きものはきものを呼ぶ/きもの再入門➃|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2024/1/10

きもの再入門

きものはきものを呼ぶ

 たった数年で別人のように趣味が変わり、そしてポリエステルきものが残った……。

 貯金を切り崩して買い集め、あれだけ夢中で愛したのに、すっかり収納スペースを圧迫する存在となってしまったポリきものたち。そのまま持っていてもよかったのだけれど、そうも言ってられなくなってきた。

 きものがどんどん増えていったのだ、もう買ってないのに。

 

 なにしろ「持って行って」の嵐なのである。長年きものを持て余していた母は、とにかくわたしに一枚でも多くきものを譲りたいらしかった。持って行けば行くほどよろこんでくれた。きものを着なくなってずいぶん経つ祖母も同様である。

 

 というわけで、わたしのきもの箪笥は、すでに混沌のさなかにあった。二〇〇〇年代のポリエステルきものについては前回までのとおり。さらに、初回に登場した母のきもの箪笥からも、あれこれと持ち出している。昭和四十年代の、若奥様系のきものたちだ。

 訪問着や付下げには食指が動かず、貰ったのはもっぱら華やかな小紋である。錦糸が織り込まれた梅文様、椿の紅型、涼やかな天色(あまいろ)のろうけつ染め等。それと、椿や牡丹のお太鼓柄の名古屋帯を何本か。お正月っぽいものが多いラインナップだ。

 

 さらに、祖母のきもの箪笥からもたくさん持ち出している。祖母は洋服も派手好みだったが、きものもぱっきり鮮やかな色柄のものをたくさん持っていた。

 祖母の好みが凝縮したような帯がある。てろりと重たい絹の手触りの、躑躅(つつじ)色の名古屋帯だ。躑躅色というのは、ほとんどパッションピンク。お太鼓柄には毒々しいおしべをつけた、手刺繍の百合が入る。目が眩むような派手さだった。

 

 わたしが祖母の箪笥から貰ってきたきものも、おおむね派手だ。なぜなら、わたしもまた派手好きだから。

 普段着の銘仙は、赤と紺と薄卵色の市松模様なだけでも十分に色が強いのに、さらにポイントで金まで入っていた。粋な芸者風の紫色のきものは、切り嵌めと言っていいのか、金糸で縁取られた花模様の柄布を、ハサミでじょきじょき切ってきものの上にちりばめたような大胆な柄行。かと思えば、織部らしき深い緑色の、竹柄の渋い紬もある。ざっと並べただけで、趣味がめちゃくちゃだ。

 お茶をやっていたので“やわらかもの”も持っているし、大島や塩沢など上等な紬もあるにはあるけれど、祖母はきっと、パッと見て「これだ!」と心躍る、キャッチーなきものが好きだったのだろう。そういった、ちょっとそこまで買い物に行けるくらいの遊び着は、着倒してすっかり草臥れ、汗で衿裏や胴裏がすっかりだめになっていた。

第二の祖母、登場

 ポリエステルきもの、昭和後期の若奥様きもの、趣味の派手きもの。

 わたしと、母と、祖母。

 それぞれの時代、それぞれの事情、それぞれの趣味で買い集められたきものたちが、わたしがディノスで買った小さな桐箪笥の中で、ケンカしている。なにしろそれらは「まぜるな危険」。ギャル服とラルフローレンとKENZOが、ごっちゃになったワードローブのようなものなのだ。相性の良くない、コーディネート不可のアイテムばかりが詰め込まれ、まったく収拾がつかなくなってしまった。

 

 そこへもう一人現れたのが、夫の祖母である。

 義祖母は小柄でとても上品な、おっとり可愛らしい人だった。昭和のいい時代の奥様らしく、いつ会っても身綺麗で、きちんきちんと暮らしていた。壁には額縁に入った絵、飾り棚の上には季節の花を生け、家の中は物が心地よく満ち、時間は穏やかに止まっていた。

 その家を取り壊すことになり、形見分けで名古屋に呼ばれたときのこと。二階の納戸に入らせてもらって仰天した。箪笥、箪笥、また箪笥! まさかここまで衣装持ちだったとは。しかも義祖母は晩年まで、旺盛にきものを買っていたようだ。

 とてもじゃないが、すべての引き出しを開けて、中の畳紙をめくって、一枚一枚きものを検分するなんてできそうにない。そのへんの手近な引き出しをぱっと開けて、当てずっぽうに何枚か広げてみるくらいのことしかできない。おそらく開けやすい引き出しはどれも、最近まで稼働していたものだろう。そこには当然、ごく最近のきものが詰まっていた。八十代の義祖母が、わりと最近まで着ていたきもの。八十代にしてみれば、「最近」はざっと二十年、いや三十年くらいだろうか。

 

 これとかどう? あーこれいいんじゃない? う、これはさすがに……。おっ、これなら着られるのでは! といった消極的なやり取りを経て、あれもこれもとピックアップした、義祖母のきものと帯がうちにやって来た。

 上品な祖母らしく、きものの趣味も品よく地味好みである。たとえば一つ紋の色無地は、色見本とにらめっこしたところ、裏葉柳(うらはやなぎ)という色らしいことがわかった。柳の葉の、裏の、薄い緑色という控えめさ!

 

 義祖母は好きなきものや帯を、バリエーションをつけて集める人だったようだ。木綿のきものに合いそうな、がさっとした綿の縞帯が色違いで三本もあったので、どれか一本というのは逆に選べず、三本とも貰ってきてしまった。

 それから、いかにも万能そうな黄唐茶(きがらちゃ)の紬は、色無地と言ってもよさそうなくらい上等に思える。そのカジュアル版として揃えたのか、よく似た色味にうっすら格子の模様が入っている、街着風の紬もあった。

 銀鼠色に源氏香の名古屋帯や、茶系の吉祥文様の名古屋帯は、見るからに還暦以降が相応しい帯だが、なんとなく持って来てしまった。

箪笥がカオス

 実は義祖母のきもの、前回の「萩の帯」と同じ効果を発揮して、けして自分の趣味なわけではないものの、なにかと着る機会が多く重宝している。きもの好きと知れると、きものを着て来てくださいと頼まれる仕事も多く、そういうときはしゃちこばりすぎず、品よく地味めな、黄唐茶の紬に手が伸びる。

 好みで言うなら、祖母の派手きものが断然ツボ。少しずつ洗張に出して、胴裏を張り替えてもらっている。それから、母の、本人はついぞ着なかった、華やかな小紋も好きだ。

 いずれとも、それぞれにいいし、それぞれ好き。

 わたしは、人をぎょっとさせるようなギャル服も、育ちの良さそうなラルフローレンも、デザイナーがNIGOになったKENZOも、どれも好きなのだ。

 

 かくしてディノスの桐箪笥には、貰い物のきものたちが詰め込まれることになり、あれだけ自腹を切って買い集めたポリエステルきものたちの居場所がなくなってしまった。わたしはそれらを、一斉に手放すことにした。ポリエステルきものがなければきものにハマることはなかったから、恩義を感じる、大事な存在である。しかしいまそれ以上に大事なのは、収納場所の確保なのだ。

 

 「着物高価買取」を謳うネットショップを探し、ごっそり送って、値付けを待った。

 数日後、査定を終えたというメールが来た。わかっていたことだが、ちょっと驚くほど、値段はつかなかった。ここに書くのが憚られるほどの、お小遣いにもならないような額だった。わたしが言うのもなんだけれど、これ以上ポリエステルきものの名誉を傷つけたくないので、いくらで売れたか、その金額は墓場まで持って行きます。

<第5回に続く>