記憶力が全くないのに国家転覆を狙うクーデターを主導する男? 第60回文藝賞優秀賞を獲得したクセ・毒まみれの野心的物語

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/18

解答者は走ってください
解答者は走ってください』(河出書房新社)

 第60回文藝賞優秀賞を獲得した、佐佐木隆『解答者は走ってください』(河出書房新社)。選考委員で歌人の穂村弘が「もっとも推した」作品だというのは分かる。変幻自在で掴みどころのない言葉のチョイスには面食らうし、トゥー・マッチとも言える詩的飛躍の連続にも唖然とするほかなかった。スラップスティックで目も眩む展開に追いつけない、という読者もいるだろう。

 だが筆者は、夢中でページを繰る手がとまらなかった。賛否両論が如実に分かれるくらい、アクと毒とクセがある。そして、「小説、それくらいじゃないとつまらないよね?」と言わんばかりの野心的な試みと企みに満ちた作品なのだ。

 主人公は27歳の男性、怜王鳴門(レオナルド)。パパから産まれてこのかた部屋を出たことがない彼は、記憶力がまったくなく、自分の誕生日すら覚えていない。にもかかわらず、早押しクイズ大会で優勝し、音楽フェスやライヴに出演し、国家転覆を狙うクーデターを主導する。

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 現実と虚構の狭間に生きる怜王鳴門の脳内物語、とでも言おうか。彼やその周囲の人間の意識と無意識、想像と現実が時にすれちがい、時に交わりあうメタバース的、マルチバース的な脳内小説。そう言ったそばからこぼれおちるものが多すぎるのだが……。

 怜王鳴門はある日、「パパ上」のパソコンに届いた物語を読み、喪失していた自身とこの世の歴史の断片を知る。今生きている世界の秘密が徐々に明らかになってゆく様には、思わずたじろいでしまう。そして、彼は本当のパパが残した小説を読むうちに真実に気づくのだ。怜王鳴門はパパが妄想の末に生み出した×××××だったことに――。

 選考委員のひとりである町田康氏は本書を「四層の世界からなる意欲的な作品」と書いている。四層とは、主人公が存在する世界、主人公が物語に描かれている世界、無意識の世界、物語の書き手がいる世界だということのようだ。主人公は複数の層を自在に往還するというわけである。

 つげ義春の漫画『ねじ式』よろしく「徹底的に」を「テッテ的」と書くなど、様々なオマージュや固有名詞がふんだんに盛り込まれる。しかし、筆者も敬愛するジャズ・ミュージシャンのドン・エリスの名前が突然登場した時はさすがに驚いた。誰も分からないだろこれ、と。少なくとも、村上春樹の小説に出てくるような、評価の定まった著名なミュージシャンではないのだ。ドン・エリスは。

「なるべく文章を圧縮して、密度を濃くしたつもり」と、著者は本書についてインタビューで答えている。Instagramのストーリーズが24時間で消えるように、 SNSでは日々情報がフローしてゆき、その全貌を把握することは困難極まりない。本書は、そんな、膨大で多様な情報が乱反射する仮想現実世界を、著者なりの感性で描ききった作品でもある。

「小説は、物語のあり方そのものを壊したり、現実の延長としてシーンを描いたりということができるのが強みだと思います。さまざまに突飛なことができる」とも著者は語っている。つまり、小説は限りなく自由で禁忌などない、と言いたいのだろう。実際、こんなフリーダムな小説、滅多にお目にかかれるものじゃない。それが少なからず読者を選ぶとしても、本書には一読の価値があると断言したい。

 生硬なところも幾つかあるし、瑕疵を挙げることもできよう。だが、粗削りな文体がプラスに作用しているのは間違いない。筆者はそう好意的に解釈した。下手に成長や成熟することなく、この筆致を磨き、研ぎ澄まして、ぐさりと読者を一刺しするような、切っ先の鋭い作品を書き続けてほしい。本書の「その先」にあるだろう風景を、少しでも早く見てみたいのだ。

文=土佐有明