紫織庵大好き/きもの再入門⑥|山内マリコ

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/15

きもの再入門

紫織庵大好き

 〈紫織庵〉の名前を知ったのは、きものにドハマリしてすぐに行った、展示会の会場だった。ショップ店員さんにアテンドしてもらいながらあちこちのブースを巡っていたとき、断トツ好みの商品を扱っていて、目が釘付けになった。

 

 紫織庵は京都の老舗呉服メーカー。大正~昭和初期の柄を復刻した浴衣を毎年発表しているので、そちらで名前を知っている人も多いかもしれない。浴衣もいいけど、わたしは長襦袢の柄に俄然、惹かれた。蔵に眠っていたデザインを掘り起こし、「大正友禅」を復元させたシリーズだそうだ。

 大正時代の本絵を基に現代に復刻したという柄は、歌舞伎、浮世絵、ひよこ、ペリーの黒船、トランプ、サーカス、フランス人形、ニューヨークなど、自由そのもの。ぎょっとするような突飛なモチーフでも、不思議と品よく成立していて、とてもチャーミングなのだ。

 

 その頃は、大枚をはたいてわざわざ長襦袢を買うような余裕はなかった。それでも、どうしても紫織庵の生地が欲しかったわたしは、紫地の「薬玉(くすだま)」の柄を選び、それを羽織りに仕立ててもらうことにした。余り布で名古屋帯も作った。

 ポリエステルのプレタきものから入門したわたしが、唯一反物で買って仕立ててもらったのが、紫織庵の大正友禅だった。

 もちろん本当は、長襦袢で着たい。だって長襦袢の生地なんだから……。

 けれどそんな贅沢はできないから、最前面のレイヤーにくる羽織りにしたのである。

芥子色の長襦袢

 ところで長襦袢といえば、きもの研究家のシーラ・クリフさんのお話が印象的だった。大学教授であり、インフルエンサーとしてきものの魅力を世界に発信するシーラさんに、雑誌「七緒」で取材をさせてもらったときのこと。

 シーラさんときものとの出会いは、骨董市で見かけた長襦袢だったという。芯まで真っ赤な色に惹かれて、これがきものかぁ~と手に取ったところ、それは襦袢、下着であると教えられ、驚いたそうだ。こんなに美しいものを、下に着るなんて!

 さらに、自分らしいきものを発見したこんなエピソードもお話しくださった。

 きものに興味を持ち、着付けを習いに行った若き日のシーラさん。そこで出会った先生が、芥子色の長襦袢を着ていたそうだ。白や薄ピンクといったありがちな色ではなく、ましてや例の「うそつき襦袢」でもなく、芥子色の長襦袢! それを見て「メッチャオシャレ!」と感銘を受けたと、シーラさんは熱く語った。その芥子色の長襦袢を見た瞬間、自分がきものに求めているものがはっきりわかったそうだ。

 

 そのときのシーラさんの気持ち、すごくわかる。

 思わず心を奪われ、フェティッシュななにかが目覚める瞬間、というものがある。そういう出会いを重ねて、自分がなにを好きなのか知り、どんどん自分らしいスタイルを確立していったのだろう。シーラさんの思い出をうかがい、ふむふむと追体験したわたしの脳裏にも、その芥子色の長襦袢は、くっきりと刻みつけられた。

 

 なによりそれが「芥子色」だったことが、わたしのハートに響いた。

 というのも芥子色は、母の好きな色なのだ。

 母はそれほどファッションに興味がなく、あまり好みを口にすることもない。洋服の買い物はいつも渋々といった様子だった。そんな母がめずらしく、小学生のわたしが選んだマスタード色のズックを指差し、いい色だねと褒めてくれたことがあった。

「お母さん芥子色が好きなの」

 何気ない言葉だった。言った本人は忘れているであろう。

 けれど小学生のわたしには、妙にぐっとくるものがあった。自分が選んだものを、「いいね」と肯定してもらえたのが単純にうれしかった。「わたしもそれ好きだよ」と、言ってもらえたことの喜び。子ども時代のそういう小さな思い出はずっと残る。

 かくしてわたしの中でそれ以来、芥子色は特別に「いい色」なのだ。

 

 シーラさんのお話を聞き、「芥子色はいい色ですもんね」と合いの手を入れているときにはもう、わたしも芥子色の長襦袢が欲しいと思っていた。そして、紫織庵のホームページをうろうろしていたとき、これだと思う美しい柄を見つけたのだった。

〈雲取疋田 金茶地に紫雲取〉

 よ、読めない!

長襦袢を買いに京都へ

 〈雲取疋田(くもどりひった) 金茶地に紫雲取(きんちゃじにむらさきくもどり)〉。サンプル画像をもとに解説すると、ベースは金茶、金色がかった茶色で、芥子色よりも濁りのない、それでいて深みのある黄である。そこに、紫色の雲取の柄が入っている。雲取とは、もこもこした雲を描いた形で、ふんわりと雅やかに空を漂う文様。さらには疋田、つまり疋田絞りのように、全体に点々と草花の模様が白く抜かれている。見るからに凝った作り。なにより金茶地の、色味がよかった。

 

 二〇二三年、久しぶりの京都旅行で、わたしは「ギャラリー紫織庵」に向かった。

 ギャラリー紫織庵は、西陣の景観保護区、浄福寺通にある。ゆったりした道幅に石畳が整備され、車もあまり通らず静かなところだ。格子が嵌った京町家、入口から土間をずんずん奥に進むと、太い梁が天井に渡された広々した空間に出た。元は織物工場だった跡地を、リノベーションして活用しているそうだ。壁一面に「大正友禅」の長襦袢の生地が展示され、小上がりには新作浴衣も並ぶ。奥にはギャラリーらしく製作工程がわかる展示も充実していた。

 ここへ移転したのは二〇一八年だそうで、もともとは「京のじゅばん&町家の美術館 紫織庵」の名で中京区にあった。大正時代に建てられた京町家に、きものと長襦袢を展示したミュージアムだったそう。二〇一八年からは長襦袢の展示は「ギャラリー紫織庵」に移り、建物は「八竹庵(旧川崎家住宅)」として保存されている。

 

 わたしがギャラリー紫織庵を訪ねたとき、お店の方がお二人いらっしゃった。ご主人と奥様である。街の小さなきもの屋さんでも、なかなかの大店であっても、呉服屋さんというのはたいてい、夫婦が同等に働いているものだ。紫織庵のお二人も息のあった掛け合いで、京都人パワーが炸裂した面白いお話をたくさん聞かせてくださった。すごい情報量だったので、ここではちょっと割愛させていただくが。

 ともあれそこでわかったのは、復刻した「大正友禅」も、すっかり品薄になっている現状だった。わたしが狙っていた〈雲取疋田 金茶地に紫雲取〉はすでに在庫がなかった。型紙もなく、二度と作れないそう。

 なんてこった……。

 膝から崩折れ、ちょっと小上がりに掛けさせてもらった。

 聞けば、高齢の職人さんがコロナのときに廃業したことで追い打ちがかかり、もう一段階、灯りが小さくなっているらしい。在庫はどれも、今あるものでおしまいという。

 あれこれお話しするうち、こちらが芥子色~金茶地の色を求めていることを見抜いた奥様が、白生地のいいものが少し残っているので、それを染めてはどうかと提案された。

「なんとっ!?」

 わたしはうろたえた。

 だって白生地を染めてもらうなんて、上級者のやることではないか。

 あれ? でもわたし、もうあの頃みたいな金欠の小娘じゃないぞ。筆一本で立派に生きている、働き盛りの四十代女性だぞ? 白生地を染めてもらったって、全然いいじゃないのさ。

 結局わたしは、長襦袢を二枚購入した。

 一枚は、菊の地模様が入った白生地を、芥子色に染めてもらった。芥子色の長襦袢は、主張の強い祖母のきものともしっくり合いそうだ。そしてもう一枚は、紫織庵「大正友禅」復刻シリーズの〈花鳥画 レトロローズ地〉。地の色が桜鼠なので、義祖母の色無地や母の小紋といった、やわらかもの用にちょうどいい。あんまり上品すぎるのは苦手だが、桜と雀が描かれて、素直にかわいらしいのが気に入った。

 店のご主人が、錦紗織という生地について説明してくださった。木製の八丁撚糸機を使い、昔のままの工法で織り上げられているという。着心地が素晴らしく、軽くてシワになりにくい錦紗織。戦前に大流行し、谷崎潤一郎の『細雪』にもその名が出てくるという。

 お目当ての柄は買えなかったけれど、わざわざ京都まで来た甲斐のある、いい買い物だった。

「今あるものでおしまい」

 ギャラリー紫織庵にあった長襦袢、全部欲しい。けれど、いくらお金があっても、それらはもう買えない。「これ在庫ありますか?」とたずねるたび、あったりなかったりといった具合だった。

「今あるものでおしまい」

 という言葉が、少しさびしく耳に残った。

 きものが再び昔のように、人々に日常着として着られることは、二度とないだろう。廃れる寸前で踏み留まってきた文化が、いよいよ土俵際いっぱいまで追い詰められているのを感じた。

 そう遠くない未来、新しいものが生み出されることはなくなり、「今あるものでおしまい」の世界が広がっていると思うと、しんみりした。

 十年ぶりできものと向き合い、見えてきた現実。

 きものが、わたしが思っていたよりずっと、儚いものになりつつあるのを感じた。

<第7回に続く>