被災地の復興事業をめぐる闇 震災の爪痕を直視する社会派ミステリー『彷徨う者たち』中山七里インタビュー

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/2/9

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年3月号からの転載です。

中山七里さん

 甚大な自然災害が起きると、そこには“亀裂”が生じる。東日本大震災後の宮城県を舞台にした『彷徨う者たち』は、亀裂によって立場を、そして心を隔てられた人たちの物語だ。

取材・文=野本由起 写真=川口宗道

「以前、アスファルトに亀裂が走っている被災地の映像を観たんです。同じ地域であっても、亀裂の向こう側は建物や電柱が傾いているのにこちら側は何ともない。とはいえ、こちら側に住む人たちも元通りの暮らしはできませんし、被害が少ない分、補償金が減額されるかもしれません。そのうえ、大きな被害を受けたあちら側の人たちとの関係もぎくしゃくするでしょう。『助かってよかった』ですむはずはなく、その亀裂が人間関係を隔てる境界線にもなる。心に生じた境界線を書けば、ひとつの小説になると考えました」

 本書は、映画化された『護られなかった者たちへ』とその続編『境界線』に続く宮城県警シリーズの完結編。前2作の流れを汲んだ社会派ヒューマンミステリーであり、現代日本の様々な問題も炙り出している。

「今、経済やジェンダーによる格差など、いろいろな境界線が生じていますよね。昔も境界線はありましたが、今よりも曖昧でしたし、お互いが手を携えていたように思います。それが、ある時期から一度境界線が生じると融合できず、分断が広がるようになりました。被災地で生まれた境界線を書けば、今の日本をそのまま照射することになる。そういう考えもありました」

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被害の大小、職務と友情。揺れる刑事の成長譚

 2018年8月、宮城県・南三陸町の仮設住宅で殺人事件が起きた。被害者は、仮設住宅を管理する町役場の職員。災害公営住宅が完成する中、今なお仮設住宅からの転居を拒む住民を説得する立場でもあった。住民たちとの間で、トラブルがあったのだろうか。そう考えた捜査陣は、今も仮設住宅に住み続ける世帯に聞き込みをする。だが、そこで上がってきたのは「公営住宅では近所付き合いができないので心細い」「家賃の負担が重くのしかかる」という切実な声だった。

「震災後、国は災害公営住宅を建設しましたが、住む場所が与えられることと自分の居場所があることは別問題です。仮設住宅には近所の人たちがまとまって住んでいましたが、公営住宅ではバラバラに。ひとりぼっちになり、結局は定住できないんですよね。もちろん、行政は人の心にまで立ち入れませんし、民間団体の支援にも限界や弊害はあります。とはいえ、真新しい建物を作るだけで復興と言えるのか。こうした疑問を作品に込めたつもりです」

 被害者が発見された現場は、扉も窓も施錠された密室。そこにも中山さんは、ある意味を込めたという。

「そもそも僕は本格ミステリーをあまり書いたことがありませんし、人間の業を描く宮城県警シリーズと不可能犯罪は少々そぐわないところがあります。ですが編集者からのリクエストもあり、今回はミステリー要素を強めることに。そこで、密室という状態に“閉じ込められて外に出られない”という仮設住宅入居者の暗喩を込めることにしました。正直なところ、トリックや犯人はすぐにわかるでしょう。でも、それでもかまわないと思いました。この小説で描きたかったのは、その先ですから」

 この事件に斬り込んでいくのが、前2作で笘篠刑事のバディを務めてきた若手刑事の蓮田だ。仮設住宅で聞き込みを進める中、彼は幼なじみであり、現在はNPO法人で被災者のケア活動を行う大原知歌と再会する。蓮田と知歌、そして祝井貢、森見沙羅の4人は、かつての仲良しグループ。だが、ある出来事を境に蓮田と他の3人は疎遠になり、高校卒業後には蓮田が南三陸町から仙台市に引っ越したため、物理的にも離ればなれに。そして、東日本大震災では、それが彼らの運命を大きく隔てることになる。震災を経ても失うものが少なかった蓮田、津波によって家族や財産を失った3人。同じ被災者にもかかわらず、蓮田はより大きな被害を受けた彼らに負い目を感じてしまう。さらに、幼なじみが事件の関係者として浮上し、彼は職務と友情の狭間で心を揺らすことになる。

「蓮田は、自分の立ち位置がわからない男です。刑事でありながら容疑者の友人であり、被災者でありながらそこまで被害を受けていない。立脚点がわからず、あっちへこっちへと心情が揺れ動いてる“彷徨う者”なんです。長編の醍醐味は、2種類あります。ひとつは、主人公が最初と最後でどう変わるのか。もうひとつは、世界が最初と最後でどう変わるのか。今回は前者を描いたので、蓮田の成長を、彷徨う男が最終的にどこに向かうのかを見届けていただけたらと思います」

 しかも、彷徨っているのは蓮田だけではない。タイトルが『彷徨う者たち』と複数形になっていることにも意味がある。

「この物語の登場人物は、みんな彷徨っています。蓮田と幼なじみは、かつて確かな絆で結ばれていました。ですが、震災によって絆がちぎれてしまい、それぞれが心を彷徨わせています。震災後には絆という言葉がもてはやされましたが、果たして絆はどこまで人と人とを結びつけることができたのか。それを、小説を通して探っていこうと思いました。さらに言えば、被災者の立場も代弁しています。仮設住宅は終の棲家にはなり得ませんし、公営住宅に移っても知った顔はない。彼らは居場所を奪われ、彷徨っているんです。このシリーズでは、どの作品もタイトルに二重三重の意味を含めています」

災害時、作家にできるのは祈りを込めて書くこと

 宮城県警シリーズ三部作は、本書をもって幕を閉じる。Amazonでは3冊をセットにした数量限定の特製BOXも発売されている。

「1作目では犯人側と捜査側を描き、2作目は捜査側の個人的な思いと犯罪を絡めました。そして今回は、バディである後輩刑事の人生を描き、3作品で棲み分けができました。しかも、3作に共通して五代というコメディリリーフのような脇役が登場しています。特製BOXには、五代と『護られなかった者たちへ』の主人公・利根の宮城刑務所での出会いを描いた書き下ろし掌編がついてきます。3冊すべてに直筆でサインとナンバリングを入れているので、こちらもご覧いただきたいですね」

 中山さんが、この三部作に込めたのは心からの“祈り”だという。

「大きな災害が起きた時、僕らにできるのはお金を寄付すること、もしくは祈ることしかありません。よくスキルもないのに被災地に乗り込んでいく迷惑なボランティアがいますが、それは復興に手を貸したという自己満足を得たいだけ。それよりも、しかるべきところにお金を渡して、自分の代わりに復興に尽力してもらったほうがいいに決まっています。でも、それをしないのは、どこかで自分とは関わりのないことだと思っているからでしょう。『彷徨う者たち』では、そういうこともうっすら描きました。震災が起きた時、小説家の僕にできるのは祈りを込めて作品を書くことです。僕は作品にあまり強い思いを込めることはないのですが、このシリーズは例外でしたね」

 東日本大震災から今年で13年。今、中山さんは被災地にどんな思いを抱いているのだろうか。

「新しい建物ができても、心の中ではいつまでも震災は終わりません。『彷徨う者たち』の最後の一文にも書きましたが、“完全な復興にはまだ時間がかかりそうだ”。ですが、終わりはないにしても、被災地の方々にはなんとか心安らいでほしい。これは僕だけなく、全国民の祈りだと思います」

*本取材は2023年12月に実施しました

中山七里
なかやま・しちり●1961年、岐阜県生まれ。『さよならドビュッシー』で第8回「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、2010年にデビュー。著書に『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『絡新婦の糸―警視庁サイバー犯罪対策課―』『こちら空港警察』『能面検事の死闘』『殺戮の狂詩曲』など。2月14日に『有罪、とAIは告げた』刊行予定。