2040年の教師の仕事は「教える」ことではない? AIに駆逐され捨てられる教師と、生き残る教師について考える
公開日:2024/1/26
新年が明け、冬休みが終わった。長期休みといえば、膨大な宿題。これを無理なく片付けられるかどうかで、冬休みの充実度が変わってくる。ところで、最近ではAIを活用して宿題を済ませる、といった話を見聞きする。あなたは、このトピックをどう捉えているだろうか。
『捨てられる教師 AIに駆逐される教師、生き残る教師(SB新書)』(石川一郎/SBクリエイティブ)は、タイトルのとおり、これからのAI時代において、捨てられる教師と生き残る教師について述べる。
例えば2040年、次にあげる教師のどちらが、「捨てられる教師」と「生き残る教師」に当てはまると考えられるだろうか。どちらも面倒見がよく、熱心な教師像である。
【教師A】
- ・お手製の教材づくりに熱心
- ・集中力が続きづらい生徒にはマメに声をかけて黒板に目を向けさせる
- ・知識の習得度合いを問うテストでクラス全員に点数を取らせるという使命感に燃えている
【教師B】
- ・まずYouTubeの解説動画を観せて知識面をざっとあらう
- ・その後、授業の半分以上を費やして、クラスみんなで議論する
- ・テストの半分以上は、ある所与の課題について生徒が知識を踏まえて自由に考えたことを述べる論述問題
- ・テストの目的は、より個性豊かな思考力を伸ばすための課題を明確化するためのもの
本書によると、この数年、教育に求められる声が変わってきた。例えば、「もっと子どもの個性や才能を伸ばすような授業をしてほしい」「デジタル最盛時代に合う教材を使ってほしい」といったものだ。ということで、本書が述べる2040年に捨てられる教師が【教師A】、生き残る教師が【教師B】となる。
本書は、デジタルを活用しろ、生成AIを利用しろ、と押し付けているわけではない。本書いわく、2022年に登場した生成AIは、マンパワー不足などが叫ばれる疲弊した教育現場の効率性や創造性を飛躍的に向上させるとともに、理想の教育である「考える生徒」を育むためのゲームチェンジャーとなり得るため、利用しない手はない、と説明している。
ここで本書が提示するのは、例えば冒頭の「宿題問題」である。「生成AIを使って宿題をすることの是非」より先に本書が問いたいというのが、「宿題が教師にとって単なるアリバイ作りになっていないかどうか」。宿題は、授業で習ったことを確実に定着させ、自分なりに発展させるためのもの。休みの間に生徒たちを遊び呆けさせないためのものではないし、宿題を出すのは面倒見がよいこととは関係ない、と述べている。結局、昔でいうところの「家族に手伝ってもらった」が「生成AIに手伝ってもらった」に変わっただけで、生成AI登場の有無に関わらず「生徒が自分で宿題をやらない」ことが問題であった。
そこで本書が提案するのは、宿題を「生徒の自由選択制」とすること。本書いわく、100本ノック的な絵日記、ドリルは撤廃すべきとしつつ、自由研究や読書感想文については、それ自体は意味がある。そこで、まずは教師がなぜこの課題を出すのか、生徒が納得できる説明をした上で、課題に取り組むかどうかは生徒の自由意志に任せる。あるいは、いくつかの課題を提示して、生徒が選べるようにする。このとき、生成AIは生徒が高次思考をするための「壁打ち相手」として有用となる。もちろん、最初から生成AIに答えを出させるのは禁物。例えば読書感想文であれば、自分でいったんじっくり対象と向き合い、少し考えがまとまった段階で、「自分は◯◯という作品でこういう感想をもち、ここに共感したが、もし世の中に別の視点から論じているものがあれば教えてほしい」などと問いかける。生成AIが出した答えをもとに、さらに深く考える。こういった具合に思考力を高めていくツールとして生成AIを宿題で活用するのが、本書のお勧めする一つの方法だ。
さて、このような様相になってくると、教師の役割は「教えること」ではなくなってくる、と本書。今後、生徒は自ら学ぶことができるようになる。となると、教師は不要となってくるのだろうか。
本書は、それも違うと述べる。生徒が自ら学べる環境があったとしても、すべての生徒が主体的、積極的に学べるわけではない。このときに必要となるのが、「見守ってくれる教師」だ。教室に存在することで、生徒たちのやる気スイッチを押すことが、これからの教師の一番の役割となっていくだろう、と本書は予言している。このほかにも、将来的に捨てられる教師と生き残る教師の違いや考え方、授業の展開の工夫、未来の教育について目からうろこの論が凝縮されている本書。教育に興味がある方すべてにお勧めしたい。
文=ルートつつみ
(@root223)