧めしたい。個人的には、現代アメリカ文学を得意分野とする柴田元幸氏や岸本佐知子氏、金原ひとみ氏の父親でもある金原瑞人氏、トマス・ピンチョンなどの邦訳などを手掛け、筆者の師でもある越川芳明氏などが訳した作品ははずれがない。こうした読み方もできる海外文学、その森が奥深いのは確かだが、入り口は意外と広いのではないだろうか。
文=土佐有明