なぜネアンデルタール人が絶滅し、ホモ・サピエンスが生き残ったのか?/AIは敵か?⑩
公開日:2024/1/17
『AIは敵か?』(Rootport)第10回
AIに仕事を奪われる! 漠然と抱いていた思いは、「ChatGPT」のデビューによって、より現実的な危機感を募らせた人も多いのではないでしょうか。たとえば、バージョンアップしたGPT-4のアドバイスを受ければ、プログラミング経験のないユーザーでも簡単なアプリを作れるほど高い精度を誇ります。では、⽣成AIが登場し、実際に人々の生活はどうなるのか。本連載『AIは敵か?』は、マンガ原作者でありながら、画像生成AIを使って描いた初のコミック『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)を上梓したRootport(ルートポート)氏が、火や印刷技術といった文字通り人間の生活を変えた文明史をたどりながら、人とAIの展望と向き合い方を探ります。
私たち人類は、アフリカに共通の祖先を持っている。
本連載の第9回で紹介したホモ・エレクトスは、あまりにも広く分布していたので、彼らがそれぞれの地域で、それぞれの環境に適応して現⽣⼈類へと進化したのだとかつては考えられていました。モンゴロイドやニグロイド、コーカソイドのような「⼈種」は、それぞれ独⾃にホモ・エレクトスから進化したという仮説です。これを多地域進化説と呼びます。
しかし20世紀末の分⼦⽣物学と遺伝学の進歩により、多地域進化説は現在ではほぼ完全に否定されています。遺伝⼦の突然変異は⼀定の頻度で起きるので、誰と誰がどれくらい近縁で、どれほど昔に共通の祖先を持つのか、はっきりと分かるのです。
その結果、今の地球上で暮らすすべての⼈類は、30万年〜20万年前のアフリカに暮らしていた1万4000⼈ほどの集団から⽣まれたことが分かりました。彼らこそが最初のホモ・サピエンスでした。さらにその集団から、わずか3000⼈ほどが10万年〜8万年前にアフリカを出て、全世界に広まったことが分かっています(※1)。
⻑きにわたる論争に終⽌符が打たれ、現⽣⼈類はアフリカに共通の祖先を持つという仮説――アフリカ単⼀起源説が勝利を収めました。
アフリカを旅立った種族「ネアンデルタール人」とは?
⼈類が「出アフリカ」を果たしたのは、ホモ・エレクトスのときの1回きりではありませんでした。新しい⼈類がアフリカで現れては、何度も繰り返しシナイ半島を越えて世界中に広まったのです。
有名なネアンデルタール⼈――ホモ・ネアンデルターレンシスも、アフリカを旅⽴った⼈類の⼀種でした。およそ23万年前〜4万年前まで⽣きていた旧⼈類の⼀種です(※2)。遺伝的にホモ・サピエンスの祖先と分岐した時代はもっと古く、80万年〜40万年ほど前に枝分かれした別の集団から進化しました(※3)。彼らは中東から⻄ヨーロッパにかけて広がり、ホモ・サピエンスと同時期に同じ場所で暮らしていました。
素⼈でも簡単に覚えられるネアンデルタール⼈とホモ・サピエンスの⾒分け⽅は、おとがいの有無です。私たちの頭蓋⾻を⾒ると、顎の⾻の先端が⼩さく⾶び出していることが分かります。この突起をおとがいと呼びます。おとがいはホモ・サピエンスに特有のもので、とくに成⼈男性で⼤きく発達します。⼀⽅、ネアンデルタール⼈にはこれがありません。もしも博物館などで彼らの頭蓋⾻を⾒る機会があれば、ぜひ確認してみてください。
ネアンデルタール⼈とホモ・サピエンスはあまりにも近縁だったため、混⾎が可能でした。現代⼈の多くが、わずかですがネアンデルタール⼈由来のDNAを持っています。また、アジアの⼀部ではネアンデルタール⼈の姉妹集団であるデニソワ⼈とも混⾎していたようです(※4)。
ホモ・サピエンスに「心」はあるか?
私たちホモ・サピエンスとネアンデルタール⼈はどこが違ったのでしょうか?
なぜ絶滅したのは彼らであり、⽣き残ったのは私たちだったのでしょうか?
この疑問に誠実に答えようとすると「よく分からない」という回答になるでしょう。もちろん、解剖学的には(先ほどのおとがいを筆頭に)様々な差異があります。それでも、そうした差異は微々たるもので、私たちと彼らはチワワとチベタン・マスティフほども違いません。
何より注⽬すべきは⾏動です。初期のホモ・サピエンスは、現代の私たちとは⾏動が⼤きく違いました。現代⼈のような創意⼯夫を重ねた道具制作をせず、装飾品を⾝に着けず、壁画を描かず、彫像を彫らず、⼟偶を作らず、死者の埋葬ですら10万〜9万年前まで⾏っていなかったようなのです(※5)。その埋葬⾏為も、死者を悼むものだったのかどうかは定かではありません。副葬品がないからです。ただ単に、腐敗による悪臭を防ぎたいとか、屍⾁を狙う⾁⾷獣が集まるのを防ぎたいとか、そういう実⽤上の⽬的から死体を埋めた可能性も否定できません。
約20万年前に誕⽣したホモ・サピエンスは、最初から現代⼈のような認知能⼒と「⼼」を持っていたわけではないのです。
(注:ここで列挙したような現代のホモ・サピエンスを特徴付ける⾏動を「現代的⾏動」と呼びます。考古学や⼈類学では、現代的⾏動を持たなかった初期のホモ・サピエンスを「早期現⽣⼈類」と呼び、私たち現⽣⼈類とは区別します。解剖学的には同じホモ・サピエンスでも、⾏動があまりにも違うからです)
ネアンデルタール人が持つ「おもいやり」の行動
そして、それはネアンデルタール⼈も同様でした。
もちろん彼らは、祖先のホモ・エレクトスに⽐べて、はるかに洗練された道具を使っていました。有名なものでは、たとえばムスティエ⽂化の尖頭器があります。これは⽯を薄く加⼯して刃をつけたもので、槍の先端に取り付けて使ったようです。⼀⽬⾒ただけで、制作には熟練した職⼈の技が必要だと分かります。
彼らはマンモスのような⼤型哺乳類を主な獲物としており、⾄近距離から槍を投げつけて奇襲攻撃を仕掛けていたようです(※6)。これはかなり危険な狩猟法だったようで、複数ヵ所の⾻折や失明を伴う重症を負ったネアンデルタール⼈の⾻が⾒つかっています。
興味深いのは、それら重傷者のうち、怪我を負ってから何年も⽣きたことが明らかな⾻が出⼟していることです。つまりネアンデルタール⼈は、⼿⾜が不⾃由になった仲間の世話を焼いていたのです。現代⼈の「思いやり」に近い感情が、ネアンデルタール⼈にもあったのかもしれません(※7)。ネアンデルタール⼈は死者の埋葬も⾏っていたようです(ただし、これは同時期のホモ・サピエンスによる埋葬⾏為と同様、「死者を悼む気持ち」があったかどうかまでは分かりません)。
さらに2018年には、スペインの3つの洞窟で発⾒された壁画が、6万5000年以上前のものだという推定結果が発表されました(※8)。この時代のヨーロッパにはまだホモ・サピエンスは到達しておらず、もしも年代測定が正しければ、この壁画を描いたのはネアンデルタール⼈だったということになります。後述しますが、私たちホモ・サピエンスが多数の芸術品を残し始めるのは約4万年前からです。つまり、彼らは私たちよりも2万年以上も早く芸術活動を始めていたことが⽰唆されます。
サピエンスはいつ「心」を持ち始めたか
歴史は勝者により語られます。私たちは絶滅しなかった勝者であり、ネアンデルタール⼈は⽣き残れなかった敗者です。そのため私たちは、つい「ネアンデルタール⼈よりもホモ・サピエンスは何らかの点で優れていたから⽣き延びることができた」というストーリーを思い浮かべてしまいがちです。
しかし技術の⾯・精神⾯・⽂化の⾯のいずれでも、ネアンデルタール⼈が同時期のホモ・サピエンスに⽐べて劣っていたという証拠はないのです。
私たちホモ・サピエンスが「現代⼈らしい⾏動」の萌芽を⾒せるのは、早くとも約10万年前です。この時代のアフリカや中東からは、⽳を開けた⾙殻をレッドオーカーという顔料で着⾊したビーズが発⾒されており、これは装飾品として⽤いられたと考えられています(※9)。装飾品の存在は、この時代のサピエンスが「他者から⾃分がどう⾒えるか」を認識する能⼒と「他者からの評価を良くしたい」という願望を⾝に着けていたことを意味します。
現代⼈らしい⾏動の証拠が急速に増え始めるのは、ざっくりと4万年前からです。約4万5000年前には、動物の⻭のビーズ(ブルガリア)や⾻製のフルート(ドイツ)が作られていました。4万年前には、オーストラリアや南アフリカで死者の埋葬が⾏われていた可能性があります。さらに3万5000年前の縫い針がジョージアで発⾒されており、この時代には⼈類はまず間違いなく⾐服を着⽤していました。この時代以降、洞窟壁画が爆発的に増えていきます(※10)。
誕⽣当初は他のホモ属と変わらない⾏動をしていたサピエンスは、10万年〜4万年前の期間に⼤きく認知能⼒を進化させ、現代⼈と同様の「⼼」を持つに⾄ったのです。
この期間に何が起きたのでしょうか?
破局噴火がホモ・サピエンスの進化を促したのか
「トバ・カタストロフ理論」という興味深い仮説があります。7万3500(±2000)年前に、インドネシア・スマトラ島のトバ⽕⼭が⼤爆発を起こしました。このときにできたトバ・カルデラは世界最⼤のカルデラで、阿蘇カルデラや屈斜路カルデラよりもはるかに巨⼤――と書けば、⽇本⼈にはその爆発の凄まじさが想像しやすいのではないでしょうか。吹き上げられた⽕⼭灰は太陽光を遮り、千年単位で地球の寒冷化と気候変動をもたらしたと考えられています(※11)。
この環境激変が強烈な選択圧となり、ホモ・サピエンスの認知能⼒の進化を促した――。
これがトバ・カタストロフ理論です(※12)。
先述の通り、現代の私たちはごく少数の集団を共通祖先として持ちます。これは、当時のホモ・サピエンスの⼤半がトバ⽕⼭の噴⽕の影響で死滅してしまい、わずかに⽣き残った⼈々が私たちの先祖だったから――と、考えられるのです。
(注:「選択圧」とは、⾃然選択の強さを⽰す概念。環境が過酷で、ごく限られた形質の持ち主しか⽣き残れないような状況を選択圧が⾼いと呼び、そうでない状況を選択圧が低いと呼ぶ)
同時代を⽣きていたネアンデルタール⼈も、同じ気候変動を経験しました。しかし、彼らには私たちのような認知能⼒の進歩は起きなかったようです。彼らは私たちと同等かやや⼤きい脳を持っていました。脳の⼤きさだけでいえば、⼈類を⽉⾯に送り込み、インターネットで世界をつなぎ、ChatGPTを開発したのが彼らだったとしてもおかしくありません。
しかし、ネアンデルタール⼈は⼸⽮や銛を発明することもなく(※13)、ホモ・サピエンス並みに芸術活動を百花繚乱させることもありませんでした。約4万5000年前にホモ・サピエンスの集団がヨーロッパに到達したとき、ネアンデルタール⼈の⼈⼝はすでに減少傾向で、絶滅の途上にあったのです(※14)。
※1 『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』(ダニエル・E・リーバーマン/早川書房 2015年)上巻P201
※2 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P73
※3 『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』(ダニエル・E・リーバーマン/早川書房 2015年)上巻P164
※4 『人体600万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』(ダニエル・E・リーバーマン/早川書房 2015年)上巻P161、『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P73
※5 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P135、P162
※6 『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(クライブ・フィンレイソン/白揚社 2013年)P162
※7 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P76〜77
※8 National Geographic「【解説】世界最古の洞窟壁画、なぜ衝撃的なのか」
(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/022600087/)
※9 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P99〜100
※10 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P150〜151
※11 『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(クライブ・フィンレイソン/白揚社 2013年)P139、National Geographic「古代の超巨大噴火、人類はこうして生き延びた」
(https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/031400115/)
※12 National Geographic「古代の超巨大噴火、人類はこうして生き延びた」
※13 『神は、脳がつくった 200万年の人類史と脳科学で解読する神と宗教の起源』(E.フラー・トリー/ダイヤモンド社 2018年)P75
※14 『そして最後にヒトが残った ネアンデルタール人と私たちの50万年史』(クライブ・フィンレイソン/白揚社 2013年)P162
<第11回に続く>マンガ原作者、作家、ブロガー。ブログ「デマこい!」を運営。主な著作に『会計が動かす世界の歴史』(KADOKAWA)、『女騎士、経理になる。』(幻冬舎コミックス)、『サイバーパンク桃太郎』(新潮社)、『ドランク・インベーダー』『ぜんぶシンカちゃんのせい』(ともに講談社)など。2023年、TIME誌「世界で最も影響力のある100人 AI業界編」に選出される。