「本当に傷ついている人たちに向き合わなければいけない」著者初のミステリー仕立てとした新作小説『チワワ・シンドローム』に込めた、現代社会に投げかける思いとは? 大前粟生さんインタビュー

文芸・カルチャー

PR 更新日:2024/2/7

大前粟生さん

 ある日、知らない間にチワワのピンバッジがつけられたという呟きがネットに溢れた。この奇妙な事件は「チワワテロ」と呼ばれ、主人公・琴美の想い人もテロの被害者となり失踪する。失踪と「チワワテロ」との関係は――。若者たちの価値観を描き出し、同世代を中心とした読者の支持を集める大前粟生さんの新作『チワワ・シンドローム』(文藝春秋)が2024年1月に刊行。炎上時代をリアルに描き出した本作についてお聞きしました。

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――デビュー以来、大前さんは作品を通じて、人の弱さや傷つきに真摯に向き合ってきたと思うのですが、本作はこれまでとはアプローチが異なる印象を受けました。

大前粟生さん(以下、大前):これまでの作品と比較する意識はなかったのですが、作風を広げてみたい、という思いはありました。世の中がどんどんきな臭くなっていく、そのスピードにこれまでのやり方では追いつけない。小説が現実に負けてしまうというのを感じていて。

――きな臭く、とは?

大前:各地で戦争が起きていることもそうですが、これほど多くの人が警鐘を鳴らし、対策をとっているにもかかわらず、誹謗中傷する人は減らないどころか、追い詰められている人がどんどん増えていますよね。他人をエンタメのように消費するのは、コロナ禍で心が疲弊してしまったせいもあるのかなと思うのですが、そういう世の中の「この流れはまずいぞ」と感じていることを、できるだけ正面から見つめられるようにしようと思いました。そのために今作ではミステリーの枠組みを使ってみようと。

――通りすがりの人に知らぬ間にチワワのピンバッジをつけられている「チワワテロ」。不可思議な事件と、新卒3年目の主人公・琴美がマッチングアプリで知り合った新太が突然失踪し、その行方を追う物語が交錯していきます。

大前:不気味だけどポップな印象を与える事件を起こしたかったんです。数年前に、中国の住所から謎の郵便物が届く、というのがネットで話題になった時期があって、確かに気味が悪いけど、もし自分にも同じ出来事が起きたら、たぶん写真に撮ってSNSに投稿したりするだろうな、と思って。ウケを狙ってインプレッションを稼ぐような承認欲求とSNSの相性のよさを物語に生かせないかな、と思いついたのが「チワワテロ」です。事件ではあるんだけれど、なんとなくかわいいからブームになって消費されるだろうな、と。

――絶妙だな、と思いました。作中にありますけど、やろうと思えばバッジで刺すこともできる、というところがぞわぞわしますよね。琴美が生まれたのはそのあとですか?

大前:それより先に、琴美と一緒に新太の行方を追うインフルエンサーのミアが生まれました。先ほども言ったように、コロナ禍を経て多くの人が心を疲弊させたことで、ケアを求める動きが大きくなった気がするんです。推し活が流行っているのも、他者を応援という形で消費することで、心の回復をはかっているのかもしれないな、と。ただ、ミアのように配信を通じて多くのファンをケアする、救うことができるというのは、簡単に人を壊せるということでもあるかもしれないと思いました。

――壊せる?

大前:僕もときどき動画配信を観るんですけど、コメント欄によく「今日すごくいやなことがあったから一言お疲れ様って言ってほしい」みたいな書き込みがあるんです。そんな一言で観ている人が明日もがんばろうと思えるならいいことだと思う反面、配信者が突き放した態度をとったり、これまでずっと優しかったのに急に見捨てるような言動に出たりしたら、その瞬間、その人の世界は終わってしまうかもしれないでしょう。それが怖いな、と。作中では、ミアとファンの間に流れる一体感を通じて、そのあたりの怖さがうまく書けたかなあと思います。

大前粟生さん

――推しの存在が大きくなりすぎて、ふりまわされて心の均衡を失っていく人は少なからずいますよね。もともとは均衡を保つためにやっていたはずなのに。

大前:だんだん依存していってしまうんでしょうね。その現象が特別なものではなく、わりとよく起きることだなという実感があったので、それもまた物語として描いてみたいと思いました。推される側にしても、承認されたいという欲求以前に、数字を稼げるコンテンツは人気があり、それだけで評価されるものであるという空気が生まれている。いいか悪いか、おもしろいかつまらないかではなく、とにかく数字を稼げるものを探さずにはいられない、見つからないなら自ら火を放ってでも生みださずにはいられない、そういう流れも描けたらいいなと。

――その象徴が「正義の配信者MAIZU」ですね。一般人の迷惑行為を晒すスタイルでブレイクし、落ち目になったあとは過激なネタで炎上し注目を集めている。

大前:現実にも私人逮捕系YouTuberと呼ばれる人たちがいますが、どれだけ批判されても支持者が絶えないのは、正義という名を借りて、憂さ晴らしをしてくれる存在を人は求めてしまうからかもしれない、と思います。正義は自分の側にあるんだと強固に信じられている時って、全能感を味わえるじゃないですか。暴露系配信者や陰謀論者も、とかく「黒幕」を求めがちですが、それも自分は真理をわかっていると思うことで、一段上に立った気持ちになれる。そうありたいという願いから生まれるのかもしれないな、と。

――そんななか、本作では「弱さ」を武器にすることについても描かれていますよね。チワワテロを利用してイベントを開催しようとした人たちに、〈ニセモノどもが、わたしたちを奪うな〉と声明を出す「傷の会」という存在が現れますが、それは、本当に傷ついたわけでもない人たちが弱い側に立っているように見せかけて注目を集めることへの警告でもありました。

大前:先ほども言ったとおり、数字を稼ぐことがいちばんの目的になってしまうと、自分自身を加工してキャラクター化しようとする動きも加速すると思うんです。どれだけ自分を他者の消費対象にできるか。上手に演出できる人たちが力を持つことができるのがSNSの特性でもあるのかな、と。逆に、圧倒的な強者に見せかけるという手もあるんですが、いずれにせよ強さや弱さが興味や関心を惹くための道具になっているのも感じていて。

――そうなると、本当に傷ついているかどうかは関係なくなってきますね。

大前:そうなんです。レッテルにばかり目がいくから、本当に傷ついた人たちがどんどん透明化されていってしまう。炎上騒ぎもあちこちで起きているぶん、本当に向き合わなければいけない問題がなかったことにされているケースも多い気がします。アピールのための強さでも弱さでもない、本当に傷ついている人たちの声がかき消されている現実に、僕たちはちゃんと向き合わなきゃいけないんだ、と。だからこそ複合的に物語が進行するミステリー形式をとったのですが、内面性を描くことを重視してきたこれまでの小説と違って、構造もしっかり考えなければいけないのが難しかったです。ひとつ直すと、別のところも見直さなくちゃいけなくて。

大前粟生さん

――本作は、高校時代の友人である琴美とミアの物語でもあります。その関係を描くことについては、最初から想定していたんでしょうか。

大前:そうですね。起点はいろいろあるけれど、琴美とミアの友情を描きたいというのは念頭にありました。その関係が解きほぐされていくうちに、事件の核心に近づいていくという形になったらいいな、と。ミステリーと言えばバディもの、という印象があったのも大きいかもしれません。参考にできたかどうかはわかりませんが、ミステリーっぽいものを書こうと思って最初にしたのが、ドラマ『相棒』を20年分くらい一気見することだったので。

――『相棒』!? しかも全部観たんですか。

大前:サブスクで初回から全部(笑)。印象的だったのが、シーズン2の「秘書がやりました」というエピソード。人権派で知られる国会議員がバラバラに切断された焼死体で発見されるんですが、実は不倫の最中に腹上死してしまったんですね。これでは先生の評判が悪くなると焦った秘書が、同情を集めるために死体を焼いて切断、遺棄したという。評判を守るために人はそこまでするのかと、ドラマとはいえ驚きました。

――「弱さ」に同情を集めることでイメージをつくりあげようとする本作の内容と通じるところがありますね。

大前:そうですね。体面やポジションを守らねばならない、という強迫観念のような意識は、いつの時代の人も抱いているものかもしれないなと思いました。SNSに限らず、人が身を立てようとする行為は、必然的に自分をキャラクター化していくことにも繋がっていて、そのイメージが強固であればあるほど人気も出るけど、矛盾を許してもらえない空気が醸成されてしまう。肩書や役割、あるいは他人から貼られたレッテルから抜け出したくてもできない人たちに光を当てられる小説にもなったらいいな、とも思っていました。

――小説を書く、という行為も、ともすれば人を傷つけかねないものだと思いますが、そうならないために意識していることはありますか?

大前:従来のお約束に従ったりステレオタイプのキャラクターを書いたりする方がラクだと思うんですよ。自分の先入観を疑わず、そのままの自分で書く方が、やっぱり心地がいい。僕も、気を抜くとそちら側に流れてしまいそうになるので、常にこれでいいんだろうかというのは考えるようにしています。できているかどうかはわかりませんが……。あとは、偏見や差別を煽る発言をする人が作中に登場するのは構わないけど、それを是とする描写にはしない、ということでしょうか。今作でいうと「傷ついた経験を吐露するのは同情をひくためじゃないか」とか「弱さをアピールできる人はトクだよね」みたいなことを言う人はいるけど、作品のメッセージはその逆にある、と伝わるように。

――その点も含めて、改めて、ものすごく難しいテーマに挑戦しているなと思いました。自分の信じる正義に安易に飛びつかないよう、繊細に登場人物を書き分け、慎重に表現を選んでいるというか。

大前:物語というのは雑にくくるのが得意なジャンルだと思うので、それは気をつけないといけないですよね。ただ、この先いつまで自分が気をつけていられるかわからなくて、それが今は怖いです。他者に寄り添える人だったはずが、いつのまにか反転して過激な発言を繰り返している……ということもあるじゃないですか。

――ありますね……。そしてそれも根っこにあるのが善意であり正義であるから難しい。

大前:小説を書く上では、いい方向にも悪い方向にも人の心が動くところが好きなんですけどね。大きく、ではなく、ほんのちょっとズレる瞬間を描くのが。そして人の心が社会の仕組みによってどう構成されていくかに僕は興味があるのだと思います。SNSも仕組みのひとつで、繋がり続けると疲弊してしんどくなってしまうから、本を読んでいる間だけは強制的にオフラインにして、自分の心を守ってもらえたら嬉しいです。

取材・文=立花もも 写真=内海裕之