性暴力をテーマに三島有紀子がメガホンをとった『一月の声に歓びを刻め』。前田敦子、哀川翔らと共に、被害者の傷の深さを映す
公開日:2024/2/8
『繕い裁つ人』等で知られる三島有紀子監督が前田敦子、哀川翔、カルーセル麻紀らと共に作り上げた映画『一月の声に歓びを刻め』が、2月9日に劇場公開を迎える。北海道・洞爺湖の中島、伊豆諸島の八丈島、大阪・堂島を舞台に、癒えない傷を抱えた人々の心を描き出す物語だ。性暴力の被害を受けた次女を亡くした喪失を抱えるマキ(カルーセル麻紀)、娘が妊娠して帰ってきたことに戸惑うシングルファーザー・誠(哀川翔)、幼少期に性暴力の被害に遭ったトラウマから誰とも触れ合えないれいこ(前田敦子)の苦しみが、切々と映し出されてゆく。
オフィシャルサイト等で言及されているように、本作は「性暴力と心の傷」をテーマに据えている。三島監督はこれまでに各インタビューで幼少期に性被害に遭った過去を語っており、本作は三島監督自身が47年もの間向き合い続けた“事件”をモチーフにしたオリジナル企画となる(公式サイトには『インペリアル大阪堂島出入橋』のロケハン中、偶然事件の犯行現場に遭遇した三島は、自身の過去を映画にすることを決意……との記述も)。
ただ――こうした“前提”や“テーマ”は、映画の中に明示されない。本作がどういう経緯で生まれたのかを知ったうえで鑑賞する観客は、ある種能動的に本作のインタビューや作品紹介といった“情報”をインプットした人々だろう。それ以外の観客は、作品と相対して感じ取ることになる。
元々は三島監督の自主企画であり、他者が決して到達できないような絶望と痛みから生まれた作品であるならばなおのこと、解釈の余地を許さないようなストレートなものにするアプローチもあったはず(そのことが観客にフラッシュバックを引き起こしてしまう危険性はあるが……)。だが、『一月の声に歓びを刻め』はそれを行わない。「それぞれの地で苦しむ人々の姿/生活」を映し出し、見守る立場としての我々観客の中に「理解度」という残酷な解像度の差を作り出してしまう。つまり、「他者の痛みをどれくらい“わかるか”」が、観る側に委ねられているということ。これは個人的な感覚も含むが――このアイロニカルな構造が、現代社会の「無理解・不寛容・断絶」とオーバーラップするようにも感じられる。
マキとれいこのパートでは過去の事件については直接的には描かれず、誠のパートに関しても妊娠した事実を知らされるのみで娘視点の回想シーンが挿入されるわけではない。つまり、本作で描かれるのはあくまで“現在の肖像”なのだ。映画的な“わからせる”演出は極力抑えられ、どれだけ時が経とうが受けた被害による傷は消えることがないのだ、というありのままの事実のみがそこに在る。先ほど軽く触れたように、“わからせる”ための演出はそこにどれほどの想いがあったとしても、観る側によってはフラッシュバックを含む二次加害になりかねない。そしてまた「口を閉ざす(他者に言えない)」という苦しみも被害者は負うことになる。言葉にすることは傷を開くということでもあるからだ。「映画」という罪・暴力すら感じさせ、ドキュメンタリー以上にドキュメント的な要素を内包した『一月の声に歓びを刻め』。本作をどう受け止めるかに、私たち他者それぞれの現在地が浮かび上がるのかもしれない。
文=SYO
『一月の声に歓びを刻め』
2月9日(金)テアトル新宿ほか全国公開出演:前田敦子、カルーセル麻紀、哀川翔
坂東龍汰、片岡礼子、宇野祥平
原田龍二、松本妃代、とよた真帆
脚本・監督:三島有紀子公式サイト:https://ichikoe.com/