「初音ミク」ゲームの収録曲が起源の物語。悲しみ、怒り、憎しみなどの負の感情を雪だるまの化身に奪われた男の末路とは?
更新日:2024/2/23
人の感情はよく正負であらわされる。喜びや楽しさは正、悲しみや怒り、憎しみは負といったように。世界平和を望むなら、悲しみや怒りは生み出されない方がいいだろう。日常生活においても、負の感情はなるべく抱かない方がいいはずだし、むしろ自分の負の感情だけ吸い取ってくれれば、もっと楽な気持ちで日々を過ごせるのかもしれない。ただ本記事で紹介する『スノーマン』(halyosy:原著, 髙松良次:著/河出書房新社)を読了し、本当に負の感情は100%生み出されない方がいいのかと考えるようになった。
本作は、もともとゲームソフト『初音ミクProject mirai2』の収録曲が起源となっている。物語性あふれる世界観がファンを魅了し、ミュージックビデオが制作されるほどの人気だ。小説の内容も、不安定な情勢によって負の感情で心が満たされてしまいがちな現代を生きる人に勇気をあたえるような構成となっている。
物語の主人公は、医療ボランティア組織「風の医師団」に所属するローレンツ・クライン。彼は10歳の雪の降る日、スノーマンと名乗る雪だるまの化身によって怒り、不安、悲しみ、つらさといった負の感情を奪われてしまった。どうやらスノーマンは、人間の負の感情を吸い出す能力があるらしい。ただし、一度吸われた感情がもとに戻ることはなく、吸い出された人間はその感情を抱くことができなくなってしまう。そのため、ローレンツは30代になり、医師として懸命に働くいまも、負の感情を抱くことができないでいる。
なぜローレンツはスノーマンに負の感情を奪われてしまったのか。事の発端は、病に冒され余命わずかの母を心配させまいとついた小さな嘘だ。母を安心させ、ひいては自分が今後抱くであろう不安や悲しみ、辛さを握りつぶすためには嘘をつくことしかできなかったローレンツ。当時の彼にとっては、小さな嘘が棘となり自分の心に刺さり続けようとも、悲しみや辛さを抱えるよりはマシだった。「いっそのこと、自分の黒い感情を吸い出してくれればいい」とさえ願ってしまったのだ。
そんなローレンツがスノーマンの存在を意識し始めたのが、南アフリカで医療活動をしていたときのこと。熱帯地域では見られない雪が降り、誰かが作ったであろう雪だるまの存在に気付くローレンツ。誰が作ったのだろうかと不思議に思ったそのとき、彼はスノーマンの影を見るのだ。同時に脳裏に蘇るスノーマンとの記憶。できることなら彼が何者なのか、負の感情を奪った目的を確かめたい。そう感じたローレンツは、スノーマンを探す旅に出る決意をする。
冒頭でも述べたように、なるべくなら負の感情は生み出されない方がいいだろう。きっとそれは負の感情が他者への憎悪となり、凶器となって他者に向けられてしまう場合が考えられるからだ。現代でも起こっている戦争がまさにそれだろう。ただ一方で、悲しみや辛さを経験したことで心がたくましくなり、人に優しくなれる人も一定数いる。そのような場合を鑑みると、負の感情が人にとって100%元凶となるとは言い難い。実際に作中でも、スノーマンから「心の悪を吸い取ってあげてもいい」と誘惑されるも、「辛さや悲しみから逃げたら、これから先もずっと逃げ続けることになる」と負の感情と向き合うことを選ぶ人も登場する。本当に「負の感情=いらないものなのか」と考えながら読み進めると、きっと作中の登場人物たちの心の機微に共感できるはずだ。
本作を読了したら、ぜひミュージックビデオも鑑賞してほしい。小説で綴られる印象的な言葉一つひとつが歌詞に書かれており、音楽と組み合わさることでより素敵な作品に感じられるからだ。
文=トヤカン