『活版印刷三日月堂』の著者が描く最新作のテーマは「染織」。織ることを通じて「生きる」ことの意味を考えさせられる『まぼろしを織る』

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/2/10

まぼろしを織る
まぼろしを織る』(ポプラ社)

 雑貨や衣料品などで、時折見かける「草木染め」。その名の通り、草木=植物を染料にして生地を染める昔から伝わる技法で、自然由来のやさしい色合いが印象的だ。気が付けば人工的な工業製品の色に囲まれる暮らしの中にあって、ほんのり温もりを感じさせてくれる。累計30万部のヒット作『活版印刷三日月堂』(ポプラ社)の著者・ほしおさなえさんの新刊『まぼろしを織る』(ポプラ社)は、そんな草木染めによる「染織」がテーマだ。糸に自然の色が染み込むように、機で「紬」が織りあげられていくように、「生きる」ことの意味を問う物語の感動が、静かに心に広がっていく。

 主人公の槐(えんじゅ)がまだ高校生だったみぞれ降る夜に、シングルマザーだった母はマンションの階段から落ちて死んでしまった。「自分はからっぽ」が口癖だった母に「あなたは何者かになりなさい」と言われ続けていた槐は、突然の母の死に生きる意味がわからなくなってしまう。なんとか大学も卒業しそのまま日々をやり過ごすようにして一人で生きてきた槐だったが、コロナ禍で失職し、川越で染織工房を営む叔母・伊予子さんの家に居候をすることになる。伊予子さんのワークショップを手伝いながら槐も心穏やかに過ごせるようになった頃、突如、渋谷の路上で転落死事故に巻き込まれて心を閉ざしてしまった大学生の従兄弟・綸(りん)も同居することに。ただ見守るしかない伊予子さんと槐だったが、ある日、藍染めの青い糸に魅了された綸が「あお」とようやく言葉を発し、染織にのめり込むほどに心を開き、落ち着きを取り戻していく――。

「生きる意味」をまっすぐに問う物語は、綸が遭遇した事故の「謎」に槐が興味を持ったことで少しミステリアスな様相も帯びる。転落して亡くなったのは、水に映る風景を描いて人気だった未都という女性画家であり、槐の前に現れた不審な男が「綸は未都の最後の言葉を知っているはずだ」と言うのだ。「何も知らない」という綸の話との食い違いが気になり、綸に気付かれないように少しずつ未都のことを探っていく槐。「なぜこんなに才能のある人が死んでしまったのか」と思える未都の死は、槐自身の「なぜ生き続けなければいけないのか」という問いと呼応し、綸には「才能のある彼女でなくて、自分が死ねばよかったのに」との悔いを残す。実のところ槐も綸も自分の「生きる意味」に確信が持てなかったのは同じで、画家の死の謎をきっかけにそれぞれに問い直していくことになるのだ。

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 そんな二人は、伊予子さんとの穏やかな暮らしの中で少しずつ「自分なりの生き方」を見つけていく。伊予子さんのおおらかな佇まいももちろんだが、おそらく彼女の生業が代々続く染織家であり、住まいが草木染めで染めた絹糸で紬を織る工房であることも大きいのだろう。草木染めの植物はもちろん、絹糸も蚕が吐く糸を紡いで生まれるものであり、染織工房は静かな「生き物の命」に満ちている。そうした幾つもの命の力が、孤独な二人に前を向いて生きる力を与えてくれているようにも思えるのだ。何者になれなくてもいい。わたしは生きたいんだ――槐が踏み出す一歩は、新しい根が勢いよく地面に伸びていくようでなんだか心地いい。静かで爽やかな感動が胸に残る、大切にしていきたい物語だ。

文=荒井理恵